42.そこにある笑顔

2013年11月07日 00:11
その日の放課後。
話の続きということで、立夏から同じ部屋、すなわち公式新聞部部室に来るように連絡を受け、授業終了後早速準備を終わらせて教室を出た。
通ってきた道順を思い出しながら辺りを見渡し、歩いている最中に目に入ったものの記憶を頼りにその部屋まで辿り着く。
ノックをすると、入室の許可が下りたので、ドアをスライドさせて中に入る。
そこにいたのは無論森園立夏だった。
 
「待たせたな」
 
「いいえ、早い方じゃない」
 
「そうか」
 
適当に空いている席に座り、同時に立夏が準備した茶を受け取って一口啜る。
慣れた動作で同じように席に座る立夏を横目で見て、行動を注視する。
 
「さて、こんなこともあろうかとちょっと部員のみんなには集合時間は遅らせるように連絡しておいたのだけれど――」
 
「話すことは、お互いたくさんあるだろうからな」
 
何気なく呟くと、立夏は満足そうな顔で身を乗り出し、頬杖をつく。
その多少だらけたような態度まで、あの孤高のカトレアと全く同じだった。
 
「そうね、それじゃ、まずは歓迎の意も込めて、こちらから少し話そうかしら」
 
「どうぞ」
 
龍雅が促す。
それに応えて、立夏も話し始めた。
 
「まずは――そうね、みんな、風見鶏の頃の記憶は持ってるわ」
 
話の初っ端から、龍雅は驚いた。
そんな偶然が、奇跡があり得たことに感嘆すると同時に、やはり簡単には信じられるものではなかった。
 
「私はね、少し前から、この記憶を持っていたわ。だから、あなたのことも、そして私自身のことも、ほんの少しだけ覚えていた。だから、それを頼りにあなたをずっと探してた。そして、見つけたのよ。あの時、みんなで霧を晴らしたメンバー、運命共同体の、残り5人を――」
 
そして立夏は部屋中を慈しむように見渡した。
そして一呼吸置いて、再び口を開く。
 
「あなたも見た葵、シャルル、サラ、姫乃、そして、清隆みんな揃ったわ。そして私たちは、自分の靄のかかった記憶を紐解くために、そして、あなたとの運命を引き寄せるために、このメンバーで新聞部を作ったの」
 
「そうか、みんな、こっちに来てたのか……」
 
龍雅ま目を閉じ、風見鶏にいた頃のそれぞれの顔を思い出す。
自分と遠慮なく、普通に親しく話をしてくれた清隆。
そんな清隆の傍にいて、いつも慕っては面倒を見たり、見られたりしていた姫乃。
風見鶏の生徒会長として、講堂の檀上で生徒全員に諸注意を促していたシャルル。
喫茶店でいつも忙しそうにしていて、それでいて太陽のような笑顔をみんなに振りまいていた葵。
いつも肩肘張っていて、何かしら努力していて、融通が利かなくて、でも子供っぽいところが可愛らしかったサラ。
その想いで一つひとつが、温かくて懐かしいものだった。
 
「それでね、昨年度の卒業パーティー、卒パって言うんだけどね、その時の新聞のテーマが魔法になって、そのための大きな手掛かりがこの島の枯れない桜だった。とは言っても、その時はまだ枯れてたんだけどね。私たちがみんなでそこまで行って、みんなで触れたら、急に咲いちゃってね」
 
龍雅がこの時間軸に来る前に最後に初音島に訪れた時は、桜は枯れて散ってしまっていた。
ということは、当時の年から、今の年までおよそ20年間程ここの桜は普通の桜だったことになる。
 
「そして、色々調べていってね、最終的に、私たちはさくらに会った」
 
「え――?」
 
さくら。
龍雅はその存在に、深く印象があった。
風見鶏にいた時、何度もチェスで連敗させた。
子供のように見えて大人のように物事を見て、大人びているように見えて子供っぽい
そんな、おかしな矛盾を性格に持った少女だった。
だがそれだけではない。
龍雅が、彼の弟、光雅との決着をつける際に、共に立っていた金髪の女性もまた――芳乃さくらだった。
まさか彼女までいるとは、思いもしなかった。
そもそも、なぜあの走馬灯のようなものを見ていた時に、気が付くことができなかったのだろうと、少しばかり考え込んでしまった。
 
「そこで私たちは、彼女からそれぞれの記憶を返還してもらった。だから、私が清隆たちと共に過ごした時間は、はっきりと思い出せた。だけど、やっぱりそこには、あなたはいなかったわ」
 
そう、彼女の言う世界の中に、そのループ世界の中に、上代龍輝が関わった事実など存在しなかったから。
それはもう、霧の禁呪が発動する前の、根本的な部分からずれてしまっていたのだ。
つまり、彼女たちが得た記憶というのは、上代龍輝の存在しない、リッカ・グリーンウッドたちが上代龍輝と出会っていない、あるいはそもそも上代龍輝の生まれなかったかもしれない時間軸においての、霧が晴れた直後までの記憶。
そしてその中に紛れ込んだ、上代龍輝の物語。
最終的になかったことにされた、100年前の、たった1回のループ世界の物語。
立夏の過ごした世界と、上代龍輝の過ごした世界は、別のものだった。
 
「そして昨日、あなたと再会して、今日あなたと話した後に髪を触って、その時記憶が私に流れ込んだ。全てを取り戻した時、本当に嬉しかったわ」
 
そう語るリッカの顔は、紛れもなく喜びを全面的に表していた。
 
「これで、私の話はおしまい。何か、質問ある?」
 
立夏が少し首を傾げてこちらを見る。
龍雅はそれではと立夏に質問を返した。
 
「結局、お前たちは、いや、過去のお前たちは、どうやって霧を晴らしたんだ?」
 
「ああ、言いそびれちゃったわね。キーアイテムはさくらが持ってた桜の枝だったわ。あれが人の想いを集めるマジックアイテムで、それはあの霧とは対をなす存在だった。それを使って新聞部のメンバーで力を合わせて、霧を晴らすことはできたわ」
 
これが、立夏の言っていた、龍輝によって背中を押された結果なのかもしれない。
物語がなかったことにされても、どこかで、リッカは龍輝のことを覚えていたのだろう。
 
「それじゃ、今度は、あなたの番ね。あなたが、どういう道程でここまで辿り着いたのか――」
 
龍雅は語る。
転生した後の世界の、とある兄弟の話。
曇り硝子の向こうを、空の向こうを眺めていた少年と、その不愛想な少年に声を掛けた少年。
そこから始まる、悲しみと宿命の物語。
世界を終わらせようとして、未来へと向かう正義と対立した。
不平等を嘆く正義と、未来に希望を見出す正義。
どちらもが正義で、どちらもが正しくて、その先に、自分の正義が負けた。
そして兄は、弟に一抹の幸福を託した。
 
「……素敵な話じゃない」
 
話を聞き終えた立夏は、寂しげに微笑んで、龍雅の話に感想を飾った。
何とも言えない感情を何とか言葉にしようとして、その結果、簡素で単純な言葉になってしまった。
 
「だから俺は、昼休みに言ったように、全てを忘れてまたリッカの元に帰ることができなかった。それは、俺の弓月龍雅としての人生を否定することになる。それは、俺が尊敬して、憧れて、憎悪して、最終的に望みを託した弟に対して侮辱することになる。そんなことは、俺にはできなかった。なぜなら俺は、上代龍輝としての人生も、弓月龍雅としての人生も、どちらも背負って引き摺って生きていくことに決めたから」
 
立夏は何も言うことなく、龍雅の語る言葉に耳を傾ける。
 
「そんな俺を本当に好きでいられるのなら、その運命の赤い糸とやらを、証明してくれ。過去も現在も未来も全部ひっくるめて、もう1度俺と向き合ってくれ。そうすれば誰も苦しまない、誰も不安がらない。そして――誰もが納得してくれる」
 
その言葉が終わるなり、立夏はふふっ、と微笑んだ。
 
「やっぱり理屈っぽいわね、|龍雅《・・》」
 
立夏は、初めて龍雅を名前で呼び捨てにした。
龍雅もそれに気が付いた。
行動の早い立夏は、早速始めていたのだ。
 
「……理路整然としてないと落ち着かない質でな」
 
龍雅もふっ、と笑って、窓の外を見た。薄紅色の鮮やかな景色の上には、広く晴れ渡る青空があった。
それは、曇り硝子から覗いた景色とは比べようもないほどにすっきりしていて、瞳を通って心に透き通っていった。
そして、扉が開く。
無論、龍雅や立夏が開けたわけではない。
となると、開けたのは、同じ部活の部員ということになる。
そう、公式新聞部のメンバー、かつての龍輝の周りにいた面子である。
 
「立夏さん、そろそろいいですか?」
 
「立夏―、お客さんって誰のこと―?」
 
そう言って、いつも通りの心持ちで部屋に入ってきた彼らは、立夏と共にいた『客』を見て、きょとんとする。
一方で、その『客』も、彼らを見て、唖然としてしまった。
そこにいたのは全員、龍雅にとって、いや、この場合龍輝にとって全員、良く見知った人物だった。
だから声が出ない。
先程立夏自身からあらかじめ聞いていたとはいえ、やはり、その光景は、夢のようで信じられず、それでもそれは、現実として目の前にあった。
とりあえず、葵以外、一応初対面となるので、席を立って彼らに向き直った。
 
「彼が、私の運命の人、弓月龍雅くんよ」
 
するとかつての仲間に瓜二つな彼らは、目を真ん丸にして驚嘆の声を上げながら龍雅の方を一斉に凝視した。
 
「えっと、弓月龍雅、本校1年だ、よろしく」
 
すると、シャルル・マロースに似た少女がうわー、と声を上げる。
だが彼女だけでなく、他の人も行動には現れてはいないものの、似たような心情だっただろう。
 
「えーっと、みなさん混乱してるみたいなので、とりあえず、バイト先でも一緒ですが、陽ノ|下《・》葵です。よろしくお願いします」
 
ペコリと軽くお辞儀をして、1歩退く。
同時に立夏が溜息を吐いて、他のみんなに自己紹介を促す。
まず前に出てきたのは、唯一の黒一点、公式新聞部の男子生徒だった。
 
「付属3年の、芳乃清隆です。よろしくお願いします」
 
彼の自己紹介を聞いて、龍雅は首を傾げる。
 
「あれ、『葛木』じゃないのか?」
 
「ああ、えぇと……」
 
素直な質問をぶつけてみると、清隆は回答に窮したようだ。
どうにもこの辺は事情があるようだ。
 
「そもそも過去の清隆がね、芳乃性だったのよ。それが葛木家の養子になって、苗字が『葛木』になったんだけどね」
 
「ああなるほど」
 
立夏の補足説明のおかげで、とりあえず納得がいった。
正直、リッカ・グリーンウッドから森園立夏へと名前を変えているため、残っているのが名前だけなのだと思ったら、存外そうでもないようだ。
 
「同じく付属3年の、葛木姫乃です。兄さん、じゃなくて、芳乃……清隆……くんとは、幼馴染で、兄みたいなものなので、いつもは『兄さん』と呼んでます」
 
清隆を名前で呼ぶのが羞恥で憚られた辺り、姫乃にとってやはり清隆は兄以上の存在なのかもしれない。
このあたりの人間関係までもが再現されていることに、奇跡も案外身近なものになってしまったものだと龍雅は苦笑する。
 
「えっと、付属3年の、瑠川さらです。よろしくお願いします」
 
龍雅を多少警戒しているのか、一礼しながらもその目線だけはずっと龍雅の方を向けていた。
別段それ程疑っていたり邪険にしたりしているわけでもないが、やはりさらにとって初対面の人間というのは緊張するのだろう。
さらは、やはりサラだということだ。
 
「本校1年の芳乃シャルルですっ!タカくんとは従姉弟同士で、タカくんのお姉ちゃんです!」
 
と、自己紹介を終えてすぐに清隆に飛びついたシャルルは、かつてスキンシップの激し過ぎた生徒会長と全く同じだった。
そして、軽く自己紹介を終えた後、少しの間ざわつきが始まる。
 
「それにしても、ここまで立夏の設定が本当だったなんてねー」
 
「魔法とかカテゴリー5とかはさくらから聞いて納得しましたけど、まさかそこにはない運命の人が待ってるとかいう奥深い設定まで正しかったとは……」
 
と、シャルルとさら。
 
「設定言うなー!どっちも本当だったでしょうが!」
 
立夏の非難の声。
この部活動の力関係をなんとなく把握すると同時に、そのやりとりもまた、かつての和気あいあいとした日常生活の一部だった。
ここまで来て、少し自分を思い返す。
そういえば、自分であれほど奇妙な発言をしてた癖に、結局は自分で過去に延々想いを馳せてるじゃないかと。
少しだけ、自重しようと心得る。
 
「ところで、龍雅さん。もし立夏さんの設定……じゃなくて、運命が本当なら、龍雅さんは、100年程前のロンドンでは、どういった立ち位置なんですか?」
 
そう、それは隠された物語。
溢れ返るほどの悲しみと、絶望を抱えた箱。
そんなパンドラの箱のような物語の先には、今のような、みんなで笑いあえるような日々が、待っていた。