39.桜並木を通り抜けて

2013年11月07日 00:09
夢の中を歩いているようだった。
前方を歩く2人の男女は、慣れたような素振りでこの空間を歩いていた。
神秘的な薄紅が龍雅たちを優しく包み、穏やかに迎え入れた。
この光景は――以前にも見たことがあった。
かつて魔法学校で、何度も通った通学路の桜並木。
あれと似通っていて、あの時の時間に戻ってしまったような錯覚を起こしてしまうくらいに、それは懐かしく、現実的ではなかった。
 
「これは……」
 
ふと、龍雅の口から言葉が漏れる。
それは決して意識したものではなかった。
安堵した心が、彼の口元を緩めたといってもいいだろう。
すると、ななかが振り返り、笑顔で、それでいてどこか懐かしそうにこう言った。
 
「ここの桜はね、不思議なことにね、1年中咲き続けるんだよ。少し前まで枯れてたんだけどね、また2月に咲き始めたんだ」
 
その発言に矛盾があることに、龍雅は気付いた。
それを指摘しようと思った瞬間、渉が補足するように説明を続ける。
 
「15年くらい前だったっけかなぁ、あの時もこうだったよなぁ。あの時はまさか枯れない桜が枯れるなんて想像もしてなかったけど、一度枯れて、もう一度咲くとなると、感慨深いもんもあるよな」
 
そして桜並木を抜けた先にあったのは、大きな建物だった。
そう、この初音島に存在する学園――風見学園。
時間にして午前11時、生徒はまだ授業中である。
校庭で体育が行われていないためか、静かで、それでもどこかい心地がいいような気が、龍雅にはしていた。
そして、その正門をくぐり、昇降口を通って、とある部屋の前に到着した。
 
――学園長室
 
扉の上のカードにはそう書かれていた。
 
「俺たちここのがくえんちょとは知り合いだし、そいつはちょっと曲者で、平気で悪巧みとかする奴だけどさ、なんだかんだでいいやつだし、話くらい聞いてくれるだろ」
 
渉はそう言って、部屋の扉をノックした。
 
「どうぞ」
 
抑揚のない女性らしき声が扉の外にまで聞こえてくる。
おもむろに扉を開ける渉に苦笑しながらもななかは後に続く。
それにつき従うように龍雅も学園長室に入っていった。
 
「いらっしゃい、大体何が用事かは分かってるつもりよ」
 
声のする方を向くと、そこには小柄な女性が座っていた。
白い髪を結って黒いリボンで留め、人形のような雰囲気を持つ少女だ。
 
「私が、ここの学園長よ。よろしく」
 
「あ、よろしくお願いします」
 
その小さな体には似つかない程の迫力というか、威圧感があった。
相手との慎重さに物怖じせず、逆に相手を品定めするような目で、それでいて一瞬で全てを理解したかのような表情の変化に、少なからず龍雅は恐怖した。
 
「それで、園長先生、話が分かってるなら頼みたいんだけど、この子ね――」
 
「学園に入学させたいんでしょ?」
 
「うお、やっぱお前は変わんねーなー」
 
「ぶい」
 
学園長はニヒルに笑って、ブイサインを作る。
 
「問題ないわ。入学式も少し前に終わったばかりだし、編入試験とか面倒だし、むしろ歓迎よ」
 
「それじゃ……?」
 
渉の表情に喜びが映える。
 
「君、名前は?」
 
「弓月龍雅です」
 
「ユヅキ……ねぇ……。まぁいいわ。また明日、午前8時くらいにまたここに来てくれるかしら?詳しい話はその時にでもするから」
 
「分かりました」
 
こうして、入学の件の話は意外とあっさり片がついてしまった。
学園長室を出て、渉がこう呟いた。
 
「やっぱあいつ、暗記術を使わなくたって十分頭いいよな」
 
「そうだよねー」
 
それに同調するようにななかもうんうん頷く。
2人は、学生時代の話を懐かしげにしながら、再び学園を去っていった。
龍雅は、この2人にどのような学園生活があったのか、正解に辿り着きもしない想像を繰り返していた。
 
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それから途中で龍雅は2人と別行動をとり、街中を歩いていた。
目的は、金銭確保のためのアルバイトバイト探しである。
どこか効率よく金を稼ぐことのできる案件はないものかと思案しながら、ゆっくりとした歩調で道を歩いていると、とある喫茶店を見つけた。
その店先、掲示板のような表示の1つに、目的の表記があった。
 
――アルバイト募集中!
 
――9:00~13:00 時給720円
 
――13:00~17:00 時給730円
 
――17:00~21:00 時給720円
 
ここ日本のアルバイトの相場は、龍雅自身よく分かったわけではないが、それでも真っ先に目についたものであるという理由で、ここにしてみようと考えた。
エントランスを潜り抜けて、店員の挨拶を聞き流し、席の案内に来た店員に、店先の掲示板でアルバイト募集の紙を見たことを告げると、その店員は龍雅を奥の部屋まで案内する。所謂、スタッフルームというやつである。
しばらくすると、そこの店長らしき人が現れた。
挨拶の声音も、見た目も、その表情も優しげな雰囲気を持つ人だった。
客足もこの時間帯は少なかったようで、割とあっさりと時間を割いて面接をしてくれた。
本来なら身元不明の人間を雇うことはできないのだが、ここの店長はお構いなしのようで、とりあえず話を聞くだけで龍雅のアルバイトを認めた。
それからというもの、歓迎の意も込めて店長が賄いを龍雅に振る舞い、それに舌鼓を打った龍雅は張り切って仕事内容を教授してもらい、一連の仕事の流れや客に対する対応など、あらゆることを覚えた。
制服を借り、早速ウェイターとして仕事を始めたのだが、ここからが彼の活躍の場だった。
彼のその『知識』によって、効率の良い作業手順はてっとり早くインプットされる。
それに≪加速運動(アクセラレート)≫を弱めに使用することで、機敏かつ正確な動きが可能となっていた。
ここまで来ればもはやベテランの店員も驚嘆するほどである。
 
そして夕方――
龍雅にとって、予想だにしない出来事が起こった。
他のアルバイト、店員に感心されながら、周りを気にすることなく淡々と、それでいて熱心に仕事をしている中、1人の少女がスタッフ専用出入り口から入っていく。
勿論このことに龍雅が気付くはずもない。
だが、その入れ替わりの時間に、彼らは――再開した。
 
「いや、そんなこともないですよ」
 
店長の褒め言葉を受け止めながら話していた龍雅の目の前に、1人の少女が姿を現した。
栗色のショートヘア、まだ幼くあどけない顔立ちが、可愛らしさを引き立たせている。
そのくりくりした瞳がこちらをとらえる。
その全てを、かつての『上代龍輝』は知っていた。
 
「ああ、葵ちゃん、学校お疲れ様」
 
「はいっ、店長さん、こんにちは」
 
太陽のような笑顔で店長に挨拶する。
その眩さも、温かさも、やはり知っていた。
 
「こちら、新人の弓月龍雅くん、年齢的には先輩だけど、バイトとしては後輩だから、いろいろ面倒見てやってくれ。とはいっても、彼、なかなかの仕事っぷりだけどね」
 
「えっと、陽ノ元葵ですっ!よろしくお願いします!」
 
「あ……、えっと、弓月龍雅だ、よろしく」
 
――ヒノモト、アオイ。
 
耳にしたその響きは、彼の期待を確信に変えた。
彼女は、『彼女』だった。
 
――私だって、龍輝さんがまだまだ生きていけることを、そして、もし死んじゃったとしても、生まれ変わって会えることを信じてます。
 
あの言葉は、あの想いは、間違いなく叶ったのだ。
限りなく嬉しかった。
あの時の仲間に、こんなところで再開できるなど思ってもみなかった。
だが、こんなところではしゃいでいても、何も始まらないし印象を悪くしてしまうだけだ。
その喜びを押し込めて噛み締めて、この日は何も行動に移さず店を後にした。
 
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「おう、おかえりー」
 
渉ののんびりとした声に返事をして、居間に向かう。そこにはすでに、渉とななかが座っていた。
 
「バイト先、決まったんか?」
 
「なんとか」
 
ふと、音がするので耳を澄ます。
多分ギターだろう、練習で引いているのか、ばらばらなテンポと音程で音色が聞こえてくる。
 
「ああ、この家には子供が1人いてさ、俺の子じゃないんだけど、俺の息子みたいなもんでな。正確にはななかの子供だったりするわけよ」
 
複雑な家庭なのだろうか――思案していると、階段からとてとてと誰かが下りてくる足音が聞こえてきた。
 
「お客さん?」
 
ひょっこりと顔を出したのは、真紅の髪と、それとは対照的な空色の瞳、中性的な顔立ちだが、どこか漢気を感じるような風格を持った少年だった。
龍雅を見つけるなり、少しばかり疑いの眼差しに変わった。
 
「渉さん、この人は?」
 
「ああ、ちょっと事情で家で預かることになったんだ。龍雅、こいつがその子だ。白河流々人(しらかわるると)って言うんだ」
 
「弓月龍雅だ、よろしく」
 
握手を求めると、流々人は躊躇いもなくその手を握り返した。
そして笑顔でよろしく、と返す。
するとななかがキッチンから盆をもって出てくる。
その盆には4人分の夕食が準備されていて、その香りが空腹を刺激した。
 
「いただきます」
 
久しぶりの団欒は、温かくて、楽しいものだった。