5.強さの定義
2013年11月05日 23:27
俺たちは桜並木を抜けて、桜公園にまで来ていた。
既に桜は枯れ、薄紅色の花弁が咲き誇っていた頃の、壮大で、夢のような景色は、ここには既に存在していなかった。
先程ロイが救援に出撃してから既に10分は経過している。
襲撃されたのはアイシアと美夏。
アイシアには一通りの防御魔法は教えているため、少しくらいの時間稼ぎはできるだろう。
そのうちにロイが追い付いてくれれば問題ないが――もしこれがアイシアたちでなければ、どうなっていただろう。
そう思うと、本当に油断できない1日となることが、よく分かった。
「……何か来るよ」
さくらが真剣な表情で空を仰ぐ。
それは、俺にも優香にも気付いていた。
「ここは私が引き受けます。皆さんは、このまま先に進んでください。そして、必ずや『ドラゴン』を、阻止してください」
優香は覚悟を決めて、この場に残ろうとしている。
俺たちは頷いて、彼女の意向に従うことにした。
その時だった。
「伏せろ!」
突然の爆音。
砂埃が舞い、視界が遮られる。
俺は音姫の腕を探して掴み、引き寄せる。
「みんな、大丈夫か!?」
「俺と由夢は無事だ!」
義之の声が聞こえる。
どうやら大丈夫だったらしい。
さくらは彼女なりに防御結界を出現させていたようだ。
気が付けば、少し離れたところに、女性が1人、立っていた。
薄い紫色の長髪をゴムバンドで後ろに束ね、腰に2丁の両刃の剣を下げている――人間ではない――女。
その生気のない瞳は、視線は、同じく腰に刀を下げた少女に向けられていた。
恐らく義之たちを保護したのは彼女のようだ。
障壁を使った形跡が、彼女の周辺の魔力に残っている。
「『ドラゴン』の命令。だから、あなたを殺す」
その女は、単調に言葉を発する。
俺は、驚愕していた。
「私の名は、月宮輝夜(つきみやかぐや)」
その艶やかな薄紫色の髪を、そして、その神々しい名前を、知っていた。
彼女は、俺の兄さんの、そして、俺自身の、かつての友達だったのだ。
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~美夏side~
目の前には2人の魔法使い。
魔法という非科学的要素を行使してこれから戦闘を行うようだ。
相手の周りには赤黒い魔法陣が、そしてロイの周辺には薄い水色の魔法陣が複数出現している。
――美しかった。
これからお互いの命を懸けた殺し合いが始まるというのに、美夏はそんな馬鹿げた感傷に浸っていた。
「天枷ちゃんたち。これからここは泥臭ぇ喧嘩の場所になる。巻き込まれたくないなら、ここを離れな。嫌なもん見たんだろ。お前たちはよくやった。さっさと芳乃家に戻って、茜さんたちに無事を報告してきな」
ロイは美夏たちに撤退を指示した。
確かにこの場では、ロイが全力を出す事も考慮すれば、それが最良最善の選択かもしれない。
だがしかし、それが美夏の本意かどうかといえば――否、だ。
「美夏にとって、これから起こる出来事はこの目にしかと焼き付けておくべきことだ。あの光雅がどのような世界を生きているのか、戦うというのは、どういうことなのか、その答えを、美夏は見つけなければならない」
「美夏ちゃん……」
美夏の隣で、アイシアが呟く。
その表情は、決して非難するものではなかった。
美夏の言い分を認め、そして、同じく意志を教諭する瞳。決意に満ち溢れた瞳。
ロイと同じ魔法使いとして、そして、旧友が戦地に立っている者として、その存在を、記憶していたいのだろう。
ロイは美夏たちを見て唖然とするが、やがて苦笑し、そして頷いた。
「へいへい、俺から学べることなんて、高等過ぎて何もないと思うけど、それでもいいっていうなら、思う存分見学していってくれ。とことん巻き込んでやるからよ。それじゃ、くるぞー!」
ロイは楽しそうに笑う。
そして、その笑みを打ち崩そうと、相手の――時川の魔法陣から出現した、先程美夏たちにも襲わせた無数の針がロイに降りかかる。
まさしく雨のように、そう、血の雨のように、絶え間なく降り注いだ。
「≪幻惑する氷結の水晶(クリスタルミラージュ)≫」
地面から分厚く、そして強引に削り取ったような絶壁を誇る氷の壁が出現し、それに次々に針が刺さっていく。
しかし、その針は刺さっていく、というより、どこか溶け込んでいるようにも見えた。
「水晶玉ってさ、面白いよね。よく手品とかで使われたりとかしてさ。その玉をどこから見ても何の変哲もないガラスの玉。でもね、そこには他人を幻惑する面白いお呪いが仕掛けられてるんだぜ」
美夏たちにも、気が付いていなかった。
あまりの氷の壁の迫力に、そちらにばかり目が言っていた。
「あ、あれ……」
アイシアの驚愕する声で初めて気が付いた。
時川の背後に、同じような氷の絶壁が出現していたのだ。
そして、その壁の中には、同じように、無数の針が、呑み込まれていた。
「ディスペル」
氷は消えてなくなり、その背後の氷の絶壁から、同じように時川に針が降り注がれた。
決まった――そう思ったが、流石は魔法使い、一筋縄にはいかない。
天に掲げた左手に、魔法陣が張られていた。
その魔法陣すれすれで、無数の赤黒い針が、完全に静止していた。
「タイムストップの術式ってとこか。どこでそんな魔法を覚えたのか知らねぇが、小癪だな。折角こっちもわざわざ防御魔法に誘惑の属性つけてたっていうのに」
「誘惑の属性って、じゃあさっきのロイくんの正面にあった壁は、それそのものに人の視線と心を引き付ける能力があったってこと!?」
アイシアが隣で感嘆している。
実際に、美夏もアイシアも、先程のアレに見惚れていたのだ。
そこにあるものを真であると信じて、疑わなかった。
これが、幻惑……。
「さっきの針は、恐らく『真実を穿つ』辺りが能力として付加されてんな。俺がまんまと普通の防御結界とかを使ってれば今頃美味しく調理されてたろうけど、残念ながら俺の今の障壁は、『虚偽』を司る幻惑だったんだ。突破できるとでも思ってたんだろなー」
「……」
時川はロイの挑発めいた解説に何の言葉も発さない。
しかしロイはそのまま喋り続ける。
「俺さ、少し昔に考えてたことがあるんだよ。人ってどーして頑なに強くなりたがるんだろうなってさ」
既にロイの眼前からは氷壁は消え去っており、ロイは少しずつ時川に向かって歩いていく。
ゆっくりとした歩調で、淡々と言葉を発しながら。
「簡単なことだった。それは単純に、誰にも負けないようになるためなんだよ。勝てば官軍、負ければ賊軍の法則に従って、勝ち続けりゃいつだって正義なんだからさ」
美夏は、そんなことを当り前のように言ってのけるロイに、違和感を感じた。
それでは、光雅の優しさはどうなる?
何故光雅は強くあり続ける?
力を以って相手を捻じ伏せて常に勝者であり続ける為なのか?
美夏は、それではいけないと光雅から教えられたのだ。
それこそ、美夏の過去の姿であり、憎しみだけで、敵意だけで動き、力だけで支配する、愚かな存在であった。
「うん、それは正解だった。でもな、面白くないんだよ、それじゃ。なんてゆーか、美しくない。戦いの後に何ももたらさないっていうのは、ただ自分の体を、精神を疲弊させるだけで、何も得るものはない。強いていうなら、勝利への陶酔だけだ」
面白くない、か。
ロイの言いそうなことだ。
確かロイと光雅が初めて出会った時も、いきなりロイが光雅に挑戦したらしい。
理由は戦って面白そうだったからとか。
阿呆らしいが、それでも彼らは、その後に、信頼できる仲間を得た。協力し合える助っ人を得た。
「つまりだ、俺が言いたいのは、結局なんで戦うのかっていうと、やっぱり誰かのために戦うのがカッコイイ姿で、美しくて、認められるんだと俺は思う。そしてその後に味方してやった人たちから与えられる歓声は本当に心地いいんだぜ。だから俺は強くなって、ひたすら強くなって、世界各地を飛び回っては紛争を解決していった。やっぱり、魔法は想いの力だって、本当に模範的で的を得た正解なんだよな」
そこでロイはにやりと笑う。
「ところで時川っつったっけ?アンタ実はもう詰んでるんだよ。負け決定」
「なんだと?」
突然ロイが勝利宣言をする。
そもそもロイも時川もどちらとも傷一つついてはいない。
状況は拮抗していて、むしろここからが本番だと思っていた。
「俺の魔法が何に特化したかもう忘れてんのか?さっき俺はお前のすぐ後ろで≪幻惑する氷結の結晶(クリスタルミラージュ)≫を氷解させた。さて、氷が解けると何になる?だが解けた氷は目に見えない。だったら何になったと考えるのが手っ取り早い?そ、俺がここで指パッチンすれば――」
ロイが指を鳴らす。
周囲にその音が鳴り響いたかと思うと、どこからか、カチコチと氷結音が聞こえてきた。
音源は――時川。
まさか、まさかロイは、先程の魔法の氷の壁を解除してあの針を射出すると同時に、水蒸気を時川の周辺に撒き散らしていたのか!
そしてそれを彼の得意魔法で一気に氷結させることで相手の行動を完全に封じるということか!
「ちく……しょ……」
時川が動けずに呻く。
悔しそうに奥歯を噛み締め、ロイを睨む。
そして杖の先端の宝珠を光らせ、そこから植物の蔓のようなものが無数に生えてきた。
「往生際が悪いなぁ。猛毒を持った、コウモリの使い魔専用の治療薬の素材元の木の根ってか」
ロイは両手の拳を握りしめて親指を合わせるように前に突き出し、ゆっくりと左右に広げる。
するとそこに、少しずつ、薄い水色の、発光した棒が出現する。
――『氷槍』。
彼の持つ最強の武器。
それを縦横無尽に、それでいて隙もなく振り回し、襲い掛かる蔓を弾いて、切り裂いていく。
そして突進。
一気に距離を詰める。
15メートル、10メートル、5メートル……
そして、ゼロ。
槍は、彼の胴を貫いていた。
羽織っていた黒いローブを貫通し、その背中から、鋭利な氷の刃物が煌めいていた。
「お前とは、『氷槍』として、生きたまま会って戦いたかったよ。お互い魔法使いとしてな。こんな機械の体を貫いたって、面白くねぇんだよ……」
倒した男の顔を見ることもせず、ロイは男を、時川を憐れんだ。
ロイが槍から手を放すと、槍は自ずと消えていった。
終わったのだ、この戦いは。
美夏たちは状況を確認しようとロイに接近する。
「ロイくん、大丈夫!?」
アイシアも相当心配したようだ。
確かに、相手も相当の手練れで、アイシアは、美夏と共に1度殺されかけたのだから。
「大丈夫も何も、パーフェクトゲーム!俺はノーダメージだよ。そっちは?」
「あ、あたしたちは大丈夫だよ。ロイくんが駆けつけてくれたから」
「駆けつけたって表現は違うなぁ。そうじゃなくて、俺は翔んできたんだよ」
戦後だというのに、呑気な会話が続く。
緊張や疲労など、何一つ感じさせない爽やかな表情。
ロイ・シュレイドという男は、こういう馴れ馴れしい点で、他人を安心させられる点で、光雅を超えた存在なのかもしれない。
だが、まだ終わっていなかった――
「やっべ、お前ら伏せろ!」
ハッとロイが振り返ると、その表情は一気に焦燥に歪んだ。
ロイが大声を張り上げて怒鳴りつける。
完全停止した時川“だった”『μ』の、穴の開いた腹部から光が漏れている。
そして、ロイは美夏たちを庇うように立ち――
――ドゴォォォォォォォォォォォォン!!!
大爆発が起こった。
「うわぁぁぁあぁぁああああ!!!」
「きゃぁああああぁぁぁあああ!!!」
美夏たちの悲鳴も、爆音に掻き消され、そして頭を痛めるキーンという耳鳴りがしばらく頭中を震わせる。
砂埃が舞い、何も見えなかった視界が徐々に開けてくる。
まず最初に目に入ったのは人影だった。
恐らくはロイだろう。立っているということは、そして美夏たちが無事であるということは、彼も無事なのだろう。
そして次に視界に飛び込んできたのは、大きな穴だった。
爆心地となったそこに、大きなクレーターのようなものが作られていた。
それほどまでに巨大な爆発だったということか。
「お、お前ら、大丈夫か……?」
ロイの、焦ったような声が聞こえる。
「う、うん、あたしたちは大丈夫っぽい」
「そうか……ッ!」
何かを堪えるような、瞬間の呻き声。
美夏は、彼の姿に違和感を感じていた。
何かが足りない。何かが――
彼は、自分の右手を、左肩に当てていた。
美夏は、驚愕した。
彼の左腕が――完全になくなっていた。
「ロイ、貴様――」
「ああ、いや、左腕くらい大したことねーよ。無理矢理だけど止血にも成功したし、腕一本の犠牲でお前らを助けられたんだ、それだけで、それだけで……!」
その時、美夏の隣にいたアイシアが、ロイに飛びついた。
彼の胸元に飛び込んだ。そして、力任せに抱きしめた。
閉じた瞼の端から、涙が零れていた。
「お前たちが無事で、本当に良かった……!」
ロイは、空いた右腕で、そっとアイシアを抱きしめていた。
美夏は、その光景を見ながら、悔しさに身を震わせ、芳乃家の自宅の電話に、負傷者の報告をしていた。