9.いつか交わした約束
2013年11月05日 23:19
意識が薄れていく中、俺は堕ちていく。
どこに向かっているのか、これからどうなるのか、さっぱり分からない。
ただ、義之と音姫だけは帰すことに成功したようだ。
あとは、俺がどう脱出するかだな……。
だが、この手も足もまともに動いてくれない状況で、どうすればいいのやら。
とにかく、今はこのよく分からない流れに身を任せて、流れ堕ちていくしかない。
不意に、眠気が襲ってきた。
ここで寝ちゃいけない。
きっと、戻れなくなってしまう。
でも、俺はそれに抗いきれなかった。
薄れゆく意識の中、俺は、僅かな光を目にしたような気がした。
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突然地面に触れたかのような感触を背中に感じた。
芝生だろうか?それとも雑草だろうか?
とにかく、草の上に転がっているのは間違いなさそうだ。
俺は目を開いて、周囲を確認する。
そこは、俺が初めて音姫たちのいる世界に来た時と同じような光景が広がっていた。
そう、しんしんと、雪と桜が舞っていた。
驚くほどゆったりと、音もなく。
一瞬、帰ってこれたのかと錯覚したんだけど、音姫たちもいなかったし、どうも現実味がない。
俺は上体を起こして立ち上がる。
ここが|あの場所《・・・・》だというのなら、恐らくこっちに、あれが――。
俺はその方向を向く。
すると、そこには大きな桜の木が、雄大に咲き誇っていた。
漆黒の夜に咲き誇る桜の木。
それは、確証がなかったが、さくらの植えたものじゃなった。
これはきっと、さくらのおばあさんが植えた――。
「あら、久しぶりね」
どこからか、女性の声が聞こえた。
でも、それは初めて聞いた声ではなかった。
懐かしかった。
その正体が、桜の木の裏側から姿を現す。
本当は助けたかった。
その生を最後まで歩んで欲しかった。
家族の幸福を最後まで見届けて欲しかった。
――由姫さん。
「久しぶりです」
俺は、感極まって、涙声になりながら、それでも心を崩さないように、そう言った。
「あなたも、随分と苦しい思いをしてきたのね。私も、生きていた頃は気付いてあげられなかった」
「それは、仕方ないですよ……。俺自身、その頃は自覚していたわけじゃないですから」
そう、初めて自分の力の意味に実感が持てたのは、今俺の目の前にいる人が、現実世界で亡くなった時だった。
初めて、自分の力のことで自問自答した時だった。
「私はね、あんまり天国とかそういうのは信じている方じゃなかった。でも、そういうものは少なからずあるみたいね。この世界みたいに」
由姫さんは両腕を開いてその場でゆっくりとくるくる回る。
少女のような無邪気な笑みを浮かべながら。
もし彼女がまだ生きていたならば、同じように、桜並木で踊っていたのかもしれない。
「夢を集める、夢の世界。苦しみ、悲しむ人がいる現実の世界を冒涜しているのかもしれないけど、それでも、私は今、貴方に会えて幸せです」
「俺もですよ。これまで音姫たちと幸せに暮らしてたけど、俺は、由姫さんを助けられなかった。こっちに来た当初の俺の使命を、果たせなかった……」
本当に、また会えるなんて夢にも思っていなかった。
「そう。でも、あなたは私との約束をちゃんと守ってくれている。天国じゃないかもしれないけど、私はこの世界からずっとあなたたちを見ていたわ。楽しそうに、嬉しそうに、辛そうに、悲しそうに、苦しそうに――幸せそうにしていたあなたたちを、ずっと。そして、今回あなたは由夢ちゃんと義之くんの想いを守るために、ここに来たのね」
由姫さんは、慈しむような眼差しで、俺を見据える。
同時に、俺を試しているかのような視線。
温かくて、真剣で、異様なほどに鋭く突き刺さってくる。
かと思えば、柔らかな笑みを浮かべて、1歩踏み出す。
「それにしても、姉妹両方とも嫁の貰い手が出来てよかったわぁ~。あの娘たち、強がっているけど、本当は弱いから。誰かが支えてあげないと、すぐに崩れてしまう。あなたと義之くんなら、十分その役を全うしてくれる。そして同時に、あの娘たちも、あなたたちのためなら、きっと、どこまでもついてきてくれるはず」
流石、彼女たちの母親だと思った。
逝ってしまう間際に、彼女が俺たちに言ったことを、もう1度言った。
彼女たちの心の支えがまだ弱いままであることは、たとえ離れていても、しっかりと見定めてあったのだ。
「だから、あなたたちも、みんなで、幸せになって頂戴。それが、私も、そして、この桜に関わった人たちの、心からのお願いだから」
「大丈夫です。俺が、俺たちが、みんなで、幸せになって見せます」
「そう、流石は義之くんと3人で結成された『女性殺しの会』の1人ね。安心したわ。それじゃ、あなたはここから去りなさい。あなたは、ここにいるべきではないの。みんなのところに帰って、ここに来た土産話でも、あの子たちにしてやりなさい」
『女性殺しの会』というのは、幼い頃俺と義之が2人で由姫さんの病室に寄った時、音姫と仲良くなるために色々話をした時、義之の一言が由姫さんを驚かせたことから始まる謎の集会だった。会長は勿論由姫さん。
彼女は別れを告げたが、別れは惜しかった。
でも、俺には待っている人たちがいる。
みんなを裏切るわけには行かない。
そして、ここに留まり続けることは、目の前で真剣な表情をしている由姫さんの決意と遺志を無駄にしてしまうことになるのだ。
それだけは、決してあってはならない。
「……はい。でも、俺は一体、どうすれば……?」
俺は、ここがどこなのか分からない。
桜の内部であるということは分かるのだが。
「簡単よ。あなたが、願いを鎮めてあげればいいだけ」
「鎮める……?」
「そう、あなたは、ここに来るまでにたくさんの邪な願いの塊を見てきたはず。その中にある、数少ない純粋な願いを、鎮めるの。それだけ」
どうしてそうすれば元の世界に戻れるのか、原理は一切不明だったが、やる価値はあると思った。
それに、不完全に叶えられた願いが、このまま内部でもがき続けるのは、持ち主があまりにも可哀想だ。
「分かりました――」
俺が返事をすると、急に俺の左腕から光が漏れてきた。
「これは――」
「それは、あなたの能力、≪solitary Pluto(孤独の冥王星)≫の光。あなたのこの力は、本来、あなたの強い孤独への堕落が引き起こした力の源。でもね、あなたはその力と共にたくさんの想いに触れた。だから、もうあなたは『孤独』なんかじゃないの。その力は、みんなを助けて、逆にみんなに支えられて成り立っている力。あなたの掲げる『正義』とでもいうのかしらね。そして、今度はその『正義』で、みんなの想いを鎮めて頂戴。それが、今の初音島の願いでもあるから」
「分かってます」
俺は自分の左腕を右手で握り締め、そして決意を新たにした。
「行こうか、≪solitary Pluto(孤独の冥王星)≫!」
俺の言葉に対応するように、俺の左腕の紋様が、更に強く光を放った。
俺がこの場から消える間際、由姫さんが、何かを呟いた。
「――ありがとうね」
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~由姫side~
光雅くんは、ついに自分の力で、桜の中の願いと向き合いに行った。
もうここには戻ってこれないだろう。
いや、戻ってこれたとしても、彼は決して戻ってはこない。
そして、私ももう、ここにいてはいけない。
「用事は済んだかい?」
桜の木の裏から姿を現す1人の老婆。
色の褪せた金髪、決して濁りのないサファイアブルーの瞳。
私が夫と一緒になった時、お世話になった小さなあの人とよく似ていた。
「ええ。これで彼も、心置きなく向こうに戻れるでしょう。音姫と由夢も、これから幸せにしてくれるはずです」
「そいつは良かった。ちょっと無理してさくらの方の枯れない桜にリンクさせた甲斐があったよ」
「お疲れ様です」
そのおばあさんは、かったるそうな表情で、それでいて照れるように桜を眺めていた。
まるで、その姿は私の義父とよく似ていた。
「それにしても、あの若造もうちの孫とよく似てたわ。あの年であそこまで達観してるとはね。大したことは言ってないけど、あの眼は、色々辛いものを見ているね。だから彼は、本当の幸せを知ろうとしている。あの子も、きっと自転車の補助輪のような役割を、しっかり果たしてくれるだろうよ。みんなを支えて、一人立ちできるように、ね」
「そうですね。貴女が望んだ、誰もが幸せになれる世界って、本当は、魔法が解けて、夢が覚めた後に存在してるんじゃないですかね?」
「それだとなんだか本末転倒な気もするけど、それはそれで、何年も頑張った甲斐があるってものよ」
おばあさんは、木の幹に手をついて、何やら思い出に耽っていた。
色々と、思うことがあるのだろう。
「本当に、みんなには迷惑をかけた」
「きっと、誰も迷惑だなんて思ってませんよ。束の間に見せてくれた、幸せの夢。それを見せてくれただけで、みんなも感謝してると思います」
「……あんたも立派にあのクソガキの息子の嫁をやってるね。それだけ言えば、あんたの娘も立派になるだろうよ」
「これでも、一応魔法使いの家系ですから」
そうして私たちは、そこから一言も喋ることなく、ただ世界の終わりを待ち続けていた。
きっと誰もが幸せになると、そう信じて。