30.存在の消えゆく果てに

2013年06月03日 15:11
風見鶏に設置された、とある医務室。
そこにある個室のベッドに、龍輝は横になっていた。
医者曰く、3日経ってもいまだ眠り続けているらしい。
その側には、巴と清隆、それと姫乃がいて、見舞いに来ていた。
部屋に入ってからの、沈黙。
目の前に現実と、これからの不安と、恐怖に、声が出なかった。
姫乃にとっても、清隆にとっても、龍輝は頼りがいのある先輩で、清隆には、姫乃のために解決の糸口を見つける協力をしてくれた音があり、姫乃にも、昏睡状態に陥った清隆を助けてくれた恩があった。
それなのに、自分たちは、彼を救うことはできない。
自分の無力さに腹が立ち、何にも返せなかったことに後悔していた。
そんな時だった。
 
「あ……」
 
「龍輝!?」
 
龍輝の口から、声が、喘ぐような声が漏れた。
驚いて彼の顔を凝視すると、少しずつだが、その瞼が開かれていくのが分かる。
 
「龍輝さん……」
 
「清隆……巴……それに、姫乃……?」
 
首を少しだけ傾けて、3人の様子を確認する。
それを終えて、どこか満足そうに微笑むと、また首を元の角度に戻した。
 
「清隆、ありがとうな。お前のおかげで、俺は……戻ってこられた」
 
その言葉を聞いて、清隆は、胸にせりあがってくる何かをぐっと堪えるように、1度瞳をぎゅっと閉じて、もう1度向き直った。
 
「俺は……俺は、その程度のことしかできませんでした。俺は本当は、切り離したかった、龍輝さんと、龍輝さんに憑りついた龍って奴を……!」
 
「……迷惑かけられる立場だったのに、迷惑をかけてしまったな。いいさ。これが俺の『役割』なんだってよ。あいつは、俺は幸せに離れない、みたいなことを言ってたみたいだけど、俺は十分に幸せだった。孤独の世界から引っ張り出してもらって、多くの人と出会って、リッカと恋人同士になって。俺は幸せなんだよ」
 
龍輝の体は、確実に死に向かっていた。
そして、その理由が、リッカには勿論、姫乃や清隆にとっても、残酷で、現実的な理由だった。
龍輝の体内に寄生していた龍は、龍輝の膨大な魔力があったからこそ体内で安定して寄生できていた。
しかし、その魔力がリッカと作ったオリジナル魔法でほとんど消滅したため、龍が生存するための魔力量の条件を下回り、龍の寄生が安定しなくなった。
その結果龍輝の暴走は止まったが、代わりに龍は龍輝自身の精神を、生命を蝕んでいく。
つまりは。
 
――死因が、姫乃たちの母と、完全に一致していたのだ。
 
龍輝は、巴たちに帰るように言うと、同時に、清隆に、葵にここに来るように伝えてこい、と頼んでおいた。
 
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しばらくして、葵がアルバイト先の店主から許可を貰い、龍輝の見舞いに来ていた。
葵は分かっているのだろう、どうしてこうなってしまったのか。
そして、その発端が、自分にあることすら、理解しているのだ。
その表情は、前髪に隠れてよく見えなかった。
 
「龍輝さん……」
 
「葵、来たか」
 
「はい」
 
龍輝は喋りやすいように上体を起こし、腰を後ろに下げて、壁にもたれて落ち着いた。
そして、諭すように、葵に語った。
 
「この世界は今、俺によって構築されている。確かに君の起こした禁呪は、4月30日までが期間なのかもしれないが、今その霧の力のほとんどが、俺のものになっている。だから、俺がいなくなれば世界が終わり、次のループへと突入する。そしてその世界では、俺は存在しないし、誰の記憶にも残らないだろう。だからその前に言っておきたい」
 
そこまで言っておいて、一旦区切る。
そして葵の瞳を覗き込むように見つめて、言葉を続けた。
 
「――お前、死にたくないんだろ」
 
葵は驚いた。
何故自分のことを知っているのか。
霧の魔法の発動者は自分で、自分は霧の影響を受けないはずだと、そう思っていたからだ。
 
「死ぬのは確かに怖い。俺だってさっき清隆たちに偉そうなこと言ったけど、怖いもんは怖いんだよ。なら、何故怖がる?」
 
葵はその問いかけに、少し考え、1つの閃きを口にした。
 
「皆さんと、ずっと会えなくなっちゃうから、ですか?」
 
「それも正しい。でも、それだけじゃない。自分のいないところで、自分のためにみんなが悲しむ。涙を流す。だから怖いんだ。少なくとも、俺はそうだな」
 
かつて友人が言った一言。
相手が悲しめば、自然と自分も悲しくなる。
しかし、死んでしまえば、相手がどれだけ悲しもうと、それを共有することはできないのだ。
一緒に涙することはできないのだ。
その悲しみを、押し付けてしまう。
それが、ものすごく怖かった。
 
「だったらさ、笑ってさよならできるんだったら、死ぬことも怖くはない。残された時間を、後悔しないように全力で生きて、人生を楽しんで、そして、みんなの前で笑って死ぬことができる、それって、すごく幸せなことだと俺は思う。だから、葵、踏み出してみようぜ」
 
葵は、龍輝の話を聞いて、ゆっくりと項垂れた。
 
「分かってたんです。自分がどれだけ許されないことをしていたのか。地上で、たくさんの危ない事件が起きて、これじゃいけないって、ずっと考えてたんです。でも、やっぱり死んじゃうのは怖かったから……」
 
龍輝は、泣きそうになっている葵の髪をゆっくり撫でる。
 
「お前には、素敵な仲間がいる。明るい笑顔がある。その太陽のような笑顔を、みんなの心の中に残してやれよ。みんなと笑い合って、みんなと仲良くして。それで、お前が死んでしまっても、何度も何度もその笑顔を思い返してもらうんだ。そう考えたら、少しくらい、怖くなくなるだろ?」
 
「そう……ですね」
 
自分の涙を自分のか細い指で拭い取って、少し無理矢理に笑顔を作る。
今は無理だが、いつか、心から誰かと笑いあえる時に、最高の笑顔を向けられるように。
 
「俺は信じてる。お前が、1歩踏み出して、未来へと進んでいけることを」
 
「私だって、龍輝さんがまだまだ生きていけることを、そして、もし死んじゃったとしても、生まれ変わって会えることを信じてます」
 
「それは、いいな……」
 
そして葵は立ち上がる。
扉の方まで歩いて行って、こちらに振り返った。
 
「それでは私は、お仕事に戻らないといけないので、そろそろ戻ります」
 
「ああ、無理はするなよ。何かあったら、みんなに頼れ。事件のことだって、生徒会の連中なら、全力で協力してくれるから」
 
「はい」
 
そして、扉は閉まり、個室に1人取り残される。
目を閉じれば、思い浮かんだのは、あの男の顔だった。
自分を育ててくれた、血は繋がってはないが、父親のような人だった研究者。
シグナス・ルーン。
彼のこともまた、全貌は知らずとも、彼の記憶の一部なら霧の中に残っていた。
彼が自分を拾い、『研究施設』へと連れていった。
その時の自分は、感情を一切持ち合わせず、ただ、生きたい、力が欲しいと思うそれだけで、強大な思いの力を得ていた。
そしてそこで、膨大な魔力を持った自分が役に立つことを知り、自ら自分の意志で『実験』に『研究材料』として参加した。
あらゆる苦痛を与えながら、自分もその光景に苦しみ、それでも自分の研究を完成させるために動いた。
そして自分が1人の人間として生きる決意をした頃、シグナスはある魔法を使った。
黒龍をこの世に召喚するための、召喚術。
 
――ああそうか、アレを呼び出したのは、他でもなくシグナスだったのか。
 
そんなことはどうでもよかった。
それもまた、きっと魔法使いのためになるのだろうと思った。
彼は悪くないのだと、そう信じたかった。
とにかく今は、――そう、会いたい人がいた。
そう思っていると、ふと、ドアのノック音が聞こえてくる。
追い返す理由もないので返事をすれば、そこにいたのはさくらだった。
 
「ここのところずっと会ってなかったね」
 
「……ああ」
 
悲しげな表情、それは、さくらも悟っていたのだろう。
龍輝はもう自分とは遊べないこと。
龍輝がいなくなること。
 
「ボクにチェスで勝てる人、他にはいないんだ」
 
「そうか……」
 
「だから、最後に1回だけ、やろ?」
 
「……悪い」
 
そう一言言うと、さくらはしゅんとして項垂れた。
そして、さくらに、リッカを呼んでくるように言いつけた。
さくらは駄々をこねる。
会えなくなっちゃうのは嫌だと。
リッカと清隆と龍輝と、みんなで一緒にいたいと。
龍輝はそれを苦し紛れに説得し、さくらを行かせた。
最後に、一言。
 
「さくら」
 
「……ん?」
 
「また、どこかで会おうな」
 
「うん」
 
悲しげな表情の中で、最後に見せたささやかな笑顔。
龍輝の脳裏に、焼き付いて離れなかった。
最愛の女性によく似た雰囲気。
その笑顔はリッカのそれと同様、温かいものだった。
そして――
 
「龍輝」
 
走ってきたのだろう、肩で息をしながら乱暴に扉を開けたのは、彼の恋人である、リッカ・グリーンウッド。
龍輝は思った、最後に会えてよかったと。
 
「なぁリッカ」
 
「な、なに?」
 
「俺の我が儘1つだけ聞いてくれないか?」
 
龍輝の言葉に少し驚くも、ようやく意識を取り戻した恋人の願いである。
リッカが頷かないわけがなかった。
 
「あの島で、一緒に桜を見よう」