26.みんな、ここに

2012年12月11日 20:15
≪solitary Pluto(孤独の冥王星)≫。
 
俺が、自分の背負う十字架と引き換えに手に入れた、壊し、奪い、そして救う力。
俺は、何のために魔法を使いたいと願った?
 
――それは、単純に誰かを救うため。
 
壊すためじゃなく、もちろん奪うためでもない。
自分の制服の袖をまくって、左腕を見る。
そこには、今までにはなかった、禍々しい紋様があった。
きっと、これは、『契約の証』だ。
俺と、孤独との。
これを手にした以上、俺は孤独でなくてはならない。
この時点で、俺は完全にこの世界でイレギュラーとなったのだ。
神は、自分の意思で全てを変え、そして決定する能力を持つ。
だから、人間の感覚の射程外にその身を置き、俺たちに干渉しないように遠くから見守ることしかしない。
俺も、そこまでとは行かないが、似たようなものを手にしてしまった。
 
だが。
 
――それだけならよかった。
 
最も責められるべきは、俺が自分で掲げた、贖罪の証である十字架を自ら破壊し、その破片を孤独の力に売りつけてしまったことだ。
俺は、音姉に、罪を赦してもらった。
その代償として、俺が自分に架した十字架。
『魔法を使ってはいけない。』
はりまおに和菓子をあげるくらいなら、工場での作業を手のひらで行っているだけのことだし、それで彼(彼女?)が喜んでくれているのだから、これだけは正当化させていた。
そんな十字架を、気を失っている音姉の目の前で破壊し、売りつけた行為は、自分の責任とか決意をズタズタにし、何よりも音姉を裏切るものになってしまった。
こんな俺に、もはや居場所なんてないに決まっている。
誰かが提供してくれても、俺はそこに踏み入ってはならない。
『悪魔』が、その輪を穢してしまう。
誰もそんなことは望んじゃいない。
 
だから。
 
俺は。
 
この場所を去ろう。
 
周囲との、関わりを絶とう。
 
それが俺の、≪solitary Pluto(孤独の冥王星)≫としての、使命。
 
そして、神と同じように、俺も遠くから傍観するだけにしよう。
 
みんななら、きっと俺という歯車がなくなっただけでも、幸せに生きていけるはずだ。
 
それだけ、最高の連中だった。
 
未練なんてたくさんある。
 
後悔だってたくさんした。
 
だから、もう二度と後悔しなくていいように。
 
見上げると、そこにはとても大きな桜の木がそびえたっている。
しんしんと、桜の花びらが舞っていた。
驚くほどゆったりと、音もなく。
先程までの絶望のただ中での戦闘が、嘘のように、
 
――そう、まるでここが夢であるかのように、
 
ただ、美しいと感じた。
全ての願いを集め、そして、純粋な想いを叶える手伝いをしてくれる桜。
それは、俺の理想だったのかもしれない。
俺は、その理想に、なれなかった。
そして、それを創造した、さくらさんのおばあさん、そして、その遺志を受け継いだ、さくらさん。
俺と、一緒だったのかもしれないな。
さくらさんのおばあさんのことはよく知らないが、少なくともさくらさんは、寂しさの中でこの希望の花を、不完全なまま、咲かせた。
幸せになりたかった。
このままいけば、破滅に向かうことだって分かっていたのかも知れない。
俺は、その絶望までも払いのけてみせた。
そして、もうその桜はきっと、バグによって暴走することもない。
だが、その守るために使う力は、破壊するためのものとなった。
使命を果たせないのなら、存在の資格はない。
俺がいなくても、何も問題ない。
何も問題はないじゃないか。
 
それなのに。
俺は、何を躊躇っている?
 
――踵を返せ。
 
――早くここを立ち去れ。
 
それなのに、俺は、何に期待しているんだ?
差し伸べられる手?
 
――俺は、それを払いのけなければならない。
 
新しい希望?
 
――そんなものは、最初から存在してなかったんだよ。
 
過去への帰還?
 
――ありえない。それに、また同じことを繰り返す。
 
そう、それは。
何度も同じ旋律を繰り返す、ダ・カーポのように。
その時、ふと気付いた。
ずっと意識を自分の内側にしまいこんでいたから気付かなかったのかもしれない。
雨が降っていた。
いつから振っていたのかは分からない。
服がびしょ濡れになって、肌に張り付いている。
 
「なんだよこれ、不幸の演出かよ……」
 
自嘲気味に呟いてみる。
それが、ますます自分を情けなくした。
桜の木の根元は、雨に当たらないかもしれない。
そこで少し休んで、しばらくして流浪人のように去るとしますか。
桜の下に進んでいくにつれて、頭や肩にかかる雨粒が減っていく。
根元に着いたころには、もう全く当たっていなかった。
全てを終わらせる前に、夢の集う場所で、静かな夢を見ようとした。
だが、それはあるものに妨害された。
 
――足音。
 
それも、複数。
雨が傘に当たって水がはねる音がしないことから、傘を差していない、いや、持っていないのだろう。
風邪引くぞ、お前ら。
そして、その内の1人が、声をかけてくる。
よく知った声だ。
 
「光雅!」
 
渉の声。
何をしに来たのかは分からないが、もし俺を引き戻そうとか甘ったれたことを考えているのなら、俺はこの天性のお人よし共を追い払わなければならない。
 
「何か用か……?」
 
俺は、桜に手を突いたまま、振り向かない。
振り向いてはいけない。
 
「お前のこと、全部聞いたよ」
 
今度は義之の声。
 
「……さくらさんか」
 
「ああ」
 
あの人なら、喋るだろうと思っていた。
俺を説得するには、俺に関する情報を掴んでおく必要がある。
『お前に俺の何が分かる?』という質問をされた時、回答に困らないように。
そして、俺を説得するのに最も向いている存在が、この3年間、一緒に馬鹿をやってきたこいつらである。
あの廃工場で一緒にいたと思われる美夏はいないようだ。
 
「お前、ずっと辛い思いをしていたんだな」
 
「そうかもな」
 
なるべく俺は冷淡に振舞わなければならない。
俺は、こいつらに捨てられなければならないのだ。
 
「なんで、今まで黙ってたんだよ……?」
 
「簡単だよ、俺独りの問題だったからだ」
 
「なんでいつもそうやって独りで抱え込むんだよ?俺たちは、家族だろ?仲間だろ?」
 
「……もう一度言う。これは、俺独りの問題だからだ」
 
そう、これは、俺が墓場まで持っていかなければならない、至上の命題だ。
 
「お前……」
 
俺に取り付く島もないことを悟ったのか、言葉を発しなくなった。
だが、その表情に、何も出来ないことに対する悔しさを見て取れる。
 
「ならば聞こうか。お前が独りで抱えているものがそんなに重要だというのなら、それそのものがお前自身のアイデンティティを成立させるものだとしたら、なぜお前は、海に行ったあの日から、そこから避けるように、自分の他の居場所を捜し求めるように行動している?」
 
「どういうことだ……?」
 
「あの日以来、お前は何かが変わった。無論、何があったのかは俺も知らんし、関わる気もない。それでも、あれだけ一緒にいれば、お前に何らかの変化があったのを察知するのは高坂まゆきから逃走するよりも容易い」
 
そこで杉並はいったん会話を切った。俺に思考する時間を与えるためだろう。
お前の言いたい事は大体わかった。
 
「特に顕著になったのは、この冬場からだ。新しい出会いがいくつかあったからな。お前はその日常の中での変化に没頭し、大事なことから目を逸らしているようにも見えた。……そうだな、他人から離れようとして、それでも誰かと一緒に行動を共にしてることが多かったように思えるのだが?」
 
さすがは杉並、俺の深層心理を探り当てつつ、検察官のような鋭い指摘を言葉にして突き出す。
もしかしたら記憶力のいい杏も、同じことを感じているのだろう。
 
「そうかもしれないな」
 
「そして、そこでお前は新しい逃げ場を見つけた」
 
その時、杉並の視線が強くなった気がした。
俺は、振り返らざるを得なかった。
しっかりと杉並を見据える。
 
「天枷美夏だな……?」
 
「な……!」
 
美夏が、俺が逃げ込んだ場所だと?
 
「俺たちが始めて美夏嬢と出会った時、お前は言っていたな。『出来るものなら首を突っ込みたい』と。つまり、お前は美夏嬢に接近し、心を開かせることに照準を定めた。事実、お前はクリパで彼女と楽しそうに回ってたのだが――」
 
なるほど、確かにそうなのかもしれない。
 
「だから、どうした?」
 
「ふむ、どうしたというほどでもないのだが、……俺たちからも逃げるつもりか?」
 
「逃げるんじゃない、去るんだ。もう、お前たちの知っている俺は、存在しないんだよ」
 
そう言って、俺は左腕の紋様を見せ付けてやった。
 
「それは?」
 
「≪solitary Pluto(孤独の冥王星)≫、俺の力の契約書だ。俺はもう、人間なんかじゃなくて、暴力的な悪魔なんだよ。悪魔は、人間と一緒にいちゃいけない。俺は、もう“死んだ”んだ。『死者』なんだよ」
 
「それって、やっぱり俺たちに気を遣って、ってことになるんかよ……?」
 
渉の焦ったような声も、雨音に掻き消されながら宙を舞う。
 
「そうだな、俺はもう、災いを招く者になってしまっている。俺が招いた災いのせいで、誰かが死ぬのを俺は見たくはない」
 
そう、大切だからこそ、遠ざけるのだ。
 
「杉並、お前はさっき、俺が逃げている、と言ったけど、そうかもしれない。そして、そんな他所に逃げ込むような愚か者に、日常を守る権利なんてのはない。俺みたいな非日常は、日常に紛れ込んじゃいけないんだよ。そして、お前たちがそのことを自覚したことで、間違いなく俺は、ここから“浮いてしまう”。異物となる。異分子は、いつだって内部から圧迫され、淘汰されるものだ。そうなる前に、俺はまた、逃げなくちゃならないのかもな」
 
みんなが黙りこくる。もういいんじゃないか。
俺は、ここまで頑張っただろ?
茜と小恋が泣きそうな顔でこっちを見ている。
何やってんだよ。たかだか1人いなくなるだけじゃないか。
 
「まったく、あんたは一体さっきから何を言ってるのかしら?あんたならその異分子淘汰とやらくらいどうにかできるでしょ。私が見る限り、光雅はあらゆるところで自分の立ち位置を自分で作っていたわ。私たちが知っている弓月光雅はそんな女々しい人間じゃない。それに、私たちにまで影響を及ぼすとか言ってたけど、それって私たちを舐めきっているって解釈で正しいかしら?」
 
杏が言うと、何が何でも説得されそうだ。
あの、自信の満ちた不気味な笑みに。
だが、ここで負けるわけには行かない。
俺は、完膚なきまでにこいつらを論破して、二度と俺に近寄ろうと考えないようにしなければならないのだ。
 
「残念だったな、そいつはお前たちの偶像さ。現に、本当の俺をお前たちは誰も知らなかった。――人間ってのは絶望したときにその本性を発揮するようにできている。ちょうど、今の俺のようにな。だが見てみろよ、今の俺を。これがペルソナを失った俺なんだよ。それに、別に俺はお前たちを舐めているわけじゃない。次元が違うんだよ」
 
「次元、ねぇ……」
 
杏も、もう返す言葉はないだろう。
知りえない世界に対して、口出しは出来ない。
いくら杏の記憶力がいいと言っても、記憶できていなければ意味はない。
もはや誰も何も言わないだろう。
だから、俺は、消える。
俺は背を向け、歩き出した。
 
「…………ぇよ……」
 
渉が何かを呟いた。
 
「まだ終わってねぇよ!」
 
渉が怒鳴る。そして、何を思ったかいきなり拳を握って突っ込んできた。
 
「うぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」
 
なんだ……?なんなんだ……?お前は……?
 
理解しろ。
こいつが何を考えているのか。
こいつは俺に何と言う?
振り向くと。
そこには怒り狂った渉の顔。
そして、震える拳。
俺は、避けきれなかった。
3メートルくらいは吹っ飛んだだろうか。
そりゃ、怒るわな。
 
「簡単なことだろうが……」
 
簡単?この世界にそんな概念は存在してはいけない。
特に、絶望の色で染められた、この殺風景な世界に。
 
「……俺には、杉並や杏の言っているような難しいことはさっぱりわかんねぇけどよ……」
 
分からない。渉の言いたいことが。
だから俺は、思考を働かすのにいっぱいいっぱいで、立ち上がることができなかった。
 
「……お前は、俺の一撃を避けなかった」
 
「……」
 
「お前なら避けられたはずだ!なぜ避けなかった?……簡単だよ、そんなの」
 
簡単なことで、済まされるのか?
俺は、こんなにも考えているのに。
 
「お前、寂しかったんじゃねぇのかよ!?」
 
「何を言い出すかと思えば、それがどうしたんだよ?」
 
「お前の言うゴタクなんてのはどうだっていい!お前がどんな奴かだってどうだっていい!俺がお前と!みんなと!一緒にいてーんだよ!いつもみたいに馬鹿やりてーんだよ!」
 
その時、俺は思い出した。いつかの夢を。
みんながいる場所。でもその影は、みんな霧の中へと消えていく。
俺もそこに入れてほしかった。
1人にしてほしくなかった。
その時、渉の言葉で、その脳裏に過ぎった夢の記憶の風景の霧が、晴れ始めたような気がした。
 
「それに、がくえんちょから聞いたけど、お前がこの世界に来た理由、思い出してみろよ」
 
「……俺は、破滅に向かいつつある人を助けて、全員一致でハッピーエンドだといえる人生を送るためにここにきた」
 
「だろ。確かに今の俺たちは恵まれていて、幸せだよ。でもよ」
 
――でも。
 
 
「――その中に、お前は、いんのかよ?」
 
 
それは、俺が始めてさくらさんと出会った時、迷っていた彼女に対して放った言葉だった。
 
――そうだった。
 
――忘れていた。
 
「俺たちは、お前を捨てる気なんかこれっぽっちもねぇ。それどころか、お前が抱えていた悩みを知ることが出来て嬉しいくらいさ。悪魔だろうがなんだろうが、今ここにいるのはほかの誰でもない、弓月光雅なんだよ」
 
俺は、さくらさんに手を差し伸べた。
さくらさんは、俺に救われた。
そして、そんな彼女と同じ境遇にいる俺。
俺は、差し伸べられた手を、掴んでいいのだろうか?
自分の使命を捨てて、救われるべきなのだろうか?
俺は、どうしたいのか?
 
――分からない。
 
「俺たちみんな、音姫先輩も由夢ちゃんも、白河も、きっと天枷も、お前のことが、必要なんだよ!それに、お前1人が罪を背負うんじゃない、みんなで背負っていきゃいーだけの話さ!俺たちは――」
 
なるほど、確かに簡単な話だった。
それも、驚くほど単純明快で。
 
俺は。
 
――救われたい。
 
もっと、みんなと一緒にいたい。
 
「最高の仲間じゃねーか!!」
 
霧は晴れる。
再び、みんなの笑顔が、視界に戻ってくる。
俺が欲しかったのは、他でもなく、人のぬくもりだった。
俺は、差し伸べられた手を――掴んだ。
そして、また気付いた。
俺は、泣いていた。
滴る雨と一緒になって、涙は頬を伝っていた。
渉の背後から、みんなが歩いてくる。
 
「そうだよ、光雅くん、私たちは、何も変わらないんだよ」
 
「嗚呼、美しき友情かな……」
 
「やっと分かったようね。それにしても、今回渉はお手柄ね」
 
「みんないるから、大丈夫だよ」
 
「ったく、心配させやがって」
 
こいつらに、目いっぱいの感謝をしよう。
間違っていたのなんて、分かっていた。
それでも、間違った道を進まざるを得ないと思っていた。
正しい道は、閉ざされたと思っていた。
それでも、こいつらはそれを切り開いてくれた。
 
――みんな、ありがとう。
 
「ごめんな、……ごめん」
 
「何謝ってんだよ。さて、分かったんなら、お前は今から行くべき場所があるだろ」
 
「え……?」
 
「行ってやれよ。音姉のところ。きっと待ってるから」
 
「分かった。お前らも、風邪引いても俺のせいにすんじゃねーぞ」
 
そう言って、俺は新しく手にした希望をそっと抱いて、水越病院へと向かった。
俺の周りにいる奴が、あいつらで、本当によかった。
俺は、前に進もう。
みんなと一緒に。
 
そう――
 
――みんな、ここにいるから。