3.決戦の覚悟

2013年11月05日 23:26
俺が桜並木を引き返していると、向こう側からよく知った人物が歩いてきた。
神出鬼没、正体不明のクラスメイトにして、非公式新聞部の部員、杉並。
今日は休日ということで、私服で動いているようだ。
 
「よう、同志弓月改め芳乃」
 
「いい加減にしろ、その呼び方。もっとまともなのはないのか?」
 
訊き返すけど、杉並はそんなことはどうでもいいかのようにフフンと笑い飛ばし、その皮肉めいた笑顔で俺を見た。
 
「して、弓月、貴様の懸念している敵、というのも、弓月と同様多世界から来た者なのか?」
 
それは、先程本人が言っていた。
『ドラゴン』は、ここの世界の人間ではない。
俺と同じ他世界から来た異能者だ。
 
「みたいだ。それがどうした?杉並」
 
「いや、弓月と出会えたことに、喜びを感じているといったところか。貴様のおかげで、様々なミステリーに出会うことができた。ミステリーは稀有な現象だからこそ美しいものだと思っていたのだが、いかんせん、弓月のおかげで短期間に何度も巡り合った。俺の幻想は打ち砕かれた。しかし、『ミステリーが短期間に複数起こる』ことそのものが、ミステリーではないか?」
 
いや、そんなことを俺に訊かれても何とも言えないんだが。
しかし、そうか。
確かに、俺がいたことで、みんなをいろんな目に巻き込んでしまったな。
全ては、あの夏の日、あの旅館で、音姫を巻き込んでから。
そう、本当にいろんなことがあった。
 
「さて、その敵という存在も、恐らく弓月と似たような存在だというのなら、当然その者の周りにもミステリーが存在しているのでは、と考えたのだよ」
 
「例えば?」
 
「ふむ……、具体的には言えないのだが、例えば、そうだな、実はそいつも、ここに来る前にも何度か貴様の言う、転生とやらを複数回体験している、とか、それほどの奇跡を有するものなら、『神』の存在も理解しているのかもしれない……とな」
 
神の存在……。
俺は確かに転生してこちらに来たのだが、その時に出会ったのは、正確には『神』ではなかったと思う。
なんでも、『魂の選別者』とか自称してたような。
ならば、彼は恐らく神ではないのだろう。
神の僕?あるいは、神と同等の力を持った、別の何か……?
俺には、よく分からなかった。
不思議な力を持ってなお、俺には分からないことが多かった。
 
「知らんよ。俺だって『ドラゴン』が何者か完全に把握できたわけじゃない」
 
「完全に、ということは、心当たりは、あるんだな?」
 
「……さぁな」
 
ないわけがなかった。
俺は知っていた。
誰よりも幸福を奪われて、世界に絶望して、独りになって、失うものすら失った人物を。
そしてその者は、世界、次元そのものを消滅させることで、その運命を捻じ曲げようとしているのかもしれない。
俺は、かつて一緒だった3人の顔を脳裏に思い浮かべながら、杉並の横を通り抜け、自宅まで帰っていった。
 
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夜、俺が風呂から上がって自室に戻ると、俺のベッドにさくらが腰かけていた。
その顔は、何とも不安そうで、誰かを心配して、そして未来に憂いていた。
きっと、いや、どう考えても、明日のことで、恐怖を感じているのだろう。
 
「うにゃ、光雅くん……」
 
「どうした?」
 
無理矢理笑みを浮かべるさくら。
俺に心配を掛けまいとして、精一杯の強がりをしているのだろうが、どう見ても心もとなかった。
俺はさくらの隣に座り、さくらの言葉を待つ。
するとさくらは何も言わずに俺にくっつくように寄り添い、俺の腕を絡めた。
 
「いいよね……?ボク、光雅くんの、お姉ちゃんなんだもん……」
 
「ああ」
 
その小さな体は震えていた。
小さく、小刻みに。
世界の存亡をかけた戦い、という、あまりにも日常離れして、漫画やドラマなどの空想の世界でしか起こり得ないような大事件を翌日に控えて、そして、さくら自身が、その事件に介入しうる力を持っている。
俺も怖かった。
前の世界で凶悪犯を何人も相手にしたり、こっちの世界でも、様々な強者と相対した。
戦闘経験は皆無ではないが、世界そのものをかけた戦いは、当然初めてだった。
俺のように何度も戦闘を経験した人間が恐れをなしているというのに、ほとんど皆無なさくらが、恐怖に慄かないわけがない。
その姿は、ただの、1人の少女だった。
脅威に怯え、重すぎる責任に混乱し、そして、誰かにすがることで、それを乗り切ろうとしている、どこにでもいる少女。
今の彼女は、魔法使いでも、学園長でも、一家の主でもなかった。
本当に、本当に弱々しい、1人の少女。
俺は、さくらの両腕から自分の腕を引き抜き、さくらを引き寄せるようにその肩を抱いた。
その体は、やっぱり、震えていた。
 
「怖いんだ……」
 
ぽつりと、震えた声で、静かに言葉を漏らす。
その言葉には、これ以上にない重さを伴っていた。
今にも泣き出しそうな、そんな。
 
「分かってる。ボクが自分から望んで戦いの世界に飛び込んだこと。でも、それでもやっぱり、初音島だけじゃなくて、この世界に生きている人みんなの未来が、ボクたちに委ねられている。考えたこともなかった。こんなことになるなんて……」
 
「さくら」
 
そっと、小さな小さな少女に、呼びかける。
肩を抱いた腕に、少し力を込める。
 
「俺だって怖いさ。もし負けてしまえば、その時点で俺たちの明日はなくなってしまう。もし勝てたとしても、誰かを失ってしまうかもしれない。そんな未来は、在ってはいけない。でもな、ありふれた言葉だけど、俺たちは、できることをするしかないんだよ。俺はみんなを守るために、全力で『ドラゴン』を捻じ伏せる。そして、誰一人として、失うわけにはいかない。だからさくらも、みんなを守っていてくれ。俺も、さくらを守るから」
 
「うん……」
 
さくらを、安心させてあげたかった。
この小さな体が、大きな重圧に耐えられるよう、その重荷を、少しでも分けてもらいたかった。
俺はさくらに、笑顔でいてほしかった。
だから、俺はさくらに一番近しい者として、さくらの弟として、守るべき者として、そっと抱きしめる。
 
「あっ……」
 
突然の俺の行動に、ちょっと驚くものの、俺に身を委ねて、さくらは少しばかり、安心したようだ。
 
「光雅くん、音姫ちゃんのこと、好き?」
 
「ああ、勿論だ」
 
さくらの前で、平然と、肯定する。
少しさくらの表情が翳ったが、それは分かっているのに訊いてきたさくらのせいだろう。
 
「音姫は、俺の救いなんだよ。俺の罪を赦してくれた、そして、一緒に隣をいつまでも歩んでくれる誓いを立ててくれた、そんな、俺の救い。だから、代わりに俺は、音姫の隣にい続ける。音姫を、守り続ける。音姫は俺なしじゃ生きていけないだろうし、俺も音姫なしじゃもう、生きていけないし、生きていく資格すらなくなってしまう。だから、明日は、絶対に、負けない」
 
「にゃはは、やっぱり、光雅くんは凄いや。……ねぇ、光雅くん、寝る前に、最後のトレーニングに付き合ってくれる?」
 
「……いいのか?」
 
「うん。今なら、全力を出せる気がするから」
 
「分かった」
 
さくらの表情は、真剣だった。
それは、戦う覚悟を決めた、戦士としての眼。
言い換えれば、力ある魔法使いたちが、試練に立ち向かう時に、その壁を見据える時の、闘志。
だから俺は、午後9時30分、最後のトレーニングを始めるために、≪幻想空間(ヴィジョンスクエア)≫を展開した。
 
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真っ白な空間。
どこまで続いているのか分からない。
いや、この空間は、どこまでも続いている。
紛れもない、夢の世界だからだ。
俺が創造した、何もない、永遠に続く、そんな平坦な夢。
そこに、俺とさくらは立っている。
 
「光雅くん、お願いがあるんだ」
 
「どうした?」
 
さくらは1つ深呼吸をして、そして、とんでもないことを俺に注文する。
 
「このトレーニング中、ボクと対峙する時、≪solitary Pluto(孤独の冥王星)≫を発動して戦ってほしい」
 
「さくら、何を言って……!?」
 
「ボクは、ロイくんや優香ちゃん、それに光雅くんに比べて、確実に戦闘経験が少ない。そもそもそっち系統の魔法使いじゃないからね。あくまでオールラウンドの魔法使いだったから、できないことはないんだけど、戦闘に特化したわけじゃなかった。だから、どんな相手と戦うことになってもいいように、光雅くんにはベストコンディションで戦ってほしい。これが、ボクの覚悟……」
 
さくらが自ら戦いたいといった時、俺は確かに言った。
やるからには本気だ、と。
さくらは、それを本当の意味で理解していたのかもしれない。
ならば、俺はそれに応える義務がある。
孤高の異名を持った、魔女として畏れられた、とある大魔法使いの孫娘のプライドを、汚すような真似は、俺にはできない。
 
「分かったよ。但し、あれを使うからには、俺は手加減はできないぞ。大丈夫だな?」
 
「うん」
 
さくらの即答の返事を聞いて、俺は安心した。
さくらは、躊躇わなかった。
だから俺は、孤独から昇華された想いの力を、発動する。
 
――我は永遠の彼方の天空に煌めきし冥王の諡を授けられし者なり――
 
――万物を求め、万物を滅ぼし、その悦楽を知りし我は、汝らの近づくべき者にあらず――
 
――その名は群がる全てを退かせ、跪かせ、孤独の名のもとに孤高の力を示し、真に無双の境地へと我を導かん――
 
――今無限を呼び起こすことをここに宣言するその名は――
 
 
「――≪solitary Pluto(孤独の冥王星)≫!!」
 
≪solitary Pluto(孤独の冥王星)≫を限りなく最高出力で展開する鍵となる呪文を唱え、俺は孤独の力を身に纏う。
俺の左腕にある紋様は強烈に発光し、俺の両目は禍々しい金色に輝いているのだろう。
今まで出したことのなかった、俺の全力。
さくらも俺の様子に、驚愕しているようだった。
 
「これが、本来の≪solitary Pluto(孤独の冥王星)≫……」
 
「そういうことに、なるな」
 
恐怖。
強大な力と相対する、その重度のプレッシャーと畏怖。
それがさくらをこわばらせた。
 
「ううん、でも、大丈夫。ボクも、その境地に辿り着かなくちゃならないんだ!この初音島を、いつまでも平和な島にするために、ボクは戦う。おばあちゃんの想い!ボクの想い!その全てを、悲しみを鎮める力としてボクが全て背負う!行くよ、ボクの桜!」
 
すると、さくらの魔力が急激に膨れ上がるのを感じる。
これは、魔法使いが何らかの感情に極端化した状態になると発動する魔力強化だ。
そして、今のさくらの中では、覚悟、決意が、それだった。
その純粋無垢な想いの力は、彼女にとっての最大の力となり、奇跡となるだろう。
 
「『月光桜-蓋世不抜ノ型-』!」
 
……
 
…………
 
………………
 
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真っ暗な部屋で、電気を消して、俺はベッドで横になっていた。
俺の隣では、さくらが横になっている。
いわゆる添い寝ってやつだ。
 
「なぁ、さくら」
 
「うん?」
 
「もし、だ。もしさくらに本当の姉妹や兄弟が1人いたとして、そいつと何かの取り合いで喧嘩になったらどうする?」
 
唐突で、意味不明な質問。
黙ってくれていてもよかった。
それだけバカバカしくて、情けない質問。
でもさくらは、それに答えてくれた。
 
「ボクはね、負けないよ。ボクは、自分で考えてとった行動は、いつも自分にとって大事なことだって信じてるから。だから、その信念を貫くために、ボクは負けない。その勝負で結局負けてしまうことになったら、ボクよりもその人の方が、正しくて強い信念を持っていたんだと思う」
 
さくらの声色には、どこか懐かしい響きを持っていた。
 
「ボクがキミくらいの頃にね、ボクはお兄ちゃんをめぐって音夢ちゃんと喧嘩したんだ。ボクはお兄ちゃんのことが本当に大好きだった。音夢ちゃんもそれは同じだった。ボクと音夢ちゃんの信念がぶつかって、ボクが負けたんだ。お兄ちゃんは音夢ちゃんを選んで、音夢ちゃんは想いが報われた。そして、お兄ちゃんたちは、その先に待っていた過酷な試練を乗り越えて、幸せになった」
 
さくらの過去の話。
さくらが無意識のうちに2人を傷つけ、それでも3人は、それぞれのあるべき形に戻った。
音夢さんの想いが本物でなければ、その試練は、きっと乗り越えられなかっただろう。
 
「でもね、明日の戦いは、負けるわけにはいかないんだよ。ボクと、光雅くんと、それからこの島のみんなの信念が、負けるわけにはいかないんだ。だからボクは、戦うって決めたんだ」
 
「そっか」
 
俺は、何十年もの間、誰にも甘えられなかったこの小さな体の、小さな頭を撫でてやった。
ゆっくり、ゆっくり、子兎を愛でるように。
 
「おばあちゃん……」
 
気持ちよくなってうとうとし始めたのか、さくらはそのまま眠りについてしまったようだ。
俺は――
俺は、この決意を、覚悟を、無駄にしないために、絶対に勝ってみせると、この安らかな寝顔に誓った。