31.舞い散る桜の中で

2013年06月03日 15:12
龍輝は車いすに乗せられ、リッカに押されて医務室を出た。
そして無言のままに船着き場までゆっくり向かい、そこで船に乗った。
2人とも個人用ボートはあるのだが、いかんせん龍輝の体が殆ど動かないので、リッカも一緒に船で移動することにした。
船の甲板で、少し話した。
会話は上手く繋がらなかった。
お互いに色々話を切り出そうとしたけれども、すぐに途切れてしまう。
リッカは、うっすらと感じていた。
もしかしたら、と。
だから、どうしても会話に集中できない。
もしかしたら、もしかしたら。
話したいのに話せないもどかしさが、更にリッカの心を締め付ける。
無言の龍輝の顔を覗いてみれば、そこには、何の感情も浮かんではいなかった。
ただ遠くの空を見上げて、遠くの湖を見下ろして。
そうして何も起こらないうちに、龍輝とリッカは大きな桜の植えてある島に到着した。
その桜は、リッカの研究の成果の1つ。
美しくて、雄大で、幻想的な、桜。
見るもの全てを夢に誘うような、しんしんと舞い落ちる桜の花びら。
 
「桜、相変わらず綺麗だ」
 
「ええ、そうね」
 
リッカは更に車いすを押して、木の根元まで龍輝を運ぶ。
そして、髪についた花びらを払いのける名目で、龍輝の髪を撫でた。
いつもと同じ、癖があっても柔らかい、茶色の髪。
触っていると、なんだか悲しくなってくる。
 
「ねぇ龍輝、桜、好き?」
 
リッカの問い。
龍輝は目を細めて、何かを思い出すように少し思い出に耽って、そして答えた。
 
「ああ、大好きだ。美しくて、雄大で、それでいて優しく包んでくれるような、そんな空気を運んできてくれた。リッカにそっくりだった」
 
「そう……かな」
 
「なぁリッカ、首が疲れた。椅子から降ろして、横にしてくれないか?」
 
リッカは反対することなく、龍輝の体を魔法を使いながらなるべく自分の腕で抱きかかえ、地面へと横たえた。
自分の腕で抱きかかえたかった。
最愛に人の温もりを、できるだけ感じていたかった。
そして横になった龍輝は、誘いかけるようにリッカに声を掛ける。
 
「お前も横になれよ。気持ちいいぞ」
 
言われるがままにリッカは龍輝の隣に腰掛け、そしてゆっくりと空を仰いだ。
どこまでも広がる空の色を背景に、薄紅色の桜がはらりはらりと舞い落ちる。
その間を流れる風が、龍輝とリッカの前髪を攫うように吹き抜けていった。
 
「……いい天気だ」
 
「そうね」
 
そして、どちらからともなく、手を繋ぐ。
まだ温かい、相手の手の温もり。
ずっと感じていたかった。
 
「リッカ、今まで、ありがとな」
 
「え……」
 
突然の感謝の言葉。
リッカの不安が、さらに広がった。
 
「こんな俺にさ、諦めずに声かけてくれたりさ」
 
「ちょっと、龍輝、何言って――」
 
「仲良くしてくれて、最後には、恋人同士になれて」
 
止まらない言葉。
リッカが遮ろうとしても、次々に溢れ出てくる。
 
「すごく嬉しかったんだ。ずっと1人で生きるものだと思ってた俺が、リッカたちのおかげで人の温かさを知って、スライのおかげで自分を取り戻すことができて、そして、リッカと恋人同士になれたおかげで、こんな幸せな気分でいられた」
 
「何言ってるのよ、これからでしょ?ま、まだ時間だってたくさんある!」
 
気が付けば、握っていた手は、震えていた。
リッカか、龍輝か、震えていたのはどちらか。
 
「もう嫌なの、大切な人を失うのはっ!どうしてみんな私を置いていっちゃうの!?ずっと傍にいたいよ……!」
 
ジルも、あの魔女狩りのせいで、自分に最後の願いを託して逝ってしまった。
あの時の悲願は、未だに叶えられていなかった。
ずっと旅をしてきた最愛の親友に、何も報いることができていなかった。
そして今度は。
最愛の恋人が、目の前で消えようとしている。
 
「俺はずっと幸せだった。あの日、リッカが俺に声を掛けてくれたあの日から。俺は、いつからかこんな日常を思い描いていた。いつまでも続いてほしいと思っていた。でも、そんなのは夢でしかなかった」
 
リッカには、言葉もなかった。
ただ、震えることなく淡々と紡ぎだされる言葉に耳を傾けることしかできなかった。
 
「思い残すことはない。ただ、恨み言を言うなら、俺は、運命に抗って、運命に挫折したんだ。俺だけならまだよかった。みんなまで巻き込んで悲しませる運命なんて、あっていいはずがない。だから俺は、運命なんて作り出した愚者を、絶対に許さない」
 
――俺はただ、みんなの輪の中で、リッカと共に幸せに過ごしたかった。
 
「この世界は、もうすぐで終わる。そうなれば、お前からも、みんなからも、俺の記憶はなくなるだろうし、俺の存在も、俺が存在した証も全て消滅し、元の時間軸に戻る。だからこそ、お前にはまだ未来がある。清隆と、シャルルと、巴と、Aクラスの連中と、みんなで進んでいける未来がある。だから、胸を張って進んで行ってくれ」
 
「そんなことできるわけ……!」
 
「あるさ。お前は凄い魔法使いだ。心が脆いところもあったけど、それは仲間同士で補い合えばいい。お前がみんなを引っ張って、魔法使いが安心して暮らせる世界を創ってくれ」
 
もう、止まらなかった。
いつの間にか溢れていた涙が、頬を伝って、地面へと吸い込まれていく。
 
「それでも、記憶のどこかで、俺のこと、覚えてくれてると、嬉しいなぁ……」
 
龍輝は、襲い掛かってくる眠気に負けて、目を閉じた。
心の流れに任せて、漂うように真っ暗な世界を流れていく。
その左手には、温かな温もりがあった。
現実と、夢を繋ぐ中継点。
 
「ねぇ、龍輝……!」
 
だが、彼は反応しない。
呼吸音だけを静かに響かせて、静寂の中で安らかな顔をしている。
 
「なぁ、リッカ」
 
呼びかけ。
 
リッカは、返事をしなかった。
 
返事をしてはいけない気がした。
 
その返事が、鍵になる気がした。
 
それでも彼は、続けた。
 
 
「そろそろ夢が、終わる」
 
 
終わらせたくないと、夢に縋り付きたいと、リッカは繋いだ手をぎゅっと握る。
 
魔法が想いの力なら、想えば、願えば、龍輝は隣にい続けてくれると。
 
 
「やめろリッカ。やめてくれ」
 
 
彼に制止されたリッカには、もう悲しみしか残っていなかった。
 
 
「夢はいつか覚めるものだろ。縋り付いちゃいけない。それは、また悪夢を呼び起こす。だから――」
 
 
そう、だから――
 
 
「さよならだ、リッカ」
 
 
告げられた別れ。
 
悲しくて、辛くて。
 
諦めたくなかった。
 
 
「嫌だ……!」
 
 
叫んだのは心からだった。
 
失う辛さを知っていた。
 
大切なものがなくなる寂しさを、体験したことがあった。
 
もう、何も失いたくなくて、これまで頑張ってきたのに。
 
 
「またいつか、どこかで――」
 
 
大切なものほど、すぐに失ってしまう。
 
それは、自分が『孤高』だから?
 
孤高だからこそ、孤独にさせるのか?
 
そんな悲しいものなら、力なぞ、名前なぞ、捨ててしまいたかった。
 
だから、傍にいてほしい。
 
自分の幸せを求める権利くらい、誰にでもあるはずだから。
 
 
「――ありがとう、リッカ」
 
 
手元が、緩んだ。
 
握っても、握り返されなかった。
 
何度も、何度も握りなおした。
 
子供が、壊れた玩具を直そうと、無駄な努力を続けるように。
 
 
「ねぇ、龍輝……?」
 
 
話しかける。
 
帰ってくる言葉はない。
 
――何か言ってよ。
 
また手を握る。
 
握り返してはこない。
 
何度も何度も同じことを繰り返す。
 
 
「龍……輝……?いやぁぁぁぁああああああぁぁぁぁあああああああ……!!!」
 
 
慟哭。
 
悲しみに打ち震える少女は、その薄紅色の景色の中で、最愛の人の亡骸を抱きしめて、叫んだ。
 
この記憶も、悲しみも、そしてこれまで積み重ねてきた幸せも、全ては、霧の中へと、消えていった。
 
枯れない桜の大樹は、その光景を目の当たりにして、何を思ったのだろうか。
 
夢は終わる。
 
そう、彼の夢は、ここで、終わったのだ。
 
数多の幸せと、数多の悲しみが溢れた夢の、始まりと、終わりの物語。