17.『教える』とは『学ぶ』と同義である
2012年11月02日 18:43
義之は放課後まで復活しなかった。生徒会の手伝いをして帰宅したところである。
……そうそう、杉並だよ、杉並。
あいつどこにでもトラップ設置しやがるから、ただでさえ忙しいというのに、余計に仕事を増やしちゃってくれる。
音姉の見回りに同行したんだけど、彼女の見るとこ見るとこ全部にその仕掛けがあるんだ、これが。
すごくない?俺でもわかんないのに。
杉並であれなら、杏や茜たちまで競って馬鹿やってた頃は、生徒会はどれだけ忙しかったことか。
そして義之。
何度か濡れ衣で犯人扱いされた彼は、どれだけ大ヒンシュクを買っただろうか。
……まゆき先輩、相当イジったろうなぁ。
はい、という訳で、今日から由夢のお料理教室が始まります。
時刻は午後8時半からっつーことで。
さくらさんも帰宅し、夕食はカキのフライ。作、音姉。
音姉が作っただけあって、揚げ時間も完璧である。
タルタルソースも手作りで、これも一工夫しているらしい。
レシピを聞いたら、俺の秘伝レシピと交換だと。
するかよ!
俺の伝説級オムライスはそんじょそこらの味じゃあねぇ!
こ、こんなタルタルソースとなんか割に合わないんだからねっ!(錯乱)
ちなみに、さくらさんはこのペースだとクリパまでに仕事が片付くそうだ。
俺のおかげだとかで思いっきり飛びついてきたんだけど。
……やめてください。由夢が凄い目で見てくるんです。
さて、夕食も終わり、音姉が俺のオムライスレシピを聞き出そうとするのを振り切って一息つく。
時間までもうわずか。弁当の下ごしらえの残りで教えますか。
とりあえず台所にて冷蔵庫を確認、まぁオーソドックスな弁当ができそうだ。
唐揚げ、アスパラベーコン、卵焼き、etc……。
下ごしらえ、するものないなぁ……。
それじゃ、今日は調理器具の扱い方をマスターしてもらおうか。
――っと、考えているうちに時計の針が長短それぞれ6と8を指す。
「光雅兄さん、来ましたよ」
「しっ!これは極秘任務なんだ、誰にもバレちゃいけないんだ!……義之は?」
「あ、えっと、2階にいます……」
「よし、なるべく自然な空気を醸すぞ。分かったな」
「どうやってですかっ!?」
「適当でいーんだよ、んなもん。んじゃ、今日は調理器具を慎重かつ丁寧かつ迅速に扱えるようになってもらう」
キーアイテムは包丁かな。
「えっと……」
「だろうな。とりあえずは包丁だ。包丁と友達になるんだ。いいか?ここをこうして持って……」
こういう風に扱うんだ、と懇切丁寧に実践してみせる。ものは切らないが。
「よし、やってみろ」
「はい」
由夢が包丁におそるおそる手を近づけ、持とうとするが。
「待てい!」
「ひゃっ!?」
「持ち方がなってない。ここから、こう持つんだ。OK?」
「や、別に持ち方なんてどうだって――」
「甘いっ!そんなんじゃすぐに指切っちまうぞ!」
「えっと、すいません……」
まったく、料理ができない奴はこれだから……。
さて、持ち方もマスターしたみたいなので、次の段階へ。
冷蔵庫から、残り後わずかのキャベツを取り出す。
これを千切りさせる。もちろん、手本は俺。
あ、これ俺の夜食になるからその辺よろしく。
……キャベツって、夜食としてどうなんだ?
「それじゃあ、これから基本中の基本、キャベツの千切りをしてもらう」
「はいっ!」
由夢が意気込む。気合が入るのは実にいいことだ。
「俺がゆっくり手本を見せるから、よーっく見てろ」
本当なら今のペースの5倍くらいでカットするんだが、全ては我が可愛い妹のために。
超ゆっくりと。
「――はい、じゃあゆっくりでいいからやってみ。そうそう、指を切らないように、食材を押さえる手は猫の手だぞ」
「はい……」
――さくっ、さくっ。
ゆっくりで、線は太いが、基礎を確実に叩き込めば、どんな料理の天災だって、料理ができるようになるものなんだよ。
油断した隙にアウトだけどね。
「……できました」
「どれどれ……」
キャベツの千切りができている。無論、線は全て太く、決して上手とはいえないが、焼きおにぎりで人を昏倒させるような奴よりは格段に進歩している。
「よーし、OKだ。あとは練習と慣れだ。線は太いが、それはこれからどうにでもなる」
「えっ、えと、ありがとうございます……」
とここで、思わぬ侵略者が。
「光雅くん、何してるの?」
「しまった……!」
「え?」
思わぬ侵略者によって、俺の目論見は砕かれ、絶望に堕ちた俺は地面に這いつくばる。
「光雅くん、なんでそこでものすごくがっかりするの?」
「いえ、由夢に料理を基礎から叩き込んでやろうと思って、訓練してやってるんですけど、どーせやるならみんなには内緒で、由夢の誕生日のときくらいにみんなをびっくりさせてやろうかなと思ってたんですけど」
いや、なんか、この台詞めちゃくちゃ恥ずかしいんだが。
「えーっと、ごめんね。せっかく2人で楽しんでたのに……」
「あ、いいですよ。ただ、義之とか音姉とか純一さんには内緒に……」
「Don't worry!由夢ちゃん、頑張ってね!」
「あ、はい」
「それじゃあボクはお風呂先にはいるね♪」
そういうと、元気そうに廊下を駆けていった。
……本当に元気だなぁ。
「続けるか」
「はい」
「それじゃ、次は料理では欠かせない調味料を勉強しようか」
「何を勉強するんですか?」
「調味料の『さしすせそ』って言えるか?」
「さ、砂糖、し、塩、す、酢、かな?せ、せ、せ……、背油?」
「なんでわかんない奴は『せ』で背油って言う奴が多いかな……」
「いったい何なんですか?」
不満そうな目で睨んでくる。
頬が赤く染まっているのを見ると、背油発言が大分恥ずかしかったようだ。
「醤油だよ。ここは日本だ。昔の日本語では、『しょう』は『せう』と書いたんだ。だから『せ』はせうゆ、つまり醤油なんじゃないか?」
「なるほど、そうだったんですか」
「ちなみに、『そ』はソースじゃなくて、味噌だ。何度も言うけど、ここは日本だから、ソースなんていう調味料は昔は存在しなかった」
「へぇ……」
うーむ、なんかこういう話をしていると料理初心者だったころの自分を思い出す。
母さんの料理の味が大好きで、その味を自分でも作れるようになるためにいろいろ教えてもらったっけ。
包丁の扱い方の伝授の仕方も同じだ。
危ないからって、特に気をつけて教えてくれた。
俺がいなくなった後、両親は強く生きたのだろうか。
それにしても、他人に教えることで、初心に帰ることができるのって、凄いことだと思うんだ。
俺も母さんに教えてもらって、それで覚えたことを父さんや兄さんによく自慢してたっけ。
兄さんはあまりちゃんと聞いていなかったみたいだけど。
「光雅兄さん、何呆けてるんですか?」
「おっと、悪い。ちょっと思い出に耽ってたんだ。よし、調味料を扱うには、まずその味を体で覚えるのが手っ取り早い。要するに、舐めろ」
「醤油とか辛くないですか?」
「俺はハバネロも舐めたぞ。さすがに死ぬと思ったぜ……」
「なんでそんなまぶしい笑顔なんですか……」
「うるせぇ、さっさと始めるぞ。調味料だけじゃなくて、食材の味とかも分かるようになると、どれとどれを組み合わせたらこんな味になる、ってのが分かるようになる」
「それ本当ですかぁ?」
「本当だ。腕の利くシェフならスイーツなんかも料理の中に平気でぶち込んで旨い味をだすらしいぞ。ググってみれば分かる」
「たぶん参考にならないです」
「そりゃそうだ。俺もうまくいった例(ためし)がない」
「……はぁ。光雅兄さん、何か最近冗談が大好きになりましたよねぇ?」
「馬鹿いえ、昔から大好きだ」
「最近顕著ですよ」
「それはすまない、自重しよう」
うーむ、最近新しいキャラを模索しているんだが、やっぱりおかしいかな。
もうやめよう。
それから、由夢の快進撃は始まった。
砂糖、塩、醤油、ウスターソース、酢、ケチャップ、マヨネーズ、家にある調味料を端から端まで舐めさせた。
由夢のやつ、しばらく舌が麻痺するぞ、こりゃ。
俺は3日くらい口に入れたものの味が分かんなくなったからな。
まぁ、精進してくれ、由夢。