44.仲間との親睦
2013年11月07日 00:12
その週の週末、龍雅はさらと姫乃と共にバイト先の喫茶店で集合していた。
というのもその目的は、例の『幸せを呼ぶ夫婦(めおと)』の調査である。
以前にさらと葵が手に入れた目撃情報及び体験談によって、その存在が彼女たちの中で明確になったのは調査するにあたってモチベーションは大きく弾んだ。
その話を聞いた龍雅は、何かが引っかかって、首を傾げていた。
もしかしたら偶然でもどこかで遭遇できるかもしれないという立夏の希望的観測の下で三手に分かれて行動することになっている。
1つは清隆と葵。初音島の東側を担当。
シャルルと立夏は島の西側を担当している。
そして残った龍雅とさらと姫乃が島の中央部を担当している。
これは当初立夏も悩んだのだが、敢えて自分とは共に行動をさせずに、とりあえずは公平に部員との親睦を深めておく意図も兼ねてこのように組ませたようだ。
立夏はまだ始まったばかりだと思っているからこその、龍雅の無意識な淡い気持ちに気が付いていないところを見ると、少しやるせない気がしないでもない。
「弓月先輩は、立夏さんのことどう思ってるんですか?」
調査ということで外を歩いている時、ふとさらが質問を投げかけた。
立夏は龍雅のことを特別視している、となると龍雅は立夏のことをどう見ているのか。それを気にするのは当然のことである。
だからこそ特に考えなしでさらは龍雅に直接訊ねる。
「そうだな、なんて言えばいいか……」
たくさんのことがあって、たくさんの思い出があった。
嬉しいこと、楽しいこと、悲しいこと、辛いこと。
だから、そう訊かれても、すぐに答えは思い浮かばず、少し遠くを見ては言葉を模索する。
「……大切な人、かな」
その結果、結局そんな曖昧な言葉しか出てこなかった。
でもそれが、彼の最大限の答え方だったのかもしれない。
「それって、やっぱり好きだってことなんですか?」
少し照れるように頬を染めながら、姫乃が確認するように訊ねる。
確かに過去はそうだった。でも今は違う。それが彼の理屈の限界だった。
「あいつはいい奴だよ。俺はあいつに感謝してるし、申し訳なく思っている」
「……きっと、いろいろあったんですよね」
姫乃の気を遣うような言葉。
そのいろいろを、彼女たちは詳しく知らない。
そこに、くだらないと吐き捨ててしまいたくなる程の壮絶な人生があったことなど、彼女たちには理解できないだろう。
でも、龍雅はそれでもいいと思っていた。
これは、自分と彼女の問題であると。
だからこそ、ほんの少しだけ話題を変える。
「ところで、その、弓月先輩ってのを、やめてくれないかな」
「え、何か拙かったですか?」
きょとんとして、不安そうな顔でさらが龍雅の顔を見上げる。
どこか怯える子猫のような感じがして、少しばかり保護欲が駆り立てられたことは周りには内緒にしておくべきことだろう。
「いやな、俺には弟が1人いてな、それこそテレビの画面から出てくるような正義のヒーローみたいな奴だったんだよ。おかしな話だけど、俺はそんな弟に憧れて、羨んで、最後にはぶつかり合って、負けた。俺はそのことが誇らしくて、誰にでも自慢できる弟がいたことに希望を感じていて、でも……だからこそ、そんな奴と同じくくりになっていることに引け目を感じているのかもしれない」
弓月という苗字。
それは両親から与えられたもので、それは弟の彼も持っているもので、兄弟の証だった。
自分と、自分と正反対の立場にあった彼が同じくくりにされているのが、矛盾していて恐ろしいんだろうと、自分で自分を推測していた。
「そうなんですか」
「なんか、ヘビーな話になったな、すまん」
「いえ、弓月……じゃなくて、龍雅先輩のこと、少しだけ分かった気がします」
さらも姫乃も、やはり優しくて真面目で、気を遣うことに慣れていた。
「さっき俺に立夏のこと訊いたけどさ、姫乃たちも清隆とどこまで進んでるんだよ?」
ちょっとした意趣返し。
姫乃はともかく、さらがどのような反応を示すのか、興味があった。
「ににに兄さんはあくまで兄さんですし、それ以上でもそれ以下でもないし、でもやっぱりもう少し私のこと見てほしいなーとかそんな邪なこと考えちゃったりもしますけど、やっぱり私は兄さんの妹みたいなもので――」
「なななな、い、いきなり何を訊いてくるかと思えば私と先輩がどういう関係かなんて、それはもう私は先輩に助けてもらいっぱなしで先輩のことちょっとはカッコいいなーとか思いましたし前世でも私が家のことで苦しんでいる時に結婚しようって言われて嬉しくてもう凄いんですけど――」
2人とも面白いくらいに顔を真っ赤にして慌てながら否定したいのかそれでももう少し接近したいのかよく分からないようなことを饒舌に語って、それで少しずつ歩調が速くなって気が付けば龍雅は完全に置いてけぼりとなってしまっていた。
あとシャルルと葵がいるが、この2人はどうにもすんなりと肯定されそうなのでやっても面白くないかなと苦笑して首を傾げた。
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さて、1時過ぎからずっと歩き詰めで流石にさらたちに疲労が表れてきた。
ただでさえ生真面目几帳面な彼女たちである。自分の都合は何が何でも優先したくはないだろう。
流石の龍雅も見かねて、ちょっと提案をしてみた。
「そろそろ、休憩するか。あれからもう2時間くらい歩き詰めだし、ちょっと休んだって文句は言われないだろ」
「でも龍雅先輩平気そうですよね」
「俺というよりむしろ……なぁ。この近く、なんかあるか?」
呆れたような眼差しで姫乃たちを見て、どこか休憩できる場所を見つけようと思ったものの、生憎龍雅にはこの島の地理は把握し切れていなかった。
「この近くなら、『花より団子』ですかね」
姫乃が言う『花より団子』とは、この初音島にある甘味処である。
店の雰囲気その物が和風で、もちろん注文可能な商品もほとんどが和風のものである。
それでも人気なのは、やはり枯れない桜のある地域での店だから、というのも大きく影響してくるだろう。
なんでも、枯れない桜の花びらを素材として使用している商品もあるという。
それに、一介の学生でも十分に楽しむことができる、財布にも優しい店なのである。
但し高価なものは恐ろしいほどに高価だが。
「それじゃ、行こうか」
龍雅はさらと姫乃の足取りに気を付けながら、ゆっくりと『花より団子』に向かって歩いていった。
2人に手を貸してやることも考えたが、恐らく好きな男がいるであろう心理状態で、ほぼ初対面に近い男の手は怖くて握れないだろうと勝手に思い直した。
それが正解かどうかは、誰にも分からないが。
さて店はすぐそこにあったので、とりあえず中を覗いてみれば、既に店内には客がちらほらいた。
桜が満開なこともあって、店内より店の外で花見をしながらくつろぐ方が人気があるようだ。
空いている席に腰を下ろして、空を見上げると、そこにはかつて見た美しい景色が空いっぱいに広がっていた。
「なんかいいな、これ」
ふと、そんな呟きが口から漏れる。
100年の間変わらないものがあるとなると、流石に感慨深くなる。
「桜、好きなんですか?」
そう訊いたのは、姫乃。
ちなみに彼女も桜を模した髪留めを使っているが、これがまたお洒落なのである。
「ああ、大好きさ。桜は、出会いの象徴だ」
別れの象徴でもある、と言おうとして、口を噤んだ。
そんな無粋な言葉をこのタイミングで使うものではないと思った。
それでも桜と彼女はほぼ同義であり、また、彼女との出会いと、別れも思い出させるものであったことも、確かである。
店員が来てさらが適当に注文を頼む。店員はそのまま素早く注文を伝えるために店に戻っていった。
「やっぱり、綺麗ですよね」
「ああ」
ここにいる3人、そして、清隆、シャルル、葵、立夏にとっても、桜とは因縁深い関係にある。
だからこそこの不思議な導きに感謝していて、いろいろと考えさせられるのだ。
そしてこの沈黙は、3人にとって少々心地よかった。
「学園生活には、もう慣れましたか?」
話題の切り替えとばかりに、姫乃が新しく話題を提供する。
「そうだな、そもそも俺って、まともに楽しい学校生活とかって、送ったことないんだ」
「そうなんですか?」
「風見鶏でも、俺は他の連中と違って、ちゃんとそこの生徒として属してたんだけど、クラスが割り振られていたわけじゃなかった。ただひたすらに『研究材料』として、魔法使いの未来のために、この身を捧げてた。ほんの少しだけ、風見鶏で授業を受けることも許されたけど、短い期間だったよ」
皮肉にもその結果を作ったものが、この先絶望を生み出すような結果まで招いてしまうことになったのだが。
だがそれでも、龍雅は決して後悔はしていなかった。
「だからこうして普通にみんなと同じ教室で物事を学べることが、こんなにもありがたみがあって幸せなことだって、やっぱり実感できるよ。クラスの友達もよくしてくれるし、こんなに幸せなことはない」
「龍雅先輩って、本当にいろいろなことを経験してきたんですね。尊敬すると同時に、ちょっと怖いです」
それが姫乃の言葉だった。
一時は人としての心を持たなかった。
一時は力に呑み込まれて仲間を傷つけた。
一時は世界を懸けて弟と殺し合いをした。
そんな人間離れした経験など、姫乃たちに理解できるはずもなく、同時にその存在が今、自分たちの真横に座っているとなると、畏怖を隠さずにはいられなかった。
しかしそれでも、そんな彼が、かつての仲間だったはずの人間だったのだ。
だから姫乃もさらも逃げない。
かつて彼が彼女たちをあの世界の中で手を差し伸べてきたように、ほんの少しだけその真似をしようとして、ただ一緒にいるだけで、彼の居場所を照らし出すのだった。
「それにしても、今の言葉、学校嫌いな人に聞かせてあげたいくらいです」
さらがむすっとした表情でそんなことを言い出す。
「大体、人として、学ぶことがどれだけ大切で幸せなことか分かってないんです。何の努力もしないでおいしいところだけ持っていこうとするなんて、虫が良すぎるんじゃありませんか?」
「る、瑠川さん、どうしたんですか……?」
突然のさらの愚痴に姫乃が困惑する。
どうやらさらが愚痴を零すのはかなり珍しいことらしい。
「学生の本分は勉学なんですよ。それを怠って宿題を他の人に写させてもらったり、ましてやってこなかったりするなんて、人間としての価値を自分から落としているも同然です。本当に、どーして一生懸命に頑張っている人たちが馬鹿を見る羽目になっちゃうんですかー」
何故か、さらがえらく饒舌になっていた。
とにかく、龍雅の言葉に感銘を受けたことは間違いないらしい。
――と、その時だった。
店の外から悲鳴が聞こえた。
何事か起こったと思った次の瞬間には、もう危険は目の前に迫っていたのだ。
店の庭の壁を突き破り、中型トラックが物凄い勢いで、こちらに突っ込んできた。
「え――」
隣で姫乃の息が詰まる声を聞くとほぼ同時に、龍雅は動き出した。
そう、魔法は、誰かを幸せにするためのもの。
誰かを護るためのもの。
「≪加速運動(アクセラレート)≫」
周囲の運動における、自分の中の体感速度を大幅に低下させる。
周りの人間の行動が、トラックのスピードが、普通よりゆっくりに感じられる。
しかしそれでもそれらは間違いなく動いている。
だから龍雅は、次の一手を打つ。
それは世界に干渉し、時空を制御する。
つまりは、現実を食らい、創り変える行為。
魔力を瞬時に高め、言霊を飛ばす。
「≪時間遡行(アウト・オブ・タイムルール)≫」
時間軸に干渉し、ほんの少しだけ時間を巻き戻す。
それは秒単位のもので、上位に位置づけされる魔法使いでも1秒戻すのがやっとである。
目標は、10秒、それだけあれば十分この場を回避できると判断する。
そして次の瞬間、世界はトラック追突10秒前へと移動していた。
「い、今の……」
さらたちは今のことに何か勘付いていたのか、他の人間と違うおかしな反応を示す。
「確か今、トラックが突っ込んできて……」
2人を尻目に、龍雅は立ち上がる。
先程のトラックを、ここに追突させてはならない。
「ちょっと行ってくる」
龍雅はダッシュで店を出た。ここまで、僅か4秒。
残り6秒で、店にいた人間は大変な目に会う。
まだ少し遠いが、明らかに規制速度を無視したトラックがこちらに向かってきている。
運転手の様子を見るに、酒気帯び運転や居眠り運転でも脇見運転でもないようだ。
だとすると、このままスピードを落とさずに曲がろうとして、曲がり切れないのかもしれない。
違和感を残さないためには、魔法の発動のタイミングを考慮しなければならない。
先程時間の遡行を行ったために≪加速運動(アクセラレート)≫は解除されているため、再度発動する。
「さて……」
龍雅は目を細める。
さながら、獣が、いや、龍が獲物を狙うような眼。
トラックがスピードを落とす、が、十分に落としきれてない。このままでは間違いなく曲がり切れないだろう。
運転手は警戒することなくハンドルを切るが、その際に曲がり切れないことを悟り、焦り始める。
そして――
轟音と共に、白煙が視界を遮った。
誰も、何が起こったかは把握できない。
ただ頭の中に残ったような轟音が延々と頭の中で鳴り響いて、事の惨状に理解を追いつかせようとしているだけだ。
そして、いくらかして煙が晴れた後、そこには中型トラックが1台、道路の中央付近で転倒していた。
それを安心した目付きで眺める少年が1人。
「上出来だ」
無論、車体を転倒させたのは彼、龍雅だった。
まずは地面とタイヤとの摩擦係数を減らし、トラックを横滑りさせる。
その後魔法による念力で横転させ、車体側面と地面との摩擦係数を上げることによって地滑りの距離を短くした。
その結果トラックは『花より団子』を破壊することなく、その店の前で転倒し静止するに至ったのだ。
『花より団子』の正門に向かうと、中からさらたちがひょっこりと現れる。
「このトラック、さっきの……」
「ですね……」
野次馬が集う中、龍雅は2人の腕を掴んで引っ張り、その場を後にした。