9.「examination」

2012年12月18日 18:59

ついに迎えた決着の土曜日。
とりあえず鉛筆数本と消しゴムが入った筆箱とか財布とか携帯とか、そういったものをポーチにしまって、外出の準備をする。
「それじゃ、行くぞ」
「はい」
もうこの生活のも三日で慣れてしまった。
響子は学校でもうまくやっているらしいし、俺自身、テスト勉強もしっかりできた。
ただ一つ気がかりだったのが――。

月曜日の夕方、あの事件のことである。
あの日、響子は間違いなく組織の連中に狙われた。
あいつを人質に取れば、俺を組織に引き戻すことができ、更に俺の行動をコントロールすることができる、そんな考えだろう。
勉強に集中しすぎたあまり、約束の時間を過ぎて小学校に顔を出した頃には、もう騒動は始まっていた。
響子が男たちに囲まれ、車に無理矢理連れ込まれようとしていた。
俺は助けに行こうとした――躊躇った。
何故――念動放火能力を使うには、火種が必要。
その火種はどこに――マッチは今持っていない。
火種がなくとも、炎は創り出すことができる。
しかし、それは無理矢理に『非現実』を『現実』に呼び起こすことであって、それは『現実』にかなりの負担を強いる。
その負担は、その『歪み』を生み出した張本人、つまり俺に与えられる。
一度火種なしで炎を操作したことがあったが、その時は、後に強烈な頭痛、吐き気、そして猛烈な倦怠感に苛まれ、しばらくまともに立っていることすら適わなかった。
つまるところ、能力を使う際の、デメリットである。
俺はそれを恐れた。
結局、自己保身に走った。
その一瞬の躊躇いに対応するかのごとく、驚異的な身体能力で組織の連中の逃走手段を奪った青年。
彼は風のように男たちを薙いで、その騒動を終息させた。
彼も、『非現実』を操ることができるのだろうか?
彼と対面した時、青年が言った。
『何者だ』と。
俺が直前に見知った男の顔を見て、不快に思ったのが顔に表れたのを読み取ったのだろう。
桁外れの洞察力、並外れた身体能力。そしてたくさんの死線を乗り越えてきたであろう、その経験に裏打ちされた余裕の態度。
この完璧野朗は、俺のことを疑っている可能性がある。
その猜疑は、紛れもなく正解であって、あまり周辺に知らされては困る。
そして、その青年は、制服からするに、恐らく東敷学園の生徒。
俺が今後通うであろう学校の生徒であった。
まったく、俺に日常なんてのは、無縁の言葉だったのだろうか?

いろいろ考え事をしているうちに、辿り着いた。
試験会場。
俺はもちろん教室で受けることなどできない。
俺が通されるのは、個別指導室である。
ここなら他人の解答でのカンニングはできないし、教師がマンツーマンで相手することができるため、監視も厳重にすることができる。
もっとも、それくらいしてもらわないと、万が一俺が好成績を取った時、難癖つけて不正行為をしたとかで無効になってしまいかねない。
それでは本当に困る。
さて、もう時間だ。
やるだけのことはやったし、大丈夫だろ。
まずは世界史。
理系教科は計算でケアレスミスを犯す可能性がある。
だから、ここは安全に文系教科で、なおかつ暗記教科を攻略することに決めた。
そして、倫理。
続いて国語。
英語。
リスニング。
数学ⅠA。
数学ⅡB。
最後に生物。
必要点数は600点。
理科社会で点を稼げなければ、到底無理だ。
きっと数学で足を引っ張る。
だから、テスト勉強でも、理科社会には力を入れておいたのだ。

丸一日を使って、全教科終了。
とはいっても、俺には響子の送迎があるため、余った時間はカットしてすぐ次の教科を受けるようにしたため、他の生徒と比べて大分早く終わっているはずだ。
目の前で、教師が採点をしている。
当然、俺が受けるのは公式ではない。
唐突に決まったことであり、模試代金を払っているわけでもないため、あらかじめコピーされたもので解答をしているのである。
ボールペンを走らせながら、マルとバツを記入していく教師。
別に緊張などしていない。
緊張して祈ったところで別に点数が変わるわけじゃない。
そして一教科目。
世界史。

91点。

われながら上出来である。
次、倫理。

84点。

そんなもんだろ。
次、国語。

132点。

大分落ちてしまったが、国語は一問の配点がおかしいから気にしない。
次、英語。

176点。

もう少しある自信があったんだが。
次、リスニング。

46点。

組織の中にもネイティブの英語圏の人間がいたため、俺自身簡単な英語は話せるし、聞くだけならある程度は理解できる。
ぶっちゃけ実際の外国人のほうが早口で聞き取りづらい。
二問どこで間違えたのだろうか。
200点換算だと、四捨五入で178点だ。
次、数学ⅠA。

75点。

あれ、意外と出来てた。
予想だと60前後だと思ってたんだが。
次、数学ⅡB。

81点。

何が起こったのだろうか、ⅠAより出来てしまった。
ラスト、生物。

77点。

そこそこだな。遺伝は苦手だ。
結果、合計。

718点。

「なん……だと……!?」
教師が吃驚している。
そんなに驚くことだろうか?
……驚くことだろうな。
「ま、まぁ、確かにお前は不登校になる前はなかなか好成績を収めていたもんな……」
ちなみに言えば、俺は暗記は得意である。
というか、以前の生活上、暗記が出来なければ本当に死の淵を彷徨うことだってたくさんあったかもしれない。
メモなんてしている時間はなかったし、そんなものを荷物に入れていれば、かさばってしまう。
それに、メモを見るには明かりが必要だ。
メモを使うほど重要なことで明かりを使っていては、それこそ敵の血祭りにあっていることだろう。
だから、暗記が一番手っ取り早く、かつ安全だった。
だから、知らず知らずのうちに俺はとにかく暗記をすることを体で覚えてしまったらしい。
「これで、問題ないですよね?」
「確かに、これで条件は満たした。俺が証人だ。話をつけてきてやる」
「お願いします」
「あ、そうそう、連絡先は教えてくれるか?」
――連絡先。
こんなところで駆け引きをするとは思ってもみなかった。
この手の個人情報は、漏洩してしまえばたちまち組織の連中に一網打尽にされかねない。
だが――
「分かりました、紙か何かください、メモっときます」
教師からメモ用紙を預かり、連絡先を書き綴っておく。
「あと、今ちょっとした事件に巻き込まれて連れと一緒に住んでるんで、そっちが出ることがあるかもです」
「了解」
あまり深くまで言及するつもりはないようだ。
「それじゃ、用事があるんなら、さっさと行ってこい」
「はい、失礼します」
全てを終わらせて、俺は学校を後にした。
謙って喋るのは、本当に疲れる。

「それで、テストはどうだったんですか?」
響子が不安げな表情で俺を見る。
「ああ、余裕で合格だ」
「おめでとうございますっ!」
報告を聞くなり、ものすごい勢いで嬉しがった。
この無邪気な笑顔も、今俺がこの選択をして、いろいろ乗り越えてきたから見られるものだ。
「なんでお前がそんなにはしゃいでんだよ……」
「だって、お兄ちゃんが、試験に合格したから」
「理由になってないぞ」
「なんだっていいじゃないですかっ」
そんな幸せそうな響子を見て、この平穏な日常が、いつまでも続けばいいのに、と、願ってしまった。