27.大切な存在(ヒト)

2012年12月11日 20:17
雨の中、ただひたすらに走った。
確かに、命に別状はないはず。
しかし、精神的な面でダメージを受けていないとも限らない。
 
――音姉は、無事なのだろうか?
 
あいつらのおかげで、俺は全てに覚悟を決めることができた。
無論、みんなと共に歩む覚悟を。
俺の魔法は、守るためにある。
俺は、正義の味方でも、英雄でも、救世主でもない。
それでも。
 
周りにいる人たちの、かけがえのない笑顔を守る力を、俺は手にしたんだ。
 
自惚れでも構わない。
 
思い上がりでも構わない。
 
自己満足でも構わない。
 
――それで、みんなを守れるのなら。
 
――それで、1つでも多くの笑顔をつくれるのなら。
 
しばらく走っていると、目的地に到着する。
俺は、びしょびしょのまま病院内に立ち入る。
そして、知り合いの人を見つけた。
 
「舞佳先生!」
 
舞佳先生に声をかける。
振り向いた彼女は、俺の格好を見て驚いたようだ。
 
「あらあら、弓月君、その格好どうしちゃったの?」
 
「音姉は?」
 
「はいはい、そんなに慌てなーいの。彼女なら無事よ。会いに行ってあげなさい」
 
「はい。どこですか?」
 
「部屋番は、――号室よ。面会はできるけど、その前に、これでちょっと体拭きなさい」
 
そのタイミングで舞佳先生のμ、名前はイベールというのらしいが、彼女がバスタオルを持ってきた。
 
「あ、すいません」
 
そのバスタオルで、頭から豪快に水気を拭いた。
だが、服はどうにもならないだろうから、取り合えず学ランは舞佳先生、というかイベールに預かっていてもらう。
そしてエレベーターで階を上がり、案内板のとおりに通路を進んでいった。
場所はすぐわかった。
というのも、その部屋らしき扉の前に、美夏が椅子に座っていたからだ。
 
「……弓月か」
 
「美夏……」
 
美夏は、何かを言いたげに、こちらを見据えている。
 
「弓月、ここに入る前に、少し話がしたいのだが、いいか?」
 
「ああ」
 
「少し時間がかかるかもしれないが、それでもか?」
 
「言いたいことがあるならその時に口にしておいたほうが、後から楽だぞ」
 
「そうか。では聞いてくれ」
 
美夏は一呼吸おいて、そして話し始める。
 
「美夏は、間違っていたのかもしれない」
 
「間違っていた?」
 
「ああ。美夏は、まるで自分が1人であるかのように錯覚していたのだ。ただ自分の怒りに任せて、敵を作り、勝手に復讐心を自分で煽り、それで他人に迷惑をかけるようなことばかりをしていた気がする」
 
美夏の表情は、今まで俺が見たことないほど真剣である。
 
「でも、ここ最近、いろいろなことがあって、事件があって、理解した。貴様のことも、少しだが分かった気がする。本当に孤独を抱えていたのは、貴様だった。美夏は、そんなことにも気づこうとしなかった」
 
「そりゃ、俺自身気づかなかったからな」
 
「そうなのか?まぁ、いい。貴様はそれでも、誰かと関わりを持つことを諦めなかった。1つの社会的生命体としての自分を捨てることをしなかった。悔しいが、美夏とは大違いだ」
 
いや、違う。それは、俺がただ逃げていただけなんだ。
でも、それでもいいじゃないか。
それが俺の人生だ。
誰にも否定はできない。もちろん、俺自身も否定できない。
俺は、その覚悟を決めたんだ。
 
「美夏は、貴様たちみたいな人間がいることを知らなかった。とにかく人間が悪者だと決め付けていた。でも、そんなことはなかった。杏先輩も貴様も、美夏を受け入れた。他の連中も、そうだったら嬉しい。だから美夏は思ったんだ」
 
美夏の心が少し変わった。
そのほんの少しの変化は、世界を変える。
 
「人間を、信じてみよう、と」
 
こいつは、自分なりに苦しんでいたのだ。
50年前の人間たちと、目の前の俺たちの態度の違い。
そのギャップに、ずっと悩まされ続けていたのだ。
どちらが本当か。
でも、美夏はやっと気付いた。
どちらも本当なのだと。
 
「だから、そのきっかけを与えてくれた貴様には感謝している」
 
もちろん杏先輩にもな、と付け加えて。
 
「だから、ありがとう。『光雅』」
 
……今こいつ、俺のことを下の名前で……。
 
「お前、呼び方……」
 
「んああ、友達というものは、下の名前で呼ぶのが普通なのだろう?だから美夏も、その作法に則らせてもらう。それに、光雅は最初か美夏のことを名前で呼んでいたからな。……嫌なのか?」
 
美夏にしては珍しく、不安げな瞳を向けてくる。
 
「ああ、これからもよろしくな。美夏」
 
俺たちは、硬く握手をした。
人間とロボットの、厚く固い壁に、ひびが入った瞬間だった。
 
「もう用は済んだ。貴様の無事な姿を見せてやれ」
 
「ああ。ありがとな、美夏」
 
それだけ言うと、美夏は俺が来た道を歩いて去っていった。
 
「さて……」
 
そのドアをノックする。
中から返事は――。
 
「どうぞ」
 
あった。
俺は、ゆっくりと、その扉を開けた。
6人部屋の一番奥、1人しかいないその部屋の窓際で、静かに外の景色を眺めている、よく知った人の横顔。
その顔が、ゆっくりとこっちを向く。
そして、2人の視線が交錯した。
俺の存在を認めるなり、音姉は、微笑んだ。
 
「おかえり、光くん」
 
その声を聞いて、俺は本当に安心した。
涙が零れそうだった。
 
「音……姉……、よかったっ……!」
 
つい感極まって、服がまだ乾いていないのを忘れて、ベッドに座っている音姉を抱きしめてしまった。
 
「うわっ、ちょ、ちょっと、光くん……?」
 
「本当に、よかった……」
 
「私なら大丈夫だよ。光くんが助けに来てくれたから」
 
「俺は、守りきれなかったのに……!」
 
「守りきれなくても、助けてくれたんだよ。だから、私はここにいる」
 
音姉の優しい手が、俺の頭を撫でる。
音姉が、ここまで姉らしく思えたのは、これが始めてかもしれない。
 
……いや、何か違う。
 
この感情は、そんなものじゃない気がする。
音姉がそばにいるだけで、こんなにも安心できる。
その理由は……。
 
大切な家族だから?
それもそうだけど、でもそれ以上に――。
 
――何もかも、簡単なことだったんだな、渉。
 
俺は、音姉のことが好きなんだ。
 
姉として、じゃない。
 
俺が1人の男として。
 
音姉が、1人の女性として。
 
そう実感すると、音姉を抱きしめていることがすごく恥ずかしくなった。
だから、悟られないように、そっと放す。
 
「音姉、いつになったら退院できる?」
 
「ああ、それならすぐにでも帰れるよ。一応病院にはお世話になっちゃったけど、別にどこか具合が悪いわけでもないしね。ただ、光くんが来る気がしたから、待ってたんだ」
 
「それは、割と長い間待たせちまったようで」
 
「それほどでもないよ」
 
「それじゃ、帰ろうか」
 
「その前に、着替えちゃうから、ちょっと待っててくれる?」
 
そういうなり、音姉はいきなり自分の服に手をかけ、脱ぎ始めた。
 
「うわっ!ちょ、ちょっと待った!出ていくからちょっと待って!」
 
「なんで?別にいいじゃない、姉弟なんだし」
 
もう俺にその理論は通用しない。
前から通用していたわけでもないが。
俺はもう、音姉のことを『好きな人』として認識してしまったのだから。
……ああ、考えるだけで恥ずかしい。
 
とりあえず、俺は急いで部屋を出て行った。
そして音姉は着替えを終え、舞佳先生に挨拶をして、学ランを返却してもらい、傘を1本もらって帰路へとついた。
そう、傘は1本である。
従って、同じ傘に2人で入っている状態。
嫌でも体が密着してしまう距離。
いつもなら俺が拙そうな顔で渋々くっつけているのだが、そばにいるだけでなんかこう、ねぇ……。
ああ、駄目だ、一度気付いてしまったら、どうしようもない。
とりあえず、今日はこのまま帰るとするか。
 
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芳乃家前。
ようやく戻ってきた。
杉並と、由夢との約束を守って。
今ここにいるのが、奇跡なんだと思う。
そして、家に入る。
後ろから音姉も。
ただいま、と言ったのだが、返事はない。
みんないないのだろうか?
ふと気がつくと、客間から明かりが漏れている。
電気の消し忘れだろうか?
その部屋を覗いた時。
 
「「「「「「「「「お帰りなさい!」」」」」」」」」
 
そこには、いつも一緒にいる6人に、美夏、そして由夢、さくらさん。
俺が病院に向かっている間、速攻で準備したのだろうか、料理がテーブルに並んでいる。
これほどまでに、嬉しい瞬間はなかった。
幸せだと思えた瞬間はなかった。
 
俺は。
 
この幸せを、この世界を与えてくれるここのみんなに。
 
俺の大切な存在(ヒト)たちに。
 
心から、感謝をしたい。