27.雲は再び光を隠す
2013年06月03日 15:08
グニルックの大会が数日後に迫るある日。
龍輝とリッカは学食にて2人で食事をとっていた。
主に会話の内容は、数日後のグニルック大会のことである。
というのも、龍輝は、サラの出場がクラスに知れ渡ったタイミングを見計らって、クラスメイト全員で一団結してクラスマスターのリッカをぎゃふんと言わせてやろう、と焚き付けていたおかげで、初心者なのにやたらと筋のいい清隆や、同性の、数少ない心を開いている友達である姫乃を中心にしてトレーニングに励んだ結果、かなり実力を伸ばしたのだとか。
それで少しばかりその龍輝の対応に不服を感じたリッカは、学食に龍輝を連れ出して尋問している最中である。
「で、どーゆーつもり?」
「いや、だって面白そうだろ」
少しも悪びれることもなく、むしろ清々しい笑顔でそう答える龍輝。
龍輝が言うには、カテゴリー5、孤高のカトレアであるリッカ・グリーンウッドを、風見鶏の一生徒に過ぎないサラが、みんなで協力してその強敵をやっつける、という展開に、燃えに燃えまくっているらしい。
「確かにそうなんだけどねぇ。サラには頑張ってもらいたいし、そのために焚き付けてくれたのもありがたいんだけど、彼女としては、恋人に、私以外の女に協力するのはなんとなく気に入らないっていうかねー」
「そういうものなのか?」
龍輝はこういう女性関係に関しては本当に無知である。
龍輝がリッカのことを愛しているのは分かり切っていることなのだが、いかんせんごく普通の常識というものを持ち合わせていないため、恋人と付き合っている時の、ほかの異性との接し方をいまいち理解できていないのだ。
つまり、リッカと接する時以外は今まで通りの、ごく自然体の龍輝であり、誰にでも気軽に会話ができて、なおかつ肩入れしてしまう、そんな龍輝に戻ってしまうのだ。
リッカはそんな純粋な龍輝のことを好きになったのだし、龍輝には折角自由になれたのだから色々な場所で交流を気築いてほしいとは思っている。
しかしそれとは別に、リッカの弱くない独占欲が、龍輝がどこか遠くに行ってしまいそうなのに焦りを感じているようで、少しばかり嫉妬をしてしまうようだ。
「そういうものよ。それに、サラ、というか、クリサリス家はもう、脆いからね……」
「脆い?」
「ええ。クリサリス家が魔力が失われて没落しつつある家系であることはある程度知っているでしょ?」
龍輝は肯定して頷く。
それは初めて龍輝がサラに出会って暴漢集団から救い出す時に小耳に挟んだ情報で、詳しくは知らないが、大まかなことだけは知っている。
「あの家自体が、念願の魔力持ちであったサラにかけた期待は大きすぎるの。最早重圧、プレッシャーの域ね」
「でもサラは必死に頑張って――」
「サラには期待に応えるように必死に頑張る努力を継続するだけの精神力はあった。でも、期待に添えられるだけの魔法使いとしての才能なんて、最初からなかったのよ。つまり、一魔法使いとしては、彼女は立派なものになるでしょうね。でも、それがクリサリスの家の渇望に応えられる程の、家1つを支えられる程の力を、彼女は持ってはいない……」
「それじゃ、サラは……」
「ええ、このままじゃ、いつまでたっても苦しみ続けるだけ。そして、いつか家からのプレッシャーに押しつぶされて、いつか彼女は壊れるわ」
「そんな……」
「だから彼女には、彼女の重圧を一緒に背負ってくれる仲間が必要ね。その点で、龍輝がクラスメイト全員に焚き付けてくれたのは正しい選択だと思ってる。彼女1人で走らせておけば、彼女は必ず体を壊すからね」
リッカは苦笑いして、カップに注がれた、冷めた紅茶を一口啜り、ほっと一息つく。
そして龍輝の方を見て、挑発するような笑みを浮かべた。
「ま、なんにせよ、私は手を抜くような真似はしないわ。たとえ初戦にサラと当たったとしてもね」
「俺だってそれを望んでいる。手抜きして負けるリッカとか、情けなさ過ぎて見てられないからな」
「何それ、私負ける前提って話?」
「ははっ、うちのクラスの優等生を舐めちゃいけない」
龍輝は自分のクラスの代表を称賛しながら、アップルパイの最後の一欠片を口の中に放り込んだ。
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それから時は経って、グニルックの大会も、生徒会の運営の元、無事に開催された。
リッカは出場者だから今回は協議に集中してもらうために仕事から外れ、その分を龍輝が代わりに働いていた。
主に運営席からリッカたちのことを応援し、時にこちらに戻ってくるリッカに声を掛けたり、飲み物を渡したりしてやっていた。
リッカはその桁外れな実力で1回戦、2回戦と快勝を収めた。
一方でサラも、1回戦で不調ながらもなんとか勝利し、2回戦から調子が戻ってきたのかミスが少なくなってきて、相手との点差をそこそこ開けて勝利していた。
そして3回戦で、リッカとサラの対戦が行われた。
決勝戦まではまだ数が残っているのに、このタイミングでのリッカとの対戦はかなり酷だろう。
しかし、サラは怖気づいたような顔を少しもせず、目の前の最強の先輩であり、クラスマスターであり、そしてこの大会における好敵手と対峙した。
結果でいえば、サラが負けて、リッカが勝利したのだが、その内容は、この大会の中で一番白熱したといってもよかった。
何せ、ネームバリューのある孤高のカトレアと、それに相対するのは没落貴族のクリサリスの娘。
誰もがリッカの圧勝を予想していたのだろうが、序盤からサラは毎ターン確実に全てのパネルを撃ち落とすリッカに追随するかのように同じくパーフェクトゲームを繰り広げ、点差を広げることなく最終フェイズまで持ち込んだ。
しかし、このラストフェイズでリッカの、サラに対する切り札の布陣であるガードポストの設置をし、サラのミスによってゲームセットとなった。
先程も述べたように、サラの敗北でゲームは終了したが、ゲーム終了後のサラへのコールは、太く、熱く、そして、誰もがサラのことを認めていた。
クラスのもとへと戻ったサラの表情は、悔しそうにしていたが、どこか、満足していたようにも見えた。
大会が終了し、会場の片付けと報告書を提出した後、龍輝とリッカは生徒会室で密かに打ち上げを2人で行っていた。
ちなみに大会優勝は勿論リッカで、これは龍輝にとっては祝わずにはいられない結果であった。
「おめでとう、んで、お疲れ、リッカ」
「ありがと」
冷えた夜にふさわしい、温かい紅茶をリッカに注いでやる。
龍輝にはまともな手料理はできないが、このくらいのもてなしならお手の物だった。
リッカの正面――ではなく隣に座り、同じく自分に入れた紅茶を啜る。
「あーあ、サラも負けちまったか」
「彼女、ホントに手強かったわ。もし私が愚か者で手を抜いていたら間違いなく負けてたわよ」
「ああ、お前には負けたけど、試合後のコールはどの試合よりも凄まじかったからな」
その頃の光景を思い返す。
最後にミスショットをし、敗北を喫して、項垂れるサラ。
しかし、クラスメイトのサラコールが聞こえ出したと思ったら、それはあっという間に周囲に伝播していった。
会場が1つになってサラを包み、その健闘を称えた。
聞いているこちらですら、気分のいい、そして、温かい声援だった。
「お前は、どうだった?」
龍輝は、リッカの試合を全て観戦していたが、それでも実際にプレイしたリッカの感想を直接聞いてみたかった。
「んー、楽しかったわ。いろんな魔法使いと出会って、対戦して、互いの実力を認め合って……。試合が終わった後の相手選手の悔しそうで、それでいてどこかさっぱりしたようなあの笑顔はいつまでも忘れないわね。それで、一番印象が強かったのは、やっぱりサラね」
自分の受け持つクラスの生徒が自分に張り合ったのだ。
称賛したがるのも無理はない。
「それで、龍輝が見てくれてるから、私も頑張れた」
凛と咲く花のように美しい笑顔を龍輝に向けながら、そんな恥ずかしいことを言ってのけるのだった。
龍輝はそんなリッカに、つい嬉しくなって肩に腕を回して優しく抱き寄せる。
しばらくそうしていると、リッカがふとこちらを見上げてきた。
龍輝はおかしな様子のリッカに首を傾げそうになるが、なんとなく、してほしいであろうことに気付く。
「リッカ、目、閉じて」
「う、うん」
そっと、綺麗な睫毛が、瞼と共に降りていく。
そんな光景ですらどこか幻想的で、美しかった。
しばらくその様子に見惚れていたが、龍輝は気を取り直してリッカに正面から向き合い、そして、抱いた肩はそのままに、もう片方の手でリッカの煌めく金色の髪を1度撫で、そして、ゆっくりと顔を近づける。
徐々に龍輝の瞼も閉じ、どちらも相手の顔が視界に入らなくなった。
そんな暗闇の中で、そっと、お互いの唇に熱を、潤いを感じた。
そこにいると実感させる相手の存在。
そして、その存在こそが自分の最も愛する者であり、大切で、かけがえのないものであることを、再認識させる。
ほんの短い時間だったはずなのに、時間にして、10秒前後だったはずなのに、その時間は、彼らにとって、とても長く、そして幸福な時間となった。
触れるだけで、心が満たされていた。
それは、まるで今もこの風見鶏の漆黒の天空に悠然と光を放つ、雲のかからない満月のようだ、と、ふと窓の外を眺めた2人は、恥ずかしくてお互い相手には言えないが、そんなことを心の内で、思っていた。
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リッカたちが生徒会室を後にして、寮へと帰った後、グニルック競技場には、人影が1つ、あった。
男の陰。
龍の瞳を持ち、そして、龍を体に宿した、寂しがり屋の青年の姿。
彼の様子は、只事ではない。
呻いている。
悶えている。
内から響く声が、自分の何かを掻き立てる。
騒ぎ立てる。
彼は自分に言い聞かせる。
――ウルサイ。
――ウルサイウルサイウルサイウルサイウルサイ。
彼が耐えれば耐えるほど、もがけばもがくほど、苦しめば苦しむほど、その声は、徐々に大きくなってくる。
壁に、柱に頭を、背中を打ち付けては、ところどころから流血する。
乱暴に、自分に刺激を与えて、自我を、意識を保つ。
このままでは間に合わない。
嫌だと、彼は呟く。
誰にも声は届かない。それでも彼は呟く。
何度も何度も、嫌だと。
先程までの幸せを反芻しては、目頭に涙を浮かべ、縋りつく。
記憶に、奇跡に。
――始めよう。
――始めないと。
――始めようか。
――始めちゃうの?
――始めるべきだ。
名も顔も知らない輩の声。
何重にも、何層にも重なり合い、不協和音を奏でながら、体中を駆け巡り、意識を暗闇の底に落とそうとする。
『さあ、待っているよ、大いなる絶望が……』
その声には、聞き覚えがあった。
重なる声の中から、微かにに聞き取ることができたその声は、以前に、地上の路地裏でリッカを動揺させ、そして、清隆の精神世界の中で彼の中に入り込んだ、『歯車』。
かつてのリッカの竹馬の友だった、ジル・ハサウェイ。
その瞬間、彼は、“堕ちた”。
最後に彼は、擦れた声で、叫んだ。
最後の、『嫌だ』を。
頬を伝い、顎から、1滴の涙が地面に落ちると同時に。
ストンと、力なく膝をつく。
満月の昇る夜空を仰ぎながら、ずっと動かないでいる。
1度月が雲で隠れ、そして再び月が龍輝を照らした時、その口元は――
――歪に歪み、哂っていた。