06.一旦あれこれ考えて
2014年02月09日 23:58
僕の予想通りの科白を零した彼女の背中は、かつて僕が見てきたその背中と比べて小さく、弱々しかった。
分かっていた。彼女が僕のこの告白を受け入れることはないと。それが、天音桜火という人間だからだ。
「私に、その資格はない」
そう言って、彼女はその後、少し躊躇いのある足取りで、一歩、二歩と僕から遠ざかっていく。いつもと比べて小さく感じるその背中が、更に小さくなっていく。もう見ていられない。僕が追い続けていたのは、こんな女々しい彼女の背中などではなかったのだ。
「待ってください、天音さん」
僕は叫ぶように、それでいて落ち着いて彼女の名を呼んだ。彼女はびくりと肩を震わせ、その場で足を止める。振り返ろうとはしないようだ。
彼女は聞く耳を持とうとしている。今から僕が言わんとしていることを受け止めようとしている。ならば、この機を逃す必要はない。僕が達した結論を、彼女のその心中を、僕自身で晒す時が来た。
「僕は天音さんのことが好きだと言いました。でも、それは実は嘘なんです。僕は、天音さんが本当に好きなのか、それさえも知ることが出来ない。僕にとって、それが限界で、何も知ることが出来ないことこそが、僕の最大値なんですから」
決して瞳を逸らさない。嘘偽りは、これでなくなった。いや、そもそも僕は、彼女に嘘を言ったつもりなど毛頭ない。あくまで僕は、彼女に、自分が天音さんのことを好いている、と言う仮定でそう言ったつもりなのだから。
「だから、それをこれから天音さんと一緒に過ごしていく中で知りたい。理解したい。天音さんは何でも出来るから、きっとその答えに辿り着くヒントを、僕に与えてくれる。それが、意識していようとそうでなかろうと。僕は天音さんのことを、心から信じたい。ずっと傍にいたい」
いつになく自分が饒舌であることさえも、今ではどうでもいい。この難攻不落の相手に、出来るだけ核心に近づいて、彼女の心を理解し、説得、納得させる。それだけしか出来ない。それさえも出来ないかもしれない。
「僕は、僕と森上さんは、天音さんのおかげで毎日が楽しく過ごせている。どっちも、天音さんが何かしら関わってくれたからだ。でも、そんな天音さんも、僕たち以外には諦めたように何もしない。それは何故か――――」
さあ、答え合わせをしよう。模範解答などない、それこそ永遠に暗闇に包まれているであろう答えを、イメージしながら、照らし合わせて正解を導き出す。
「天音さんは、何にも出来ない人を探していたんだ。その人に、何かが出来ることを教えてあげるために。森上さんは、そのお蔭で陰気だった自分から、殻を脱ぎ捨ててあそこまで明るくなることが出来た」
天音さんは、今でも振り向こうとしない。でも、僕の言葉に耳を傾けているだけでも、僥倖である。彼女なら、僕の言葉などそこら辺に吹き渡る風と同じように、何も感じずに流し去ることだって容易いはずなのだから。
「そしてもう一つ。これは、天音さんが本当に何でも出来ると言う仮定なんだけれども――――天音さんは、自分に出来ないことを探していたんだと思う。僕や、森上さんのような、出来ないことだらけの人間と関わることで。それで、どこかで安心を得ようとしていた。人間らしからぬ能力が、自分を周りから遠ざけている、そんな自分に、人間である証拠を突きつけるために、ずっと探していたんだ」
それが、僕の答え。そしてここからが、僕が彼女のために、心からしてあげたいこと。
「僕が、それを一緒に探してあげます。僕には何も出来ないけれども、それを探すことだったら、十年かけても、百年かけてでも、見つけてあげます。僕が出来ることを探して、天音さんが出来ないことを見つける。それで、万事解決じゃないですか」
それが、僕の導き出した答え。それ以上は、僕には求められない。彼女を欲しない。だが、それでいい。それ以上近づくのは、今ではなくても十分なのだから。
「……私が、恐ろしいと感じたことはないか?」
ふと、僕の言葉を無視するように――――いや、僕の言葉を聞いて上で、天音さんから質問が飛び出してくる。その質問があまりにも馬鹿馬鹿し過ぎて、僕は思わず吹き出してしまった。
「いや、天音さんのことは、可愛いと思いますよ」
「――ッ!?」
突如、天音さんがこちらを振り返った。その驚きの表情を僕は初めて見たのだが、それ以上に、彼女の顔が、心なしか紅潮していることに僕は逆に驚いた。
この人は、こんな顔も出来るのだな、と。
「天音さんは僕にとって、とても素敵な女性です。これまでに見たことのないような――――そう、僕にとっての、僕だけの希少性を持った、毛並みの美しいネコ科の獅子のような」
それから彼女の動作はどうにも要領を得ない。なんというか、彼女なりに動揺しているようで、目が泳いでいたり、腕をもじもじとさせたり、その動き自体は、その辺に転がっている他の女子のそれと似通ったものであった。
微々たるものだが、その変化を僕は感じていられる。それほどまでに僕は彼女の一挙一動を、その堂々とした姿勢を求めていたのだから。
その凛とした態度を僕自身の手で崩すことが出来たことに、どこか優越感と言うか、支配欲を満たしたようなそんな感情に飲み込まれた。
「私なんかで、いいのか?」
「天音さんでないと、駄目です」
「そうか……」
ほっと一息を吐いて、天音さんは退けた足を元に戻して、こちらへと歩み寄ってくる。それに合わせて僕もまた、彼女との距離を詰める。
逆光ではっきりとは把握できなかったその輪郭が次第にくっきりし始め、ばつの悪い表情を浮かべた彼女が、なお毅然とした態度を貫こうと不自然な立ち姿をしてそこにいた。
「恋愛経験などまるでない。こういうものは男性がリードしていくものだ。これからも頼むぞ」
「僕も初めてですけどね。――――まぁ、よろしくお願いします。桜火さん」
「……急に名前で呼ぶな。照れるだろう……」
僕がふと予想を上回るような言動をした時に、彼女は調子を狂わせるようだ。これはいいことに気が付いてしまった。呼び方については今後検討していくことにして、これから彼女とどう接していくか、また新しく考え直す必要があるなと、照れながらも優しく頼もしい笑顔を浮かべる彼女を前に、遅咲きに始まった青春に淡い期待をしていた。
◇ ◇ ◇
その日は、天音さんと一旦別れて、家に帰った。
両方とも、とりあえず気持ちの整理もあるだろうからと、いきなり二人の関係に持ち込むのではなく、時間を置いて、状況を把握して、その上で今後どうしていくか、それを考える時間を取るために、一人になった。
「ともる―、なんか今日、機嫌いいじゃない。何かいいことでもあったの?」
リビングから姉の声が聞こえてくる。
隠していたつもりなのだが、ばれていたのだろう。僕は彼女に対して、嘘を吐くのが下手なのだ。いや違う、出来ないのかもしれない。彼女を、これまでに一度も騙し通せたことがない。いつだって姉は僕の心の内を見透かすように、全てを悟った。
「まぁ、そう言うことになるね」
僕は白を切ることもなく、姉の疑問に肯定する。別に隠すことの程でもないと思った。それだけだ。
「あの子――――ほら、名前なんて言ったっけ、……そうそう、天音さん? あの子と何かあったんだ」
「……うん」
僕は鍋の中の具材をかき混ぜながら、小声で頷く。流石にそこまで事実を見通されるとこちらとしても恥ずかしいし、その先にどんな姉の尋問が待ち構えているかが怖くて怖くて仕方がない。
「良かったじゃん。大切にしてあげなよ」
「……」
姉は、特に何も追及してこない。訊くのは野暮だと理解しているのだろうか。確かに、二人の間に割って入ってあれこれ掻き乱そうとすると、馬に蹴られて死ぬかもしれないらしいが。死ぬのは嫌なのだろう。
今日作っているのはカレーである。誰でも簡単に、普通に美味しいものが作れるとある意味では重宝され、ある意味では馬鹿にされているメニューである。しかしそれでも、ボクにとって今日のカレーはいつもよりおいしいものが出来るような気がして、割と心が躍っていた。
いや、順序が逆か。心が躍っているから、美味しいカレーが作れそうなのか。だとしたら、やはり天音さんの存在は、僕にとって大きかったのだと思う、関係が変わるだけで、距離が縮むだけで、こんなにも安心と温かさを得られるのだから。
一旦完成させた後二時間程鍋を寝かせ、頃合いを見計らって皿に盛り付ける。仕上がりは完璧、後はその味だけか。この日に完成させたカレーが、どこまで姉の舌を唸らせることが出来るか。
「いただきます」
「いただきまーす。……さーて、今日のカレーはどうかな~」
ルンルン、というか、とても機嫌のいい姉が、スプーンをカレーライスの山に刺して掬い取りながら独り言つ。
そして口の中に入れてゆっくりと咀嚼、瞳は閉じて、神経を舌の先に集中させている。テレビ番組の料理勝負の審判でもないのだからそこまでしなくてもいいのだが、僕に何かしらの感情の変化が大きく表れた時、僕の料理でいつも姉はこうするのだ。
真剣味を帯びたその顔は、次第にふにゃりと崩れて柔らかな笑みへと変わる。そして次に口にした感想はこうだった。
「これが青春の味、ね」
半分満足げに、半分羨ましげにこちらを見ながら、いずれにせよ嬉しさを体中から滲み出させながら僕のカレーを褒めた。
やはり作った料理が食べてもらって褒められるというのはこそばゆく嬉しい。
「それで」
ぞくり。背筋に悪寒が走る。
目の前の笑顔が、獰猛な豹の瞳を携えるようになったからだ。始まる。世界一優しい尋問タイムが。
「確か今日って体育祭だったよね? 全種目終了後に生徒だけでフォークダンス踊るとかあって、その時に抜け出して告白タイムとか人気だったらしいけど」
ほんの少し、視線を逸らす。これはかなり危険な流れだ。僕の科白の一字一句まで追及する気だ!
「いやまぁ、うん、確かにそのタイミングで色々言ったけど」
ここはむしろそのタイミングしかない。競技中などは到底不可能だし、昼食中は森上さんがいた。いなくてもその雰囲気で告白など、デリカシーがないにも等しいだろう。そこまで僕も無神経な男になった自覚はない。
「それで、天音さんになんて告白したの?」
「えっと、別に普通だよ。好きです、付き合ってくださいって」
無難な回答。撒けるか?
「そんな答えが通用するとでも思ってるわけじゃないわよね? 天音さんがどういう人となりか、灯の言葉からは大体想像出来るけど、その程度の言葉ではいよろしく、なんて言うような人じゃなかったはずだけど?」
やはり駄目か。彼女がその程度の人間だったなら僕もここまで肩入れする必要も、理由もなかったはずだ。そのくらい姉が見通せないはずがない。しかしこれ以上は嘘の吐きようがない。僕も想像力は決して豊かではないのだ。
僕の言ったことは差し詰め外れと言うわけでもないが、その最初の言葉は彼女には全く響かなかったということで僕にとっても、姉にとってもノーカウントなのだ。
僕は、姉に、一度は断られて、でもある程度彼女について理解したことを名探偵の推理紹介の如く話して、それからまだまだ全然理解出来ていない彼女のことをこれからも傍にいて知りたいとか、彼女にとって出来ないことを一緒に探してあげることとか、最後に名前で呼ぶとかなり動揺して照れていたこととか、結局最後まで喋ってしまった。姉に上手く誘導された。NOと言える日本人になる道はとても長く険しく厳しいらしい。
「カッコイイじゃん」
「は?」
突如にして、彼女はそう感想を漏らす。今のどこにカッコイイ要素があったのだろうか。下手をしたら推理をお披露目している段階で勝手に名探偵ぶってる中二病患者なのではと邪推される程の恥辱っぷりなのだ。全く心境が理解出来ない。
「いや、一度振られても、諦めなかったんだなって」
「ああ……」
僕は一度、それは出来ないと僕に背を向けた天音さんに対し、待てと声を投げかけた。それは、そこで天音さんと別れたくなかったから。きっとそこで離れてしまえば、彼女は僕の手の届かないところに消えてしまうような気がしたから。
「成長したじゃない、灯」
「うん……ありがとう、姉さん」
頬杖をして、遠くを見るような視線で僕を捉える。今その瞳が映しているのは、ここにいる僕と、これまでに見てきたこれまでの僕の姿なのだろう。記憶を重ねて、僕の成長を喜ばしく思っている彼女に、ほんの少し寂しさを覚えた。
「それで、キスはいつするの? デートとかは週何回する予定? 赤ちゃんいつ出来る?」
前言撤回、寂しさを勝手に覚えた自分が馬鹿だった。姉は姉で、やはりこういう人なのだ。今度牧場から馬でも引っ張って蹴飛ばしてもらおうか。
◇ ◇ ◇
それからというもの、特に何もなく、どうすることもなく、つつがなく三日が過ぎた。天音さんとはいわゆる彼氏、彼女の関係になったとは言え、急にその接し方を変えるというのは些か難し過ぎた。そう言う訳で結局、天音さんとは普段通りの付き合い方をするしかなかった、というのがこの三日間である。
しかし、雰囲気その物は周囲からの認知を変えてしまったようである。
「絶対お前ら体育祭から何かあったろ」
「弁当の時お前教室にいなかったもんな、天音先輩と食事してたんだろ?」
「えっと、あの――――」
「フォークダンスの時告ってたりして? うわーけしからん」
「それでそれで、どこまで行ってんの?」
何だか僕が何も言っていないのに勝手に話が進んでいる気がする。
しかもそれがほとんど真実の的を得ているのだから質(たち)が悪いし恐ろしい。
何で当事者を無視して勝手にここまで盛り上がれるのだろう、という質問には、青春時代である僕たち学生に対しては無粋なものなのかもしれないが、それでもこんな事態になっていることに文句の一つでも言ったところで罰は当たらないだろう。
「いやどこも何も、まだ気持ちを伝えただけなんだけども」
「お前なぁ、もっとアタックしろよ、男だろ」
言っている意味がよく分からない。既に僕はアタックした後なのに、これ以上アタックしろとは一体どう言う了見なのだろうか。ゴリ押ししろと言うことか。――――何を?
「色々あるじゃん、手ェ繋ぐとか、デートに行くとか、キスするとか」
「ちょっ、そん、――――はぁ!?」
いい加減にしろと。そんなデリケートなことをゴリ押ししろとは、こいつらは恋愛をどう捉えているのだろうか。
相手はあの天音さんなのだ。凛としていて、強かで、頼りになるけど、なんだかんだ言って繊細な人なのだ。僕のことで、ほんのちょっとしたことで一喜一憂するくらいに。
それをいきなりキ、キスだなど、言語道断にも程がある。もっとこう、アレなのだ。何度か一緒にどこかに遊びに行って、それなりにお互いについて理解し合えたところでファーストキス、そしてそう言ったことに慣れてから次の段階に――――って僕は何を考えているんだろう。大体こいつらのせいなのだ。僕は悪くない。
「ところでよォ、知ってるか?」
「何?」
唐突な話題転換。僕をいじるのにも飽きたらしい。とは言ったものの、日が変わればまた始まるのだろうが。
「あいや、少し前に話題になった噂の通り魔、この辺りに出没して人殺ししたらしいぜ」
「ああ、聞いたことある。何でも証拠を何一つ残さないんだろ? あまりの手際の良さに複数のグループ犯行の可能性もあるとか」
その話は聞いたことがある。悪事を働いていた詐欺集団が、何者かの手によって証拠もなく殺害された事件。あまりに巧妙な手口、というより殺害方法だったから、その手の筋に詳しい殺し屋や、その集団による犯行の線が高いのだとか。
初めてそ事件が起こったのは隣のS県だったが、S県でそう言った事件が二つ起こって以来、この県でも事件は発生した。そして、彼らの話によると、新しい犯行も、この県のこの地域の周辺で発生したらしい。相変わらず証拠も手掛かりも残すようなことはしないが、殺人に慣れてしまっているのだろう。恐ろしい。
一般の人の意見では、ある意味では詐欺などの犯罪抑止の効果を担っているという声もある。詐欺などの悪事を働いている人間が次々に殺害されているのだ。次は自分の番となる可能性を考えると、躊躇してしまうのも頷ける。統計的にどうなってるのかは知ったことではないが。
いずれにせよ、僕には天音さんがいる。頼りっぱなしと言うのは気が引けるが、僕は天音さんに全てを委ねるつもりであの日の放課後、彼女に全てを晒したのだ。きっと天音さんは、何があっても僕を守り抜いて見せる。
いや、普通逆じゃないかと言う非難も分かる。男なら女を守るべきだ、男が女に守られていてどうする、と。でも、個人的に、その考え方はあまりにも古典的過ぎるのではと思う。男女共同参画社会が叫ばれているこの世界で、男が女がといちいちジェンダーを持ち出すのは筋違いであり、時代を逆行していると思われてもおかしくない。服装や楽曲のセンスを疑うより、まずは自分の考え方を時代の流れに乗せろと。言うまでもなく、天音さんは僕なんかより桁違いで強く美しいのだ。だから、強い天音さんが弱い僕を守る。そして、そんな彼女が独りにならないよう、僕が彼女を傍で見守る。言葉にすれば、十二分に理想的な関係ではないか。決して誰にも崩させはしない。きっと僕も天音さんも、お互いのことを好きになれるはずなのだから。
◇ ◇ ◇
その日の放課後は、天音さんと森上さんの三人で、いつもの空き教室で雑談をしながら過ごしていた。既に森上さんには天音さんと付き合っていることは伝えたし、彼女も僕たちを冷やかしながらも、祝福してくれていた。あの姉御――――天音さんが、誰か特定の異性と付き合うことになるとは、出会った当時の彼女の凛々しさからすれば想像も出来ないものだったらしいが。
ある程度日が傾き始めて、そろそろ帰ろうかという話になって、昇降口で靴を履き替えようとした時、僕はふと、気が付いてしまった。
何となく、だ。何となく眺めた自分の靴の底に、鈍い金色に煌めく小さな何かが入り込んでいた。靴を逆さにして、逆の掌の上に落とす。そして、それが何なのか気が付き、僕は目を見開いた。
「これは……!」
先端の鋭い針。教室でも、廊下の掲示板でも、何度も同じものを見たことがある、それだけ見慣れていて、そして、今回されたことは、とある事象において、多発しやすい現象である。僕の掌に転がったのは、使い古され、少し錆びついた画鋲だった。
――――自分がいじめられている?
不安が心に過ぎる。そこまで僕は誰かに恨まれたり、妬まれたりするようなことはしたことがない。故に、こんなことをされる覚えはない。
――――いや。
ごく最近の変化――――それは、僕と天音さんが付き合い始めたこと。もしそれが下人だったとしたら。
間違いなく、この犯人は、天音さんとの何かしらの関わりがあるということだ。僕が天音さんと付き合うことになったから、犯人は僕の靴に画鋲を入れた。そして、その出来事がきっかけで、突然僕がいじめに会っているような現象が生み出されているということは――――犯人は、天音さんを狙っているのではなかろうか?
「どしたのー、国分寺くん?」
靴を履き替えて、森上さんと天音さんがひょっこりと顔を見せる。あまりにも僕が準備するのが遅かったようで、様子を見に来たと言ったところか。何も、心配したといった表情はしていない。何も気が付いていない。何も知られていない。
天音さんには、いつかきっとばれる。でも、自分から話すべきか。もし、これを実行した人が、天音さんに何かしらの被害を与えるために僕にこんなことをしているのだとしたら、それは恐らく、僕というウィークポイントを人質として、天音さんを束縛することが目的であるといった最悪の可能性も考慮出来る。ならば、今ここで、彼女にこのことがばれるのは得策ではない。それに、これはあくまで、いじめられているのは、僕だけなのだ。
「ああいえ、ちょっと何か忘れてるような、って考え事してただけですよ」
慌てて、それでいて悟られないように、気付かれないようにそっと制服のポケットに画鋲を仕舞い、平静を装って靴を履き替える。いつも通りの自分でいればいい。僕が我慢することで、天音さんが酷い目に会うことだけは、回避出来るのだ。
せっかくなので、この画鋲はありがたく頂くとしよう。
◇ ◇ ◇
翌日の放課後の話だった。いつもの放課後だ。何の変わりもない、いつも通り天音さんと顔を合わせて帰宅するはずのそんな放課後が、今日に限って、訪れてはくれなかった。
七限目の体育、その着替えを体育館の更衣室で済ませ、教室に帰ってきた後、帰宅のために道具を片付けようとした時、僕はそれを見つけてしまった。
机の中、重ねられた様々なノートやテキスト。いつもはある程度整頓してしまっているはずなのに、僕がそうしたわけでもなく、何故か乱れていた。
――――いや。
乱れていたのは、教科書類の並びだけではない。その中、すなわちページ一枚一枚までもが、容赦なく滅茶苦茶にされていた。
「なん……だ、これ……」
恐怖。そう、これは恐怖だ。何故こんなことを――――そんなことを考えることも出来ず、ただ恐怖に打ち震える。これからどうなっていくのか、これからどこまでエスカレートするのか、いつまで続くのか。
先の見えない、一寸先の闇に、足が動かなくなる。
僕はとりあえず、誰にも気が付かれないようにその全てを鞄に仕舞い、教室を出る。
その時、携帯にメールが一件受信した。携帯電話を取り出し、内容を確認する。
そこに書いてあったのは、いつも通りの、空き教室にいることを伝える連絡だった。