49.研究活動記録(後編)
2014年01月23日 14:52
シグナスは自身の『無』の力を使い、アカシックレコードに到達、そこで得た知識を利用して死後の世界、いわゆる魂を選別する空間へと立ち入ることまで可能とした。ここまでくれば彼の計画は、残るは彼の描いたシナリオを傍観するだけであった。途中で不都合なことがあれば修正、正しい方向に導くことが彼の役割。シグナス・ルーンはこの時点で神と同等の権利を得たのだった。
その力で上代龍輝を一度別並行世界へと流し込む。
その際にロンドン中の人間とリンクが切れて、黒龍の力は一時的に失われるが、それでも潜在的に眠ってはいるし、≪加速運動(アクセラレート)≫も無意識ではあるが健在だった。
ここでシグナスはもう1つの駒を作成する。
設定は、そう、『誰もが憧れる正義のヒーロー』。
その少年は優しげな紫色の瞳を持った、前向きな子であった。
のちに彼は――弓月光雅と名付けられる。
同時に上代龍輝の生まれ変わりは、光雅の兄として、弓月龍雅と名付けられた。
これで揃った。
対となる2つのターゲット。
悪を象徴する反逆者と、善を象徴する反逆者。
自らの力で思い通りにならない2人を、どこまで操り支配することができるか。
想いは魔法を上回る。ならば、想いは神の力を上回ることができるか。また、そんな力までも、己自身で制御できるか。
それが、彼の行う、最終的な実験。
彼らはその後幸せな生活を送り、その果てで絶望と共に新たなる決意をすることとなる。
その途中、弓月光雅に思わぬ事象が起こった。
彼自身の死である。
この世界、人の寿命というものは生まれた時点で大方決定されており、それは他人と関わることで伸びたり縮んだりすることがあり、全体における総量は常に一定であるとされる。
死ぬはずだった人間を救済するということは、自らの寿命を削って対象に上書きさせるということなのだ。
光雅の正義の味方のような性格が災いして、彼は幸か不幸かその機会に多く恵まれ、若くして自身の寿命を削りきってしまったのだ。
しかし、弓月光雅はシグナスにとって大事な『登場人物』である。
彼の魂を例の空間へと呼び出し、そこである1つの交渉をする。
それは、力を得て、新しい、救済の人生を歩むか否か。
彼は自らの状況に理解できずとも、そのことに関しては敏感に反応を示した。
弓月光雅は、その使命を持ち、桜舞い散る世界へと舞い降りていった。
シグナスは、そんな彼がとある孤独の力に魅入られていることを承知で、彼に魔法の力を授けたのだった。
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弓月光雅は新しい世界で新しい仲間――家族と出会い、彼女たちの心の支えとなってゆく。
芳乃さくら――致命的なバグを残した枯れない桜の情報を改竄することでバグを消去し、正常に作動するようにすることで彼女の負担と未来対する絶望を消し去った。
朝倉音姫――母を亡くし、『お役目』の力を引き継いで、その力がよく分からないまま独り残され、嘆いていたのを、同じく魔法が使えた彼自身が打ち明けることによって心を開くようになった。
その他、朝倉由夢や桜内義之などの他の家族とも円滑な関係を築いていった。
しかしとある事件で、彼は魔法が使えなくなる。
とある夏の日、光雅を追って同じくこちらの世界に来た弓月龍雅の刺客に襲撃され、孤独の力を覚醒させるための鍵である破壊衝動や力への渇望が彼を突き動かし、覚醒しないまでも強力な力でその刺客2人の命を奪うことになってしまった。
その罪悪感と、彼を赦した朝倉音姫に対する十字架が彼に魔法を使うことを躊躇わさせ、それを引き摺るようになってしまった。
そのまま時は過ぎていくが、孤独の力の覚醒方法をその事件で確信した弓月龍雅が新たな刺客を差し向け、彼と対峙させる。
その手順の1つで朝倉音姫を拉致し、それを救出するために光雅は1人で刺客に立ち向かうことになるが、これは完全に龍雅側の罠だったともいえる。
龍雅は孤独の力が破壊衝動や力への渇望が孤独の力を覚醒させるための鍵であったことは把握していた。
そしてその刺客は、弓月光雅の孤独の力を覚醒させることに成功させる。
禍々しい金色の瞳、刺さるように飛ばされる殺意の視線、そして、これから対象を破壊することに興奮したような笑み。
かつてのヒーローのようだった彼には似つかわしくない雰囲気だった。
――≪solitary Pluto(孤独の冥王星)≫
それが彼の持っていた力の本質。
その圧倒的な力の前に、刺客は大敗を喫し、その命を散らせることとなった。
それより少し前、1人で走っていった光雅を助けようと追いかけた面子がいた。
彼のクラスメイトや後輩、そして芳乃さくらもその1人である。
シグナス・ルーンは、雑兵に囲まれた彼らの前に姿を現し、一瞬にして雑魚を蹴散らした。
そして振り返り、彼らを眺め、最後に芳乃さくらを見据える。
――久しぶりだな、芳乃さくら。
――あれからもう、100年近く経っているのだ。
――貴様がいてくれて、本当に助かったよ。
――貴様の絶望は、俺のシナリオを構築するのに十分なはたらきをした。
言葉には表さなかったが、視線でそういう風に伝えた。
しかし当然、さくらにはほんの少しも伝わってはいない。
彼女は本当の意味でまだシグナスに会ってはいないのだ
その後、力に支配された光雅が、その面子に発見されることになる。
シグナスの描いたシナリオは、思い通りに進行していた。
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時期でいえば、学生にとって冬休み、そして正月が始まったばかりの頃だった。
朝倉由夢は、自分の未来視で想い人が消えることに抵抗していたのだが、とある試みをきっかけに、ついに夢を見ることを止めてしまった。
兄は、桜内義之は、自分の前から消えてしまうのだと、悟ってしまったのだ。
自分の弱さを理解していて、それでも未来が認められなくて、必死にもがき続けたこれまでの人生が全て水の泡となり崩れ去っていった。
その絶望は、彼にとって新しいシナリオの一部に相応しかった。
――実験台となってもらおう。
――この俺が複製した、≪聖域の宝物庫(ヴァルハラ・アーセナル)≫の所有者として。
≪聖域の宝物庫(ヴァルハラ・アーセナル)≫とは、古今東西の猛将や英雄が使用したとされる武具が多数に収められている宝物庫であり、神やそれの殉ずる者たちが作ったものが収められ、地球、及び世界が危険に晒される時に、その運命に抗う者に、この中から一つだけ、収められた神器を授ける役目を担う。
ありえたかもしれないいくつかの平行世界で、たくさんの決戦が繰り広げられてきた。それらに対抗するためにその力は存在したのだが、いつだったか暴走し自壊した結果、その存在は消えてなくなったはずだった。
しかしシグナスは、アカシックレコードから得た知識を元に自らの力でオリジナルのそれを構築したのだ。
そしてその実験の装置は既に揃っていた。
事前にシグナスがシステムを書き換えておいた、芳乃さくらが植えた枯れない桜を魔力の収集源とし、それによって収集された負の感情を、桜を媒介として、桜とリンクさせた朝倉由夢に無理矢理流し込み、それを禁呪≪永遠に訪れない五月祭(バルティナ)≫のような力を持った黒い霧に変換、その中にこの宝物庫をインストールしておいた。
後は彼女が自身の負の感情に囚われる度に≪聖域の宝物庫(ヴァルハラ・アーセナル)≫は自己暴走を起こし、強大な力を発してくれるだろう。
しかし、この実験は、由夢の全てを受け入れることを決意した桜内義之によって由夢の感情が満たされ、途中で終了となった。
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そして、その後、兄弟は対峙する。
未来へ進む正義と、全てを終わらせる正義。
世界を救う正義のヒーローと、世界を滅ぼす悪の大魔王。
そのどちらもが、自分にとって正しいという信念があった。
貫き通したい意志があった。
神となったシグナスは考える。結果は一目瞭然だと。
弓月光雅は確かに無限の力を手に入れた。しかし所詮それは荒削りでしかなく、実戦で役に立つかと言えば答えは限りなくノーに近い。
一方で龍雅はその黒龍による知識で、世界中から得た記憶や知識を元に演算された戦闘技術、そして多彩な戦闘魔法を駆使した立ち回りが可能である。
圧倒的に龍雅が有利で、シグナスのシナリオも、そうなるように描かれていた。
彼が勝ち、彼の信念に従って光雅の≪solitary Pluto(孤独の冥王星)≫を強制的に抽出し、2つの力で以ってこの次元そのものを崩壊させる。
それをシグナスが事前に阻止し、運命を司る力を得た自分が彼を叩きのめすことで2つの力を回収、同じ要領で一度世界をリセットさせる、ここまでが彼のシナリオだった。
龍雅は全てを知り、絶望し、何も感じられぬままに唯一持っていた巨大な力でさえも奪われ、生涯をとじる。そういう運命が描かれていた。
しかし、思わぬ奇跡が起こった。
――そう、それは紛れもない奇跡だった。
朝倉音姫の願いが通じ、彼女のもつ『お役目』の力の源である『鬼』が、一度音姫の体を離れて彼女の心と共に光雅へと移ったのだった。
その結果光雅は龍雅を打ち倒すまでに至り、計画は、シナリオは最後の最後に破綻してしまったのだ。
彼の最後の失敗、だが、彼はこう思った。
――面白い。
自分の意志を以って、運命までも打ち破り凌駕する男。
やはり孤独の力を持つに相応しい男だと思った。
それは同時に、龍雅にも向けられた感情でもあった。
彼は自身の力で、もう1度転生することを可能としたのだ。
そして、今もまだ2人は生きている。
生きてこの世界に存在している。
ならば――
シグナスの次の方針は決まった。
長い通路をゆっくり、しっかり歩く。
彼は笑っていた。
自身の運命を曲げられることに対する屈辱と、同時に神の力さえもも物ともしない人間の存在に対する愉悦に。
魔力を使わない魔法使いは、最後の実験に挑むことを決意した。