1.晴れぬ霧と≪さくら≫の少女

2012年10月28日 16:44

 

――カラカラ。
 
――カラカラカラカラ。
 
軽く乾いた音。
 
――カラカラカラ。
 
ただ、それだけ。
 
何も見えない。
 
何も聞こえない。
 
――いや。
 
見たくなかったんだ。
 
聞きたくなかったんだ。
 
――途切れてしまう未来を。
 
だから。
 
だから、犯してしまった。
 
過ちを。
 
そして、分かっているのに、まだその過ちに縋り付いてしまう。
 
嫌だ。
 
――死にたくない。
 
――死にたくないよ。
 
見えてきたのは、糸車。
 
糸なしで、意味もなく回っていたそれは、まるで、同じ時間を繰り返しているかのよう。
 
そして、“また”、それは細い糸を吐き始める。
 
糸は広がる。四方八方へ。
 
広がった先で、糸は太さを増し、そして。
 
それは。
 
――霧となった。
 
ああ、また、繰り返される。
 
霧の中で、禁忌を犯した少女は、ただ――。
 
ただ、それを眺めるしか出来なかった。
 
――これで、何回目だろう。
 
誰か、助けて。
 
――キヨタカサン。
 
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――さて、この『物語』は、幾重にも繰り返された時間軸のうちのたった一つ、本来なら語られ得な
 
い、……いや、違うか。俺がいたことで新しく上書きされたサッドストーリーだ。
 
待てよ、『お前』は、『俺』なのか?
 
――半分正解、半分不正解。
 
もったいぶるんじゃねェよ。さっさと答えろ。
 
――まぁ、そうカリカリするなよ。……まぁ、そうだな、とりあえず、お疲れさん。長かったろ、絶望
 
に塗りつぶされた世界での戦いは。
 
俺はいつからこんなことをやってたのかはさっぱり覚えてねェがな。だが、なんだ?お前が、何故か、
 
懐かしい……。
 
――そりゃあな。そして、それは半分正解のヒントだ。そう、お前が言ったとおり、『俺』は、『お
 
前』だ。だが、完全にそうだとも言えない。
 
だから、どういうことだ、って聞いてんだろォが。
 
――それは、ここから先の真実を見ろ。お前が、俺が、何を見、何を感じ、何を成したか。そして、何
 
が『俺』を壊したか……。
 
『お前』が壊れたから、『俺』になった、とでも言いてェのかよ。
 
――さぁ、どうだろうな。まぁ、ゆっくりしていけよ。『お前』は確かにあと数秒で死ぬが、ここでは
 
時間の進み方がかなり違う。そう、全てが絶望に染まったとき、この世界は消え、お前は選択を迫られ
 
る。
 
選択ねェ。
 
――続きを始めようか。1つの禁忌が引き起こした、数多の悲しみと、大きな奇跡、そして、そこに隠
 
された、癒えることの無い絶望を。
 
――もう一度、その目で、その耳で、確かめるがいい。
 
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さぁ、本日のお勤め終了。そう張り切って研究施設から出てきたのは、風見鶏本科3年、自称人見
 
知り野郎の上代龍輝。風見鶏には、魔法を裏で研究している、大きな秘密組織がある。これは、風
 
見鶏の学園長からも黙認されており、多少危険なことをしていても、完全に情報が外に漏れないよ
 
うになっている。無論、学園側に対しても。
 
そして、そんな研究施設で『研究材料』として利用されている彼は、本日もその役割を終えた。
 
なんでも、魔力をストック、変換するためのアイテムを作る研究をしているらしい。
 
仕事を終えると、次の依頼まで少なくとも1週間は空いてしまうので、退屈この上ない時間を過ごすこ
 
とになってしまう。
 
――暇だ。
 
11月になってから、何故か急に依頼の回数が増えたが、それでも『休日』は腐るほど出来てしまう。
 
11月、と言って思い出したが、この月になって最初の日、すなわち1日に、リッカが清隆という少年と
 
ロンドンの地上にお使いに上がったとき、リッカが1人の少女を保護した。
 
少女は発見当時、その手に不思議な桜の枝を持っていたという。更に、自分の名前すらも思い出せ
 
ないといった記憶喪失を抱えていて、リッカが、桜の枝を持っていたことから、仮に『さくら』と名
 
づけたようだ。
 
それから早10日ほど経つが、未だに少女の情報は掴めず、少女も記憶を取り戻せていない。
 
そして、彼自身、全くといっていいほど充実していない毎日を送っていたのだった。
 
近くに設置されている時計を見ると、もう学園では昼休みに入ったばかりの時間だった。
 
ピピピ、と、龍輝のシェルが鳴る。
 
シェルとは、21世紀でいう、携帯電話のようなもので、テキストを相手に送ったり、シェル越しで相手
 
と会話したり出来る。勿論、魔法を仲介して通信しているので、接続不良なんてものは起き得ない。
 
シェルを確認すると、テキストが届いていた。
 
送り主は――サラだった。
 
内容は、要約すると、昼は暇か、といったものである。大丈夫だ、問題ない、と返すと、すぐに返信が
 
返ってきた。競技場に来てください、だそうだ。了解、と送り返す。そして、少し駆け足で競技場に向
 
かった。
 
競技場につくと、サラは先に来ていた。
 
緊張しているのか、サラは、妙にそわそわしている。そして、競技場に姿を現した龍輝を見て、柔らか
 
な笑みを浮かべる。
 
サラ「こんにちはです、先輩。」
 
龍輝「よう。こんなトコに呼び出して、何のようだ?」
 
サラ「えっと、前に助けていただいたお礼に、お弁当、作って来ちゃいました。」
 
龍輝「マジで?」
 
サラ「はい。」
 
適当に腰掛けると、サラが少し大きめのバスケットを取り出し、その蓋を開けた。
 
中には、美味しそうな色とりどりの、たくさんのサンドイッチが丁寧に並んで敷き詰められていた。
 
龍輝「うぉおー、これは……。」
 
美味そう。というか、美味そう。
 
サラ「ど、どうぞ……。」
 
龍輝「いっただきます。」
 
まずは一番位置的に取りやすかったカツサントに手を伸ばす。
 
そして、勢いよく齧り付き、よく咀嚼する。
 
その間サラは、ずっと不安そうな瞳でこちらの様子を窺っている。
 
龍輝「うん、美味いっ!」
 
サラ「ほ、ホントですかっ!?」
 
あまりの美味さに吃驚して、次々にサンドイッチに手を伸ばす。
 
龍輝「ふんふん、ふぁい、ふぁいよ、はわ、ほふへひへんはん!」
 
サラ「……えっと、何て言ってるんですか?」
 
龍輝「もぐもぐ、ごっくん、いや、めっちゃうめぇ!」
 
サラ「よかったぁ……。」
 
龍輝の言葉に安堵したのか、サラもサンドイッチに手を伸ばす。
 
サラ「い、一応、日本人が好きそうな味を研究していたんです。」
 
龍輝「うそ、それって、凄くない?」
 
サラ「結構自信作なんですよ。」
 
龍輝「そんなものを俺なんかが食ってていいのか?」
 
サラ「いえ、むしろ先輩に食べて欲しかったんです。助けていただきましたし……。」
 
後半語尾が小さくなったが、何をそんなに恥ずかしがることがあるだろうか。
 
別に好きな人に餌付けしてる訳じゃあるまいし。……そうだよな?
 
2人でサンドイッチを食べていると、結構すぐになくなってしまった。
 
腹が膨れた龍輝は、いつものようにこのタイミングで横になる。
 
サラ「眠いんですか?」
 
龍輝「まぁ……な。」
 
目を閉じた――かった。
 
が、学園の人気者によって阻止される。
 
リッカ「アンタねぇ、女の子が隣で座っているっていうのに、それを放って1人寝るってデリカシーな
 
    いの?」
 
非難の声を浴びたので、渋々上体を起こす。
 
サラ「リッカさん、こんにちは。」
 
リッカ「こんにちは、サラ。それで龍輝、こんなトコで何やってんの?」
 
龍輝「それはこっちの台詞だ。生徒会の仕事は大丈夫なのか?」
 
リッカ「残念でーしたー、今日昼休みは非番でーす!」
 
龍輝「あ、そう。」
 
サラ「えっと、私、お邪魔ですかね……?」
 
リッカ「別にいていいわよ、っていうか、いなさい。なんか気を遣って帰られると、その後気まずくな
 
    るっていうか。それに、私は別に龍輝とはそんな関係じゃないわよ。」
 
龍輝「きっぱりと言われるとなんか寂しいんだが?」
 
リッカ「何よ、事実じゃない。」
 
龍輝「いや、そうだけどさ、お前こそデリカシーってもんはないのか?」
 
リッカ「アンタに気を遣うのはかったるい。」
 
サラ「あはは……。」
 
龍輝「ほら、サラが置いてけぼりだぞ。お前のクラスの生徒だろうが。大事にしろ。」
 
サラ「あ、いえ、私は別に……。」
 
口ではそういってるが、先輩2人の言い合いに多少なりとも困惑しているのが分かる。
 
リッカ「……そうね、ちょっと熱くなり過ぎたわ、なんか最近ストレスが溜まり放題でねー。」
 
サラ「生徒会も大変なんですね。」
 
リッカ「そうなのよ。サラは、そういうことに興味はあるの?」
 
サラ「いえ、ちょっとはやってみたいかなって思うんですけど、私には無理かな、なんて。」
 
龍輝「サラならいけるんじゃないか?努力家だし。」
 
サラ「そうなんですけど、それじゃ、想定外のアクシデントに対応する力はつかないので……。」
 
前も、リッカが同じようなことを言っていたような気がする。
 
リッカ「ま、焦る必要はないから、ゆっくり考えておきなさい。」
 
サラ「はい。」
 
なんだかんだで、リッカはちゃんと後輩から支持は得ているんだな、と実感する。
 
そこで予鈴が鳴る。
 
リッカ「サラはもう教室に戻りなさい。授業に遅れるわよ?」
 
サラ「あ、はい。失礼します。」
 
大き目のバスケットを持って、一礼し、競技場を去っていった。
 
その足取りは、軽かったようにも見えた。
 
龍輝「……んで、ここに来たってのは、俺に用があったからだろ?」
 
リッカ「アンタに頼み事をするのはちょっと癪だけど、やっぱり能力あるからね。」
 
龍輝「カテゴリー5に褒められるとは、それは光栄なことで。」
 
リッカ「いちいち茶化さないの。」
 
リッカがなかなか進まない会話に苛立ちを見せる。そこまで急を要することなのか。
 
まぁ、生徒会の人間の負担を減らすのはいいことだと思うし、どうせ暇だから引き受けてやろうかと
 
思った。
 
リッカ「2つ。まず1つは、さくらのこと。たまにあの子の様子を見てあげて。多くの人と触れ合うこ
 
    とで、何か思い出す可能性もないことはないでしょ?」
 
龍輝「それはそうだな。」
 
他人とのつながりを広げることで、少しでも可能性を広げる、脳科学は得意ではないが、なんとなく
 
上手く行きそうな気がする。
 
龍輝「もう1つは?」
 
リッカ「アンタ、今度からの女王陛下からの依頼、予科1年A組に同行しなさい。」
 
龍輝「……は?」
 
リッカ「どうせ暇でしょ?」
 
龍輝「そうだが、何故?」
 
リッカ「私だって忙しいの。1人で依頼受けにいってる事だってあるんだから。というか、もう勝手に
 
    手続きは終わってるわよ。」
 
龍輝「まさか、これから俺も≪女王の鐘≫が聞こえることがあるって事か?」
 
リッカ「そーゆーこと。」
 
まぁ、いいか、と思った。魔力に下手な傾きをつけないために、授業に参加することは認められなかっ
 
たが、女王陛下の依頼なら、影響はないし、案が通ったということは、研究チームからも許可が下り
 
た、ということになる。
 
女王陛下の依頼とは、風見鶏周辺で何か事件が起こったとき、魔法使いでなければ解決できないよ
 
うなものであれば、≪女王の鐘≫がなったクラスはその任務にあたる、というものである。
 
学年が上がるにつれて依頼内容は難しくなり、リッカほどの魔法使いとなると、女王陛下直々で個人
 
でかなり危険な任務を依頼するようだ。他に誰もサポートをつけないのは、他の有力で信頼の出来る
 
シャルルや巴は彼女らなりに忙しいし、その他の人間だとリッカの足を引っ張りかねない。そういう
 
のが理由になってくる。
 
龍輝「別にいいよ、そのくらい。どーせ暇だし。」
 
リッカ「悪いわね。」
 
龍輝「だからいいって。」
 
そうして、2人でグニルック競技場を後にする。
 
リッカ「で?サラとはどういう関係なのよ?」
 
龍輝「引っ叩くぞ……。」
 
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昼時、リッカに言われたものだからさくらに会いに行くことにした。
 
確か、学生寮のラウンジによくいるのだとか。
 
早速そこに足を運ぶと、つまらなさそうに足をぶらぶらさせながら椅子に腰掛けている少女を見つけ
 
る。どうやら彼女がそうらしい。
 
どうやって声をかけようか考えるが、止めた。こういう時の龍輝はいつも直球勝負である。
 
龍輝「よ。」
 
さくら「……え?」
 
軽く手を挙げて挨拶をすると、少女も龍輝の姿を視界に捉える。
 
龍輝「始めまして、俺は上代龍輝だ。よろしくな。」
 
自己紹介をすると、少女は人懐っこい笑顔を浮かべる。
 
さくら「はじめましてっ!記憶がなくて何にも覚えてないんだけど、ここではさくらってことになって
 
    るから、ボクはさくら。よろしくねっ!」
 
こりゃまた元気少女が増えたな、と思った。
 
龍輝「で、何も思い出せそうにないんだってな?」
 
さくら「あれ、もしかしてリッカの知り合い?」
 
龍輝「ああ、そうだけど。」
 
さくら「そっか、うん、何も思い出せないんだ。ボクは誰か、どこから来たのか。何にも。」
 
少女の表情が悲しみに曇る。
 
さくら「だからね、しばらくはこっちの生活を思う存分楽しむことにするんだ。」
 
再び少女に笑顔が咲いた。
 
龍輝「そっか。まぁ、無理はすんなよ。」
 
さくら「うん。じゃ、そういうことで、あそぼ?」
 
龍輝「遊ぶったって、何すんのさ?」
 
さくら「うーんとね、あ、チェスしよ?」
 
龍輝「手加減はしねぇぞ?」
 
さくら「どーんと来いだよっ!」
 
龍輝はチェスは大得意である。生徒会の主力メンバーは全員倒した。勝率は90パーセントはある。
 
そうやってさくらとチェスを興じながら、しばらく時間を過ごしたのだった。
 
さくら「ねぇ、リッカとはどういう関係なの?」
 
龍輝「引っ叩くぞ……。」