41.過去と未来の狭間で

2013年11月07日 00:10
翌日、龍雅は昨日再会した金色の少女と共に、とある部屋で昼食をとっていた。
誘ったのは少女、それに半ば強引に連れて行かれる形で彼女に同行したのだ。
 
「お前、|こっち《・・・》でも人気者なんだな」
 
「そりゃそーよ。私を誰だと思ってるの?」
 
「おかげで編入直後にいきなり眼飛ばされてるんだけどこれはどうすればいい?」
 
「無視しとけば?」
 
今、目の前に凛とした姿勢で座っている少女、森園立夏は、この風見学園のアイドルと称されるほどの美少女である。
それこそ、一部の男子生徒からすれば話しかけられるだけで恐悦至極、それだけ高嶺の花のような存在なのである。
そんな少女に声を掛けられる龍雅のような存在は、嫌でも周囲の男子生徒から妬まれるのだ。
 
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それはほんの少し前の話。
午前中の授業もすべて終了し、簡単に作った弁当を鞄から取り出してクラスメイトの友人2人を机の周辺に迎えた時だった。
学食や購買に生徒たちが走っていった直後、その扉から堂々と大きな声で龍雅を呼びかけるものがいた。
それこそ、森園立夏である。
 
「弓月龍雅くん、迎えに来たわよ!」
 
晴れ晴れとした笑顔で、その視線は龍雅をしっかりと捉えていた。
名前までフルネームで呼ばれているのだ。間違いなはずがない。
彼女が身を乗り出すと同時に、本校の制服のスカートが少しだけふわりと舞った。
 
「……おい、何でお前が立夏さんに呼ばれんだよ」
 
と、友人の片方がこちらを含みのある視線で睨む。
もう片方の概ね似たようなものだ。
 
「な、なんだ?」
 
ふと、近くに別の視線を感じて、そっと見上げてみると、昨日見た顔がそこにはあった。
その姿は、悠然と佇むその姿は、かつてのカテゴリー5と似ていて、分かってはいても、勘違いをしてしまいそうになった。
彼女は、『彼女』ではないことを分かっていても。
 
「ほら、行くわよ」
 
そう言うなり、彼女はいきなり龍雅の腕をとり、引っ張る。
 
「ちょ、行くってどこに?」
 
「そんなのどこだっていいでしょ?とにかくついてきて」
 
特に断る理由もないが、クラスメイトとの親睦の時間をないがしろにするのも忍びない。
あれこれと思案しているうちに、立夏の引っ張る力が強くなり、勢いに流されてとりあえず立ち上がってしまった。
見下ろすクラスメイトの片方の瞳に、うっすらと涙が浮かんでいた。
 
「まさか転入生に先を越されるとは……」
 
龍雅が立ち上がったことに満足したのか、立夏はとりあえず掴んでいた腕をついてくるように促した。
その際、龍雅は周囲の呪詛のような呟きを周囲から一斉に受けることになる。
 
「あいつここに来たばっかなのに生意気な……」
 
「あの野郎立夏さんとどういう関係なんだよ……」
 
「俺の立夏さんに何かあったらただじゃおかねーぞ……」
 
「俺だって弓月と2人っきりで昼食食べたいのに……」
 
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というわけで、今ここ、公式新聞部部室に、龍雅と立夏はいる。
満足げな笑みを浮かべた立夏に対して、どこか不満げに立夏をを見つめる龍雅。学園のアイドルを見るような視線ではなかった。
 
「それで、なんでここで2人なんだ?」
 
「決まってるでしょ、恋人同士が一緒に食事をとるのって普通じゃない?」
 
「……」
 
龍雅は、ふと視線を逸らした。
何かが間違ってる気がした。
これは、そのような状況ではないと、自分の理性が囁きかけてくる。
 
「私たちは、前世から運命の赤い糸で結ばれてたんだもの」
 
立夏は自分の弁当のウインナーを箸でつまんで口に放り込む。
そして、また曇りない笑顔を浮かべる。
 
「……そうなの、か?」
 
出なくてよかった言葉、その言葉を、抑えきることはできなかった。
今この状況を、否定しなければならないような気がした。
でないと、何もかもが、無駄になってしまうような気がしたから。
 
「1つ、聞いていいか?」
 
この質問は、彼女を苦しめる、そんなことなど分かり切っていることなのに、やはり止めることはできない。
 
「何?」
 
「お前は――」
 
そして、躊躇う間もなく――
 
「――リッカ・グリーンウッドなのか?」
 
「え……?」
 
驚きと、困惑に満ちた表情。
先程の笑顔は、既に今の質問で掻き消されてしまった。
 
「俺が愛したのは、いや、以前俺“だった”者が愛した存在は、紛れもなくリッカ・グリーンウッドだった。そして、彼女も、俺“だった”者も、既に存在しない……」
 
上代龍輝は、霧の黒龍の影響を受けて、あの桜の大木の木陰で死んだ。
そして、今目の前にいるのは、リッカ・グリーンウッドではなく、森園立夏なのだ。
それは、同じようなもので、決定的に違う。
 
「俺も、お前も、違うんだよ……。俺たちは、ただ記憶を保有しているに過ぎない。前世の記憶を持ち、同じ容姿をした、所詮全くの別人なんだよ……。いくらお前が過去の俺のことを知っていても、俺が過去のお前のことを知っていても、今の俺たちに、何の関わりもないんだ……」
 
「……」
 
今度沈黙したのは、立夏の方だった。
 
「……ヒノモトアオイに会った」
 
「え?」
 
「彼女はきっと、上代龍輝のことは知らない。覚えていない。そういうことなんだよ。ヒノモトアオイは、陽ノ本葵じゃなかったんだ」
 
その時のことは、はっきりと覚えていた。
確かのあの時は、我慢できそうにない程嬉しかった。
でも、その喜びは、自分にしかわからない。それも、自分ではない者が感じるはずの喜び。それは、彼女には伝わらない。
 
「俺は、上代龍輝じゃない、弓月龍雅なんだ。それを忘れてお前の元に行ってしまえば、俺の過去が、弓月龍雅としての過去が、無駄になっちまう……」
 
詳しく語ったつもりはなかった。しかし、立夏はその言葉の間に、彼の人生をほんの少し垣間見たようで、水筒のコップを両手で握り締め、蹲るように丸くなって沈黙していた。
何を考えているのだろうか、何を言いたいのだろうか、自分でも、分からないかのように。
 
「……だったらさ」
 
震える唇から、言葉が出てきた。
立夏のものだった。
 
「だったら、証明すればいいじゃない」
 
顔を上げた彼女の顔は、先程と違って、真剣そのものだった。
かつて見た、リッカ・グリーンウッドとしての、孤高のカトレアとしての表情。
 
「私とあなたが、前世から運命の赤い糸で結ばれた恋人同士だってことを、今の私たち自身で証明すればいいじゃない」
 
「証明って、どうやって……?」
 
彼女の意図が、その自信が、理解できない。
ただそこに、何故か一抹の希望があるような気がして、手を伸ばしかけた。
 
「そんな理屈っぽいあなたを、私の全てでもう1度振り向かせてあげる。あなたが不器用な少年で、私が恋する乙女。過去のことも、今のことも全部ひっくるめて、もう1度あなたに私のことを好きにさせる。私も、あなたのことを全力で好きになってみせる。それなら、文句ないでしょ?」
 
その清々しい言葉は、一字一句、彼の心に浸透していった。
その言葉は、紛れもなく、森園立夏としての言葉。
しかし、やはりそこには、リッカ・グリーンウッドの面影が、ついてきていた。
 
――ああ、これが、俺が愛した女の生まれ変わり……。
 
彼女の中で、これからが新しい始まりだった。
だが一方で、龍雅の中では、ある意味、ゴールラインというスタートラインの1歩手前に立たされていた。
彼女の言葉に、惹かれていった。
彼女の態度に、魅かれていった。
そして、思い出した。
かつての自分は、こんな気さくな彼女に惚れたのだったな、と。
自分の手を引いて、新しい世界に連れ出してくれた彼女に惚れたこと。
今の彼は、限りなくその時の心境に、近づいていた。
既に立夏の宣言は、現実になりつつあったようだ。
 
「というわけで、これからもよろしくね!」
 
その言葉と同時に、立夏は龍雅の髪を撫でる。
すると、彼女の表情が驚きに変わり、やがて、穏やかなものに戻っていった。
 
「……本当に、色々あったのか」
 
懐かしむ様な、何かを思い出したような、そんな表情。
 
「私ね、昨日再会した時、色々言ったけど、実はそんなにはっきりとしたことは覚えてなかったの。ただ、私には誰か大切な人がいて、その人と一世一代の大恋愛をしたこと。その人に、絶対に会わなくちゃって思ってた」
 
「どうして、会えると思ってた?」
 
「それはね、信じてたから。奇跡とか、魔法とか、運命とか。私とあなたの想いが、常識なんかに負けるはずないって思ってたもん。だから、また会えるって、ずっと信じてた」
 
「そっか……」
 
どこまで行っても、森園立夏は森園立夏で、そしてリッカ・グリーンウッドだった。
 
「今あなたの髪に触れて、細かいこと、色々思い出したわ。……そっか、あんな悲しい別れ方をしたのに、私ったら、覚えてなかったんだ……」
 
少し寂しそうな顔をして、すぐに左右に首をぶんぶん振り、そして晴れ晴れした笑顔を取り戻す。
 
「でも、これからはこれからよね。絶対にあなたに、『100年前から好きでした』って言わせてあげるから、覚悟しときなさいよね!」
 
びしっと指をさして決める立夏に、龍雅は、なんだかこそばゆい気分になって、ただ、微笑むことしかできなかった。
心の底から溢れ出る幸せを、今度ばかりは押し込めておくことはできなかったようだ。
今はただ、彼女の傍で、この余韻に浸っていたかった。