17.名前と名前

2013年03月06日 00:40
初めての出会いから2日後。
生徒会は今日も大忙しである。
夏季休暇中とはいえ、することはたくさんある。例えば、グニルックの大会1つ開催するに当たっても、魔法学校関連機関に手配する必要があるし、観客の動員の際に、その人数の把握、座席などの確保、出場選手の確認、大会中の販売に関する制約や種類の確認など、枚挙に遑がない。
更に、勿論、風見鶏生徒会の通常の業務もある。
 
「リッカさん、この書類、チェックして向こうの棚に整理して置いておいて」
 
「了解です」
 
生徒会室では現在、フルメンバーで作業に当たっている。
ちなみにリッカは通常業務、巴とシャルルは夏季休暇が明けてしばらく後に開催される、グニルックのクラス対抗マッチ運営のための準備、下調べを請け負っている。
それぞれが真面目に働いているのもあり、そもそも今の代の生徒会長がかなりの凄腕で、効率を徹底的に求めるスタンスを取っている。それでいて誰からも信頼を得ていて、憧れている人も多いという。
ただ、多少融通が利かないのが玉に瑕といったところか。
とにかく、その生徒会長の下、各々が効率よく作業を分担して、仕事をしていた。
 
生徒会長はかなり時間を気にする人であったのもあり、その日の活動も夕方前に終わった。
生徒会メンバーは次々に寮に帰ったりフラワーズに軽食を取りに行ったりと、解散していくのだが、リッカたち3人は、未だに生徒会室に残っていた。
理由は単純。
今日も彼が来るはずだからである。
上代龍輝。
一昨日突然生徒会室に現れて、巴の簡単な挑発に乗っては襲い掛かり、急に意識を失ってリッカに量まで運ばれた男性。
彼が誰なのか、その詳細は知らない。
ただ、自分たち魔法使いの技術向上の発展を助長させるためにありとあらゆる魔法に関する調査、研究、実験を行っているとされる『研究機関』に関わっている人間であるというのは聞いている。
3人とも、『研究機関』の人間に対して、陰湿で研究大好きで頭でっかちで融通の利かないお偉いさんばかりだと思っていたのが、簡単に挑発に引っかかった龍輝を見て、彼に対して興味を持ったのだ。
紅茶でも飲みながら、生徒会室で雑談を交わしていると、例の人物が現れた。
 
「……」
 
「あら、いらっしゃい」
 
「うむ、待っていたぞ」
 
「自由にくつろいでいいわよ」
 
昨日もリッカは何度もしつこく話しかけているのだが、反応するような素振りは見せても、口は決して開こうとはしなかった。
何かを恐れているだろうかとも感じたくらいだった。
龍輝は今日もいつもの椅子に座ってのんびりしていた。
いや、のんびりしているという表現はおかしいか。
というのも、彼はこれまで『研究機関』の連中としか関わりがなく、それはあくまで事務的な関わりでしかなく、本音を打ち明けられるような友人関係ではなかった。
だから、自分に馴れ馴れしく話しかけてくるこの3人に対して、対応方法の無知に対する困惑、素性の知れない人間たちに対する恐怖、そして、極度の人見知り体質が、今この状況での彼を緊張状態に陥らせていた。
つまりは、座ったままで硬直状態。
 
「……」
 
3人から離れた場所に座って、俯いたまま、たまにこちらをチラチラ見ながら様子を窺っていた。
あまりのビビりっぷりにさすがのリッカも痺れを切らし、話しかけることにした。
 
「ねぇ、いい加減に、話せること話してみない?」
 
他の男子に向けたらたちまち魂を抜かすような魅力溢れる笑みを浮かべて、リッカは龍輝に歩み寄っていった。
 
「……」
 
だが、それでもやはり龍輝は話そうとはしないようだ。
リッカは半ば呆れたような表情で、肩をすくめ、でもそれは相手が仲間内にあることをなんとなく意識させるような雰囲気で、龍輝に歩み寄る。
 
「私はあなたに楽しいことをたくさん知ってほしいの。私はいつだってあなたの味方で、あなたを守ってあげたい。私たちはいつでも傍にいるから、できることから、始めてみましょ?」
 
そう言って、リッカは龍輝の胸をつんとつつく。
その顔は、無邪気そのものだった。
龍輝はそんなリッカの様子を不思議そうに眺めていた。
そう、眺めていたのだ。
顔を――上げていた。
暗い性格の割に、その顔は近くで見ると端正な顔つきで、まだあどけなく、それを間近で見てしまったリッカは一瞬ドキリとした。
 
「私は、あなたのことが知りたい。話してくれたら、嬉しいな」
 
そう言って、リッカは龍輝の瞳を覗きこんだ。
その意思を汲み取ろうとして。
龍輝は、同じようにリッカの顔をずっと眺めていた。
そして――
 
「――ki――」
 
「え?」
 
今、間違いなく龍輝は口を開いた。
しかし、はっきりと聞き取れないまま、再び俯いてしまう。
だが。
 
「龍輝。上代、龍輝」
 
はっきりと。自分の名前を言った。
そして、恥ずかしがるようにぷいと顔を背ける。
これが、初めて龍輝がリッカたちに心を開いた瞬間だったのかもしれない。
リッカも、龍輝が自分の口で何かを喋ってくれたことに喜びを感じた。
達成感といってもいいだろうか。
 
「そう。……これで、私たちは本当の仲間。私たちは、あなたの傍にいたい。私たちは、友達だもの」
 
「……」
 
「龍輝くん、一緒にお茶しようよ!」
 
「そうなるだろうと思って、簡易調理室を借りてクッキーをいくらか焼いてきたぞ」
 
巴が美味しそうな出来立てのクッキーを持ってきた。
というかいつの間に生徒会室を抜けてクッキーを焼いてきたのだろうか。
とにかく、リッカもシャルルも、それを見て少し上機嫌になった。
 
「ほら、龍輝もおいで」
 
「……」
 
龍輝は、渋々といった感じで立ち上がる。
まだ少し、彼女たちのことが怖いようだ。
 
「大丈夫だよ!みんないい人だから!」
 
とシャルルが言って、背後から龍輝を抱きしめた。
シャルルなりの挨拶代わりのようなものである。
 
「うっ――」
 
シャルルの急なスキンシップに困惑する龍輝。それでも、嫌な気はしなかったのは事実である。
それに、人肌がこんなに温かいものなのかと、初めて知ったのもこの時だった。
椅子を4脚引っ張り出して、各々適当に座る。
龍輝がリッカの前に座ろうとしたら。
 
「やっぱりリッカが一番気に入られてるみたいだね~」
 
「龍輝、リッカの間の前に座ると、目の前の大魔法使いに生命力を吸われて魂が抜かれるぞ?」
 
「――!?」
 
龍輝は咄嗟に椅子の配置をリッカの隣に変更する。
正面じゃなくて、隣なら大丈夫だと判断したのだろう。
 
「ちょ、なんで隣!?」
 
そう、隣とはいってもただの隣ではなかった。2人の肩が密着するほどの距離感。
ただしリッカよりも普通に背が高いので、その様子はシュールだと言えなくもない。
先程シャルルのハグで体温の温かさを知ったためか、もう一度その温もりを求めたようだ。
しかし、リッカはそんなことなどつゆ知らず。
男性が密着する距離で突然座られるものだから、頬を紅潮させずにはいられなかった。
 
「おや、リッカ、照れてるのか?」
 
「そりゃ突然こんなに引っ付かれたら照れるでしょーが」
 
変な曲解をしようとしている巴に対してリッカは半眼で睨む。
 
「龍輝くん、好きなだけ食べてもいいよ」
 
「……」
 
何も言わなかったが、龍輝はコクリと頷いた。
恐る恐る手を伸ばして1枚のクッキーを手にとって、ひとくち齧る。
その味は、今までに食べたことのないくらい、甘くて美味しいもののような気がした。