33.顔を上げれば

2013年11月05日 16:40
新しい家族ができた。
新しい名前を授かった。
2度目の生を受けたような、そんな錯覚を覚えた。
嬉しくなかったといえば嘘になる、が、それでも完全に違和感が拭い去れた、とも言い難かった。
新しい家庭に引き取られて、それなりにまともな生活を送っていた。
その中で龍雅と名付けられたその少年はやはり、どこか自分を、家族を見ていなかった。
彼が見ていたのは、やはり、いつまでも、空の向こうだった。
 
そんな、静かで、それでいて温かな家庭は、そのまま数年続き、いよいよ龍雅の弟である光雅も小学校に通うになり、それと同時に、龍雅も中学校に通い始めた。
とは言っても、龍雅は小学校では必要最低限の人間関係しか作っておらず、彼には友達というカテゴリーは存在しなかった。
周りの児童は正直に言って眼中になかった。
学校の授業を受ける前から、何故かその教科のことが理解できた。
おかげでテストは毎回満点で、だれにも頼ることなく、いつも独りで過ごしていた。
無論、そのせいでペア行動、集団行動において、かなり苦労したようだが。
弟の光雅は、母に料理の仕方を厳しく教えてもらっていた。
龍雅に何度か愚痴を零していたのだが、残念ながら相談役としては、龍雅は役に立たなかった。
そもそも、殆ど何も喋ろうともしないのだから。
しかし、それでも龍雅は、彼の言葉に耳を傾けていた。
何も話さずとも、龍雅は弟に心を開いていたのかもしれない。
自分の部屋に無断で入ってきては、『舌が死にそう』だとか、『母さんが怖い』などと泣き言を言っていたのだが、何度彼が部屋に来ようとも、龍雅は彼の気が済むまで彼を追い払うようなことはせず、とりあえず聞き流していた。
どちらかというと、そうやって何も気にせず話しかけてくれる存在が、喜ばしくもあり、同時に憧れだったのかもしれない。
そして何度も食卓に並ぶ、弟の料理。
龍雅にとって、それがどれだけ下手なものであろうとも、美味く感じた。
母のそれには到達しないまでも、光雅の料理は、自分の舌を、腹を満足させてくれるものだった。
それは単に光雅の料理の才能が少なくとも開花したものであるということ、そして光雅が龍雅のために作ったものであるということから来ているに違いない。
それだけ、この兄弟は、口を交わすことはなくとも、どこか強い絆で結ばれていた。
さて、そんな時に、龍雅の身に事件が起こる。
学校での出来事である。
中学校に入学してしばらく、いつも通りの学校生活を送っていた時に、ふとした拍子でクラスでのいじめが表に出てきてしまう。
というのも、同じクラスの女子生徒――月宮輝夜(つきみやかぐや)の、人見知りで、どこか陰湿めいた性格をしていたのと、それでいて妙に成績もよく、教師陣にも何かといい意味で目をつけられていたために、あらかじめ彼女はいじめを受けてはいたのだが、偶然が重なって、ふとそのいじめが表立ったものとなってしまったのだ。
 
「ふざけんなよお前、先生にチクったろ」
 
「あー腹立つわコイツほんと」
 
「ちょっとこっち来いや」
 
少女1人を取り囲んで、男子生徒が少女に罵詈雑言を浴びせかける。
それも、白昼堂々、教室の後ろに空いたスペースで、他のクラスメイトが見ている中で。
始め龍雅は無視を決め込もうと思っていた。
自分が止めたところでメリットはない。
むしろクラスでの立ち位置も面倒なことになるだけで、そこには自分が動くことでデメリットしか存在しないと。
男どもの罵声。
少女の悲鳴。
外野の喧騒。
 
――ウルサイ。
 
苛立ち。
以外と龍雅は単純な人間だった。
椅子を蹴り飛ばすようにして立ち上がり、のっそりと集団の方に首を向ける。
 
「なっ、なんだよ……」
 
突然の物音が、クラスの中に沈黙を走らせる。
その鋭い視線は男子生徒の顔を1人ずつ捉えていく。
その度に圧し掛かる戦慄、恐怖。
虎か、あるいは獅子に睨まれたような錯覚を覚えた。
 
「お前ら本当におめでたい奴だな」
 
「……ああ?」
 
「よってたかって1人をなぶって、それで自分が強ェとか錯覚しちゃってるわけ?お前ら1人じゃ何もできねェ癖によォ、自分の優越を主張したいなら条件くらい合わせたらどうだ雑魚共」
 
興奮した連中というのは、すぐに頭に血が上るものだ。
その結果、普通なら同様しないベタな挑発にも、この男子生徒たちが引っかかるのは日の目を見るより明らかだった。
 
「――ッい加減にしろよ!」
 
挑発に対して激昂した1人が拳を握って襲い掛かる。
それに続くように、標的を変更して襲い掛かってくる男子生徒。
龍雅は冷静だった。
それでいて、冷酷だった。
自分の中の意識を、全身に集中。
そして、幻想と現実をリンクさせる。
 
――≪加速運動(アクセラレート)≫
 
体の内から響き渡るような声。
龍雅が発したわけではない――が、それでもその言葉が龍雅に力を貸していることは確かだった。
見える。
6人程いる男子生徒の動きが、手に取るように把握できる。
暴力を回避しながら、確実に、そしてより大きなダメージを与えられるように、急所に拳を、肘を、膝をめり込ませていく。
それは、たった5秒の争い。
ほんの5秒で、劣勢だった人間の勝利によって、その場は収まった。
が、学校側はそうにはいかなかったようだ。
騒ぎを聞きつけた教師が龍雅を呼びつけて、生徒指導室にて指導を受けた。
薄暗く狭い教室で、電気をつけることなく、教師と龍雅は向かい合う。
 
「先に殴ったのはお前か?」
 
「先に殴ったのは向こうで、先にダメージを与えたのは俺だ」
 
龍雅は正直に答える。
 
「いくらなんでも、アレはやり過ぎだろう」
 
教師という立場もあって、暴力は推奨できない。
だから、割とよく使われるような言葉で龍雅を宥めようとする。
 
「殴った時、自分の手も痛かっただろう?相手も同じ痛みを受けるんだ。暴力では、何も解決しない」
 
「それでは先生、俺はあの時素直に殴られてろと?それとも、話のできない相手に『話をしよう』などと問いかけるンですか?」
 
「何故最初から話ができないと決めつける?彼らにだって話し合う余地はあったかもしれない」
 
「挑発で頭に血の昇った連中に話し合う余地とかないと思いますが?」
 
「その努力が必要なんだ!」
 
それ以降、龍雅は言葉を発しなくなった。
彼の言葉は、教師には届かなかったからだ。
教師はひたすらに生徒を説得しようとしている。
そのプライドと、面子もあって逆に論破されるわけにもいかない。
だから生徒に対してより上からの目線で説得しようとするその態度に、呆れた。
心底呆れた。
だから、彼の気が済むまで思う存分喋らせた。
自分は適当に相槌を打って、さも理解しましたと相手に表面上の意思疎通をする。
それまでが、昼休みの出来事だった。
そしてその日の放課後。
ただでさえ無口でプレッシャーを放つような雰囲気を醸し出している龍雅が、教師の説教のせいで、増々機嫌の悪さを窺わせる。
帰宅の準備をして、教室を去ろうとした時、声を掛けられた。
教室内からの声。
何か用があるのだから声を掛けたのだと、苛立ちながらも堪えて振り向く。
そこには端正な顔立ちの少年、バスケットボールをやらせるとお似合いなイメージの男子生徒が立っていた。
表情は、どこか機嫌がよさそうだ。
悪意を持って接しに来たわけでもなかろう。
名前は――覚えてない。
 
「お前、なかなかいい奴じゃんか」
 
「……は?」
 
突然の賛辞、何のことか一瞬理解できなかった龍雅は、1歩後ずさる。
 
「いじめのことだよ。俺もなんとかしたいって思ってたんだけど、いかんせん相手の人数が人数だ。話をつけようにも聞いてくれそうもないし、腕で黙らすのも難しい。結局何もできないまま俺はそれを見ていることしかできなかった」
 
少年は悔しそうに眉をひそめ、そしてそれを振り払うように顔を左右にブンブンと振って、再び笑顔を取り戻す。
 
「ちょっと強引だったかもしんないけど、お前はあいつらを黙らすことができた。おかげでもしかしたらいじめもなくなるかもしれない。なんせまたお前に見つかったら今度は殺されかねないからな」
 
冗談交じりに笑いながらそんなことを言うが、龍雅からしてみれば不謹慎なことでしかなかった。
ぶっとばしてやろうと握った手をそっと開く。
 
「ごめんな、変な迷惑かけちまって。それと、ありがと」
 
少年は、真面目だった。
クラスで浮いている不良のような男にさえ、分け隔てなく話しかけ、彼の功績を称える。
そして、そんな彼に、そして、彼の感謝の言葉に、どこか、懐かしさを感じるのだった。
 
「それじゃ、お前のこと待ってる人がいるみたいだし、俺もこれから部活だから、そろそろ行くわ。そうそう、俺は時川隼翔(ときかわはやと)。今までちょっとお前のこと怖くて話せなかったけど、これからよろしくな」
 
科白の途中で駆け出していったが、龍雅には聞き取れた。
さて、待っている人がいる、というので、教室を見渡していると、誰もいない教室――のはずが、いじめられていた少女の席の近くに鞄を持って立っている少女が、こちらを向いていた。
そう、月宮輝夜である。
待っていると言われたのから(言ったのは本人ではないが)、何か話があるのだろうと、歩いて傍まで行ってみる。
すると輝夜はびくっと肩を震わせて、小動物のように怯える。
 
「……そんなに怖がるなよ」
 
といいつつ、自分がどれだけ周りと関わらずに不気味さをばら撒いているかを少しばかり自覚していたので、少し仕方ないと思いつつ、話を聞く。
すると、怯えながらも、輝夜は話し始めた。
 
「その……先程は、ありがとうございました」
 
「気にするな。苛立ったからやったまでだ。お前がどうなろうと知ったこっちゃねェ」
 
「それでも、やっぱり助かりました」
 
「ああ、そうかい」
 
どうせそれだけだろうと思い背を向けて教室を去ろうとするが。
 
「あのっ!」
 
先程まで怯えていたとは思えない強い声で呼び止められ、歩調を止める。
もう1度振り返ってみると、今度は顔を上げて、しっかりとこちらを見据えていた。
先程のオドオドした雰囲気は感じられない。
 
「よかったら、と、友達に……なってください」
 
「……」
 
「私、知っての通り、友達、いないんです。だから――」
 
友達、という響き。
どこか遠いぼやけた記憶の、粉々になったその断片から、その言葉が何か大切なものだったということを伝えてくる。
だから、その言葉に、その誘いに、肯定しないわけがなかった。
何かが変わってくれる、そんな気がしたから。
 
「名前は……?」
 
ぼそっと、ぶっきらぼうに質問する。
時期がおかしいだろうが、彼は他人のことなど今まで眼中になく、名前を覚えるなんてもってのほかだったから仕方がない。
 
「……あ、えっと、月宮、輝夜です」
 
「弓月龍雅だ」
 
「その、弓月くん、帰る方向、近かったら一緒に帰っても、いいですか?」
 
突然の帰宅の誘い。
嫌な訳がなかった。
それでも、1つ問題点がある。
自分なんかと一緒に帰って楽しいのかと。
龍雅は無口で、帰宅中に彼女と言葉を交わすことなどほとんどないだろう。
そんな自分と一緒に帰って、彼女自身は楽しいのだろうかと、そう思った。
 
「あ、えっと、隣を歩かせてもらうだけでいいんです。ただ、誰かと一緒に帰りたいなって……」
 
不安そうに俯く彼女を見て、龍雅はどうしても冷淡になり切れなかった。
少し困り顔で首を縦に振り、嬉しそうな表情の彼女を見て、何も言わずに教室を出ていった。
夕日に照らされて、2つの人の影を作っている龍雅たちを、体育館で部活の合間で休憩を挟んでいる隼翔は、嬉しそうに眺めていた。