35.決別

2013年11月05日 16:41
それからはもう、毎日が楽しい日々だった。
学校のない日は、どこで何をしようとも、いつも輝夜と、隼翔と、光雅と、それから龍雅の4人で一緒だった。
光雅が積極的に先導して、隼翔が盛り上げて、輝夜が雰囲気に合わせて、そして龍雅が呆れながらついていく、それがいつも通りで、誰もがその日常を望み、満喫していた。
光雅はいつも見ていた。
嫌そうな顔で溜息を吐いた次の瞬間、苦笑いをする龍雅を――そう、龍雅が、笑顔を見せたのだ。
それはこの4人の時だけでなく、家庭でも、それは見え隠れしていた。
家族の誰かが龍雅に絡んだ時、その時は面倒臭そうに躱しながら話していても、別れる瞬間、その横顔に、どこか嬉しそうな笑みを浮かべていることが多くなっていた。
そして、そのささやかな笑顔は、更に隼翔たち友人の、そして光雅たち家族の喜びを、さらに助長させていった。
龍雅はもう、かつての孤児院にいた頃の、どこか不気味で、冷静に窓の向こうを眺めていた頃の彼とは、全く別人となっていた。
その時の不安と、焦燥を、今の彼は忘れていた。
 
ある日の朝、龍雅たちは毎週週末遊んでいるのだが、今週は遠出をしようという隼翔の提案が可決され、地下鉄で街まで遊びに行くことになり、近くの公園で集まっていた。
そして全員が集合したことも確認し、バスに乗って地下鉄の駅の近くにまで移動している最中である。
 
「……面倒臭ェ」
 
「あーもー、龍雅、まだそんなこと言ってるんか。もっと楽しまねーと」
 
「そうだよ」
 
通勤時間でも、通学時間でもない、利用客の少ない時間帯に搭乗したこともあり、地下鉄内はそれなりに広々としていた。
龍雅はだるそうにその座席にもたれ、情けない声を上げていた。
だがその姿を横から見て、くすくす笑っている弟がいた。
 
「面倒臭いって、兄ちゃん昨夜は楽しみにしてたじゃん」
 
「ハァ!?」
 
「光雅くん、何があったの?」
 
「なんてゆーか、そわそわしてたんだ。用もないのに下に降りてきては何もせずに上がったり、自分の部屋でうろうろしてたり、俺も耳がいいから聞いてたんだけど、なんか独り言も呟いてた」
 
「ンなことするわけねェだろ!」
 
龍雅がが飛び掛かって光雅を取り押さえようとするのを、光雅は咄嗟に座席から飛びのいてそれを躱した。
自分を捕えられなかった兄を見て、ケケラケラ笑う。
それを見た輝夜と隼翔も、同じように笑う。
 
「あーそうだよ楽しみにしてたよ!そりゃもう自分の部屋で不気味に独り言呟くくらいになァ!」
 
龍雅は顔を真っ赤にさせながら、とにかく叫んだ。
そしてふんぞり返るようにしてそっぽを向いて、当事者なのに我関せずな態度を取った。
 
「トモダチとどっか行くンだから、楽しみにしたっていいだろ……」
 
ぼそりと呟く龍雅。
輝夜も隼翔も、その言葉を聞いて固まった。
嬉しかったのだ。
龍雅は口には出さなかったものの、今まで自分たちと一緒にいた。
彼は本当はどう思っているのか、彼の態度通り、嫌がっているのではないか、どちらも同じような考えを抱いていたのは事実だった。
しかし、このタイミングで龍雅は自分から顔を真っ赤にして友達という言葉を口にしたのだ。
どうしようもないほど、嬉しかったのだ。
隼翔に至っては、感動して涙しそうになったくらいだった。
そしてそれを隠そうと、彼は龍雅のに飛びついてその肩に腕を回し、ハイテンションにおちょくりを始めた。
 
「なんだお前急に嬉しいこと言ってくれちゃって!その調子で輝夜ちゃんに『俺の大切な人だ』とか言ってやれよ!」
 
「ちょ、お前調子に乗ンな!月宮とはそンな関係じゃねェ!」
 
その、どこか幸せそうな兄の顔を、光雅はただ見ていた。
そして、ずっとこんな時間が続けばいいと、この家族で、この仲間で過ごす時間が、終わってほしくないと、そんな子供らしくないことを胸中に秘めていた。
 
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とあるファストフード店で昼食を済ませた後、一行は大きな商店街の中を回っていた。
洋服、食品、アクセサリー、CDショップ、ペットショップなど、実に様々なものがこの商店街にはあった。
 
「輝夜さんってさ、私服ちょっと地味だよね。せっかく可愛いんだから兄ちゃんのために今ここで服を買うべきだと思うよ」
 
「えっ……」
 
「お前なァ……」
 
相変わらず悪戯な光雅、そしてそれを真に受ける輝夜。
龍雅はいつものように呆れて溜息を吐いていた。
とりあえず服を見ることには賛同したようで、近くの洒落た店に入っていった。
いらっしゃいませ、という元気|溌剌《はつらつ》な男性店員の挨拶を聞き流して、店の奥へと入っていく。
そしてレディスの服、主にスカートやパンツ、ブラウスなどが並んでいるコーナーで立ち止まる。
 
「男ばっかだけど、コーディネートは手伝うぜ」
 
ガッツポーズで隼翔がアピールする。
しかし輝夜にとって、その姿は楽しいものだったが、頼りなかった。
実際いいろいろ選んでみたところ、隼翔にはセンスがないことが判明してしまった。
肩を落としている彼に、光雅が肩に手を置き、首を左右に振った。
つまりそういうことだった。
 
「……こういうのとかいいんじゃないか?」
 
龍雅が広げた純白のワンピース、龍雅がこれをチョイスするとは、誰も思っていなかった。
そしてその後帽子、バッグなどのアイテム、それからアクセサリーも適当に選んできたと思ったら、輝夜に押し付ける。
 
「ちょっとそれ着てみろ」
 
唖然としていた輝夜は気を取り直して試着室に飛び込んだ。
しばらくして出てきた彼女に、男性陣は目を奪われた。
これまで地味な服しか来ていなかった彼女が、眩しい白のワンピに身を包んで、その清純さがより一層引き立てられていた。
そして帽子やバッグなどに入ったシアンのラインがちょっとしたアクセントになっていて、涼しげで、派手過ぎもしない、清潔感あふれる仕上がりとなっていた。
そもそも、もともと輝夜の元の素材はいいほうだ。
今まで制服や地味な私服で、無意識にそれを隠していたのだ。
龍雅はすぐに彼女から目を離してメンズのコーナーにふらっと去っていった。
 
「か、可愛い……」
 
光雅は龍雅に着いていったのか、既にそこにいなかった。
ただ1人、隼翔だけが彼女に見惚れていた。
 
「えっと、恥ずかしいから、そんなに見ないで……」
 
「あ、悪い」
 
隼翔は慌てて目を逸らす。
 
「それ、似合ってるぞ」
 
「う、うん……。これ、気に入ったから、買ってもいいかな……?」
 
「俺が買ってやるよ。漢気ってもんを見せてやる」
 
こちらは、少し妙な空気が流れていた。
 
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そして、1日が終わる。
買い物袋を大量に持った隼翔と光雅が、汗だくになりながらも頑張って歩いている。
輝夜は心配しながら何度も自分も持つと主張したのだが、先程から様子がおかしい隼翔がそれを拒んだ。
光雅はその様子を見てにやにやしている。
龍雅は何が何だか分かっていなかった。
 
「いやー、今日はホンット楽しかったなー」
 
「そうですね」
 
プラットホームで今日の感想をなんとなく口遊んでいると、帰りの地下鉄がホームに進入してきた。
通常通りに停車して、ドアが開く。
搭乗人数はそれなりに多いようだが、鮨詰めなるようなレベルでもないみたいだ。
とりあえず座席を確保して、着席する。
 
「……あ」
 
龍雅が急に声を上げる。
 
「ん、どした?」
 
「いや、ちょっと喉乾いた。何か飲み物買ってくる。お前らも適当でいいよな?」
 
「発車すぐだから急げよなー」
 
3人が頷き、龍雅は走って地下鉄を降りた。
光雅がふと隣を見ると、輝夜と隼翔が、隣同士で座っていた。
恐らく、隼翔が意図的にそうしたのだろう。
とにかく意識的に視線を逸らしながら紅潮させている隼翔は、光雅にとって微笑ましい光景だった。
だがしかし。
 
――幸せな時間は、これを以って終了する。
 
前方の車両から、ざわめきが聞こえ、次第に大きくなってくる。
そして、それはついにここまでやってきた。
扉の向こうから10を超える人影が現れる。
全身を自衛隊のような迷彩服で纏い、物騒にもガスマスクを装着、その手にはハンドガンが握られていた。
身が縮むような恐怖に押し潰され、誰もが動くことも、声を出すこともできなかった。
そして、連絡もなしに、勝手に地下鉄のドアが閉まる。
龍雅は、まだ戻ってきてはいなかった。
そして、そこに1人残し、次の車両に残りが向かっていった。
 
「さて、生贄には大人しくしていてもらおう」
 
天井に向かって響いた発砲音は、周囲を黙らせるには十分過ぎた。
 
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売店でジュースを選んでいると、ホームが急に騒がしくなるのを耳で感じた。
特に気にすることもないだろうと思いそのままレジに進んで、会計を終わらせた。
ビニール袋に入った4本のジュース。
入れてすぐに、その表面には全て水滴が滴っていた。
売店を出ようとした時、違和感はその正体を現した。
龍雅の、自分の友を乗せた地下鉄が、何の前触れもなく発進していたのだ。
既にスピードは出ていた。
龍雅は地下鉄に乗り遅れたのだ。
いや、違う、地下鉄が何らかのアクシデントで、急遽発進せざるを得ない状況に巻き込まれたか。
周囲の状況を確認する。
慌てている。
焦っている。
恐れている。
 
――何があった?
 
自分を苛ませる不安、焦燥。
警察の到着と共に、その誘導に従って逃げ惑う人々。
龍雅は、その足を動かせなかった。
逃げてゆく人々の肩をぶつけられながらも、硬直してただその地下鉄が走り去っていった線路の奥、闇の向こうを見つめていた。
 
「キミも早く逃げなさい!」
 
彼の元に駆けつけて避難勧告をするどこかの武装した男性、国家の指示で動く治安維持の団体の人だろう。
龍雅は彼に何が起こったのかを聞いた。
彼はこう言った。
 
――地下鉄で発生した立て籠りテロだ。
 
カコン、と地面に何かが落ちる音。
警官が地面を見れば、彼が持っていたジュースが中に入ったビニール袋が、彼の手から離れて地面から落ちていた。
内2本が、落下の衝撃でボトルが変形していた。
ようやく、足が動いた。
後ろに下がった。
その方向は、線路へ。
男の静止を振り切って、線路内へと飛び出す。
誰の声か分からない、内なる声に身を任せて、現実と幻想をリンクさせる。
 
――≪加速運動(アクセラレート)≫。
 
全力を以って地面を蹴った。
逆方向に砂煙を撒き散らせながら、一般道路を走る自動車の数倍のスピードで、線路上を駆け抜けた。
ただひたすら、止まることのない地下鉄を追う。
光雅と、輝夜と、隼翔を助けなければならない。
 
――もっと速く、もっと速く走れ。
 
「ウルルアァァァァァァァァァァァァァ!!!」
 
龍雅の姿は、地下の闇の向こうへと、消えていった。
 
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一方車両内では、既に阿鼻叫喚の地獄絵図と化していた。
テロ集団により各車両に毒ガスを撒かれ、誰もが死にたくないと、逃がしてほしいともがき、足掻く。
悲鳴と、怒声と、絶叫が車内で暴れまわっていた。
その中で、車両の隅の座席で、蹲る少年少女3人。
輝夜、隼翔の年上2人が、毒ガスから光雅を守るように、周りのあらゆるものを用いて扇いでいた。
それが無駄な行為だと分かっていても、かすかな希望さえ、捨てることをしなかった。
 
「なぁ、輝夜ちゃん、俺もう、やべぇわ……」
 
「時川くん……?」
 
隼翔が、既に限界だった。
朦朧とした視界と、意識の中で、腕先と眼球の神経の感触にしがみつくように、必死に眠りについてしまうのを堪えていた。
 
「こんな時に言うのも反則なんだけどさ、俺、お前のこと、好きだわ……」
 
「そんな……。あ――」
 
輝夜もついに意識が朦朧とし、その体をふらつかせる。
隼翔は彼女を倒れさせまいと、重い体に鞭を振るって、彼女の体を支える。
 
「さっきの店でさ、試着室でさ、その袋に入った服着たお前に、一目惚れしちまったよ……。ホントにもう、アレ来たお前と、どこかデートにでも行きたかったな」
 
「……ごめんなさい」
 
何に対しての謝罪だったのだろうか。
ただ、彼女の瞳には、涙が溢れ返っていた。
 
「ごめんなんて言うんじゃねーよ。まるでフラれたみたいじゃないか。もう、なんでもいいや。光雅だけでも、何とか生かすぞ、輝夜ちゃん」
 
最後に、隼翔の顔は、真剣味を帯び、それでいて、いつものような、余裕を持った、希望にあふれた笑みを浮かべていた。
 
「……うん」
 
2人で、光雅を抱きしめるように、彼を護るように、その体を包み込んだ。
それからどれくらいしただろうか。
誰の叫び声も聞こえなくなった。
自分にしがみつく2人が視界を遮り、光雅は周りの様子を窺えなくなっていた。
気のせいだろうか、その重みが、初めにまして重くなっていた。
試しに、隼翔の肩を掴み、揺さぶってみた。
しかし、返事がない。何も言ってくれない。いつもみたいに、冗談を、悪ふざけを言ってはくれなかった。
手を放した。
すると、その体はバランスを崩し、地面へと落ちていった。
慌てて支えようとして、間に合わなかった。
バタリと生々しい音が響き渡ると同時に、周囲の光景が、視界に入った。
誰1人として、生きていなかった。
誰もが地面に伏せ、椅子にしがみつき、ドアにもたれかかって、屍となっていた。
そして、目の前の2人も――
 
「そ……んな――」
 
夢であってほしいと切望した。
自分はただ守られただけで、そのせいで2人とも命を失って、それで自分もこのままこの毒ガスで死んでいく、そんな自分が、悔しかった。
許せなかった。
 
「嘘だ……」
 
声を掠らせながら発したその呟きは、誰の耳に届くことなく、空へと溶けていった。
 
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車両はある程度進んだところで停車していた。
正面の窓ガラスを破って中に侵入したところに、武装した集団に取り囲まれる。
臆することなく連中を叩き潰し、客席へと向かった。
そこは既に、異界の地へと変貌していた。
見渡す限り、死体、死体、死体。
驚愕した、それでも、今脳裏に浮かんだ光景が現実となっていないことを自分に言い聞かせながら、武装集団を蹴散らして奥の車両へと進んでいった。
そして、彼は、彼自身がその生の意味を変える、最悪の光景を目の当たりにしてしまった。
通路の中央、1人の少年が、誰かを抱えて蹲っていた。
その背中は、震えていた。
そして、龍雅が来たことに気付き、そっとこちらを振り返った。
その顔は、今まで彼が見せたことのなかった、絶望の表情だった。
 
「オイ、光雅……!?」
 
「兄……ちゃん……」
 
龍雅は走り寄って、光雅を力づくで跳ね除ける。
するとそこには、穏やかな顔で眠る、隼翔と、輝夜の姿があった。
 
「なンで、どうして、こンな……!」
 
ふらふらとしながら立ち上がり、混乱する頭を抑えるように両手で髪を掻き毟る。
 
「兄ちゃん、俺……!」
 
「なンでお前だけ生き残ってんだよ!俺たちはずっと4人で、4人で……!」
 
その声には、涙が混じっていた。
悲痛な声が、光雅の耳に、胸に鋭く突き刺さった。
 
「俺は、お前らとずっと一緒にいたくて……!なのに、どうして……!」
 
その時、強烈な頭痛が走り、耐えられなくて、龍雅は地面へと蹲った。
内側から、声が響いてくる。
いつも彼を苛ませる、不思議で、不気味な声。
 
――もういいだろう?
 
――この世界は理不尽だ。
 
――容赦なく幸福を奪い去る。
 
――誰も幸せになどなれはしない。
 
――誰が望む?
 
――誰が願う?
 
――この不平等で、不条理な世界を。
 
――ならばどうすればいい?
 
――簡単じゃないか。
 
――消せばいい。
 
――滅ぼせばいい。
 
――なくせばいい。
 
――さすれば誰もがゼロという平等なラインに立つことができる。
 
――終わらせようよ。
 
――誰も悲しまない世界。
 
――誰も嘆かない世界。
 
――誰も恐れない世界。
 
――創れるのは、終わらせられるのは、誰だ?
 
内から響き渡る声が、全身を駆け巡る。
自我を乗っ取られそうで、恐怖した。
 
――お前たちは、誰だ?
 
逆に問い返す。
それに応える者はいなかった。
しかし、それに呼応するように、全身を走る1つの単語。
 
――Unknown
 
――Unknown Unknown Unknown Unknown Unknown Unknown Unknown Unknown Unknown Unknown Unknown Unknown Unknown Unknown Unknown Unknown Unknown
 
それと同時に、頭脳が揺れるような勢いで、頭の中に膨大な何かが侵入してきた。
それら全ては意志を持ち、感情を持ち、そして、絶望を持っていた。
それらが統合され、1つのものへと融合していく。
そこに自分の人格が混ざり合うようにして、新しい彼の『人格』が、“復活した”。
目の前の少年は、それを終わらせるのに、最も重要なファクターになると、彼は気付いてしまった。
この事件が、やがてこの兄弟の運命を大きく変えていくことになる。