49.研究活動記録(前編)

2014年01月23日 14:51
1900年代初め、ロンドンには、特に名家の出でもなく、元々無名で、魔法使いの間で急速に名を広めた者がいた。
人々は口々に言った。
 
――彼は歴史に名を残すであろう才能を持っている。
 
――このような逸材は二度と現れないだろう。
 
――彼が魔法使いの世界をより良くしてくれる。
 
彼は希望の星であり、全ての魔法使いの夢を一身に背負ったものであった。
その魔法使いたちにとっての『光』のような存在の名は、シグナス・ルーンと言った。
彼は人々の期待に応えるべく、魔法使いの世界をよくするために様々な試行を繰り返してきた。
しかし、どれも現実味がなく、完遂するには不可能なものばかりだとも言えた。
そんな中、彼はある1つの思考に辿り着く。
 
――一般人にも魔法が浸透すればいいのではないか。
 
そうすれば、一般人と魔法使いの間に差はなくなる。
上手く行けば魔法による新しい技術革新、そして政治形態の大幅な躍進が起こるかもしれない。
そのために彼が考え出したのが、『魔力のいらない魔法』だった。
方向性は2つ。
1つは一般市民の役に立つような、術式魔法を改良しきった新しい魔法技術を開発し、それを市民に浸透させることによる魔法の充実。
もう1つはそもそも一般の魔法を魔力なしで発動できるような体質、精神をつくりだすこと。それを投薬などの要領で個体に与え、遺伝もしくは授乳等による母子経路を用いてそれを引き継がせる。
まずは前者の方法で計画はスタートしたが、残念ながらこちらは魔力消費量をゼロにできるような魔法は1つたりとも完成することはなかった。
 
しかし――
 
後者、魔力なしで魔法を行使する力の発明は、彼の長い年月における研究によって、実は大成したのだった(しかしこの方法が記された資料は現在紛失しているため、ここに転記することはできない)。
とはいえ、魔法とは人間の想いの力を媒介に行使されるものである。
ならば、必ず人間が実験台にならなければならない。
誰もが恐怖し、嫌がる中、彼は自分がするべきことだとして、彼自身が実験台となったのであった。
そして彼は手に入れる。
絶対的な『無』を。
何もないところから『有』、そして『無量大数』をつくり出す技術を手に入れるのだ。
研究の第一段階として、このことは資料にして纏められ議会に提出される。
そこで彼が得た称号と、今後の動向は――
 
――シグナス・ルーンは魔法使いに対する反逆者である。
 
――ただちに処刑し、この計画を破棄し、プロジェクトも撤退させる。
 
魔力を必要としなくなった魔法使いの社会は、もともとあった階級やそれに関わる特権や責務が一気に崩壊することになる、というのが議会の見解だった。
下にいる者を上に押し上げ、上に立つものを蹴落とすこの計画は、高位の魔法使いの反感を買い、彼は突然にして失脚、いや、その命を失うことになるのだった。
 
――何がいけなかった。
 
彼は呟く。
 
――俺が何をした。
 
彼がう呻く。
 
――俺はただ皆のために貢献したかっただけなのに。
 
彼は後悔する。
その後悔は、彼に道を与えた。
閃光のように頭によぎった考えは、彼の口元を歪ませる。
処刑台を前に、彼は不敵に笑っていた。
周囲に立っていた監視員が、死を前に笑う彼に対して恐れを抱いていた。
次の瞬間、彼の高らかで狂った笑い声が死刑場に響き渡ることになる。
 
「フハハハハハハハハ、アハハハハハハハハ――!!」
 
パン、と乾いた音が鳴る。
何が起こったか、監視員たちが、あっけにとられた思考を回復させると、視界が赤黒く染まっていた。
彼は――シグナスは、自身の左腕を爆散させていたのだ。
その血は周囲の監視員に飛散し付着する。
彼の狙いは、ここにあった。
 
「我はこの身を捧げん。赤く並ぶ八の従者と共にこの身を供物とし、そなたを崇めよう。そなた、その代償とし、我を理の果てへと導き給え。時を統べる十二の意志よ、我を新たなる世へと誘い給え!禁呪≪崩れゆく鮮血の時計塔≫!」
 
監視員の数は8人。
彼が発動した魔法は、長時間、時間を巻き戻す禁呪の一種だった。
≪崩れゆく鮮血の時計塔≫、術者の体の一部を生贄として捧げ、その血を8人の殉教者に与え、その者たちの命と引き換えに術者は時空の法則を完全無視して望みの地点、時間までワープすることができる。
血を大量に被った監視員の足元から、漆黒の腕が生え、彼らの足を掴み地中へと引きずり込んでいく。
死と恐怖が辺りを支配する中、シグナスだけは狂気に笑っていた。
沈みゆく彼らを見て、愉悦を感じていた。
 
「そうだ、俺は神になればいい。神になり、今の世界を壊して、新しい世界を構築すればいい!そう、新しい実験だ!俺は研究者だ!この『無』の力がどこまで世界に影響を与えるか実験しなければならない!」
 
赤い光に呑み込まれながら、シグナスは叫んだ。
自分の道が見えた。新しい道が見えた。
その先で彼は、神の如く、世界を操作していった。
 
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某日、彼は日本にて、捨てられた赤子を拾う。
その捨て子には、奇妙な力があった。
魔力が感じられた。ただの魔力ではない。高位の魔法使いに匹敵する魔力量を保有した乳児、それだけでなく、その魔力には――偏りがなかった。
それが何を意味するのか、彼にはすぐに理解できた。
 
――この赤子には、感情がない。
 
彼はその赤子に、これから始まる計画の中核、そしてその力の象徴となる名前を与えた。
赤子であるのに、何かを見据える鋭い双眸を持った子、――上代龍輝。
龍輝はこの段階から、既に『研究材料』として歩むことになる運命は確立されていたのだ。
 
「貴様が担ってもらおう。俺の世界を変える実験の重要な歯車、そして、俺の運命を曲げる存在――」
 
口元を歪ませ、タオルケットに包まれた赤子を拾い上げ、抱きかかえる。
初めは彼を道具のように扱い、そして自身の与える運命で殺すはずだった命。
しかし、彼にはまだ、ほんの少しの良心が残っていたみたいで。
 
「子供――か。もし魔法使いでなければ俺は、温かな家族に囲まれた生活を送っていたのだろう」
 
自身を嘲笑し、ぐっすりと眠った赤子を胸に、彼は欧州へと帰っていった。
 
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その後、シグナスは上代龍輝を正しく『研究材料』として育て上げるために、念入りに育成計画を練り上げ、チームを結成し、彼に不自由のない生活を享受した。
それは彼の感情をコントロールすることであり、心の動きを与えないことでいつまでも偏りのない魔力をキープすることができていた。
そして、次に彼がすべきことは、時間の確保だった。
今回の計画の要は、『全知全能』を与えること。
それを受け取った者にシナリオ上の『悪役』を演じさせ、予定運命を創造する。
後は彼が、それを打ち崩すかどうか。
そのために彼は、今回の計画を確実に成功させる上で、禁呪の力を頼らざるを得なかった。いや、禁呪を用いて他人に発動させるのも、彼が描いたシナリオの一部であり、序章に過ぎないものであったと言える。
そこで彼が取り合ったのは、ロンドンでもかなりの実力者ぞろいの秘密結社、通称非公式新聞部である。
目的、組織人数、活動内容、構成その他が一切不明なこの組織は王族とも繋がっており、かのイギリス女王も彼らの力を頼りに政治活動を進めてきている。
そういうこともあって情報網は恐らく世界最大であり、禁呪に関する情報も彼らが殆ど握っていた。
 
「非公式新聞部部長、杉並か」
 
この集団を仕切っている責任者、いわばリーダーである杉並との面談。
彼から情報を提供してもらうのが一番手っ取り早いことはシグナスは初めから熟知していた。
 
「今回はどのような要件だろうか、『研究施設』最高責任者のシグナス・ルーン」
 
目の前の男、シグナスを徹底的に観察してその心底に隠された思惑を射抜かんとする鋭い視線に、シグナスも少しばかり威圧されていた。
相変わらずと言っていいほど釣れない男であり、頭も切れて行動力もある不審人物である。
 
「俺の研究のために参考にしたい資料がある。禁呪の情報を纏め上げた禁書目録を要求する」
 
「なるほど、今回はどのような禁呪をご所望で?」
 
視線がさらに鋭くなる。
彼はどうやらこの質問によってシグナスに対する待遇をどうするか決めるようだ。
 
「時間に関する禁呪だ。時間軸に干渉できるものであれば何でもいい。急ぎの用だったので正確な手順を踏んだわけではないが、許してくれ。1週間を期限として貸し出し願いたい」
 
杉並は怪訝そうな表情で考え込み、そして椅子からそっと立ち上がる。
少し待つように指示を受けてどこかに去ると、ものの2、3分で帰ってきた。その手には分厚い書物が抱えられている。
 
「禁書目録だ。これは持ち帰ることは許されない。これを持って奥の書庫に進め。係の者に掛け合って、魔法によるロックは解除してある」
 
「礼を言う。すぐに返却するつもりだ。もし間に合わないようであればいつでも重罪を科して俺を消してもいい」
 
「出来るだけそうならないようにしてくれ。また前のような失敗を繰り返してくれるなよ?」
 
くだらない――シグナスは杉並にそう吐き捨てた。
新しい時間軸に来てからも、シグナスは1度失敗していたのだ。
同じように魔力のいらない魔法についての発表を行ったのだが、やはり上手くはいかなかった。
初回に比べて情報も減らしておいたために現実味はなく、軽い刑で済んだのだが、その結果魔法使いとしての特権は剥奪され、今では高名な研究家として魔法に携わっていた。
禁書目録を手に、そのページを手早く捲っていく。
禁呪に関する資料、その詳細が簡単に記されたその書物は紛れもなく危険物だった。
その中に1つ、シグナスの目に留まった禁呪があった。
何度も繰り返される――ダ・カーポのように。
それは同時に人の感情を収集し、それを力にして時間を巻き戻す。
人々に狂気と絶望を与え、終わらない世界をつくり出す魔法、
 
――≪永遠に訪れない五月祭(バルティナ)≫
 
ワルプルギスの夜である4月30日を終点として世界の時間を巻き戻させ、11月1日から世界が再開される禁呪。
彼の必要としたものとして、十分過ぎるほどシナリオの演出として申し分ない能力だった。
シグナスは1度それを借り出して持ち出し、そして――複製した。
 
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複製した禁呪は予め時間が経てば自然消滅するように術式に仕込んでおり、残った本物はシグナスの手中に存在した。
その禁呪の書物は、彼の思惑通り、そしてふとした時に、とある少女に行き渡る。
どこにでもいるようで、それでも太陽のような明るい笑顔を浮かべていつでも元気に勤労にいそしむ少女、陽ノ本葵だった。
彼女は自分の死を未来視することになる。
いつかは分からない、とある夏の日に自分が死んでしまうことが、未来を視ることで分かってしまった。
未来に、死に対する恐怖、自分の状況における絶望が、彼女と禁呪を引き合わせることになったのかもしれない。
そして彼女は、ついにその禁呪を発動するに至った。
 
――死ニタクナイ。
 
そして薄暗い霧は、やがてロンドン中を覆い隠すことになる。
 
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一方で、上代龍輝はある程度成長してきたところで、早速『研究材料』として様々な『実験』に身を投じていた。
様々な魔法を、専用のマジックアイテムを通すことで発動させたり、死の恐怖と隣り合わせになるような命懸けのゲームをしたこともあった。
そんな彼は、表向きのシグナスの信条である『よりよき魔法使いの生活のために』という言葉に感銘を受け、シグナスを尊敬し完全に隷従するようになっていた。
 
そしてある時、シグナスは彼に1つの護身用の魔法を与えることになる。
これはシグナスの描くシナリオに存在しないものだったが、『研究材料』の安全と無事を考慮した上の人間の判断であることもあり、彼に身体能力向上の魔法を与えた。
それが彼の唯一の魔法、≪加速運動(アクセラレート)≫であり、これが彼の人生を大きく影響させることになる。
上代龍輝はその後、魔法使いの間でも有名なカテゴリー5、孤高のカトレアと呼ばれる、リッカ・グリーンウッドたちとの出会いを果たし、徐々に仲間たちとの間における、自分の存在を確立させることにあったのだが、これは上代龍輝を『研究材料』とし続けさせるには少しばかり障害が生じていた。
とはいえ、実はこの段階で新計画の第一フェーズはほぼ完了していたのだ。
 
彼女、陽ノ本葵の発動した霧の禁呪による時間のループが、彼らにたくさんの時間を提供していた。
それまでに彼がスタンバイしていたのは、ループにおける記憶の消去と、計画の進行具合の巻き戻りの無効化である。
それによってシグナスたちは術者である葵と同様にループに関する記憶を持ち、そして同時に研究に関するデータも引き継がれることになった。
『研究材料』である龍輝の持つ特異な魔力を抽出するために、彼には『実験』中に専用のマジックアイテムであるグローブを着用させ、あらゆるデータを収集、そしてそれを、地上に流れる負の感情が集積された霧と融和させることで新フェーズに移行する。それが、龍輝の存在する最後のループ世界で行われた『実験』の内容だった。
そして、その最後の世界で、彼は地上から地下の『研究施設』へと、霧を流し込むために魔力の流れをつくり出し、特定の魔法陣までそれを移動させる。
 
頃合いを見計らって魔法陣の演算をスタートさせ、召喚術で黒龍を生成した。
この黒龍こそ、ロンドン中の人間の負の感情、記憶、そして知識を持った恐るべき魔法の結晶であり、そしてそれを、シグナスは龍輝に寄生させることとした。
ここで1つ、シグナスにとって必要なシナリオの駒が完成。
 
――『世界の絶望を背負った青年』という設定を持った登場人物。
 
しかし龍輝はリッカ・グリーンウッドと共に黒龍の束縛から脱却し、そしてそのまま自らの死を受け入れた。
それでも、シグナスは彼を逃がさなかった。
シグナスは、新たな神として世界を崩し、創造する研究者だった。
彼はその後、知識の神の聖域、通称アカシックレコードへと辿り着くことに成功した。