50.巡り合う悲しき運命

2014年01月23日 14:53
気が付けば全ての元凶は去っていた。
周囲の風景は、彼――シグナスと対峙する前と同じものだった。立夏も既に動いている。
何が起こっていたのかを一瞬で思い出すと、彼は桜の下まで走った。
それこそ、立夏を追い抜いてまで大事なことだったからだ。もちろん立夏が不審がったのは言うまでもない。
 
「さくら、今の覚えてるか?」
 
「え……うん」
 
しばらく混乱していたのだろうが、力強く頷いた。
清隆たちに、さくらと話があることを告げてさくらと共にこの場を1度離れた。
 
「龍雅くん、彼のこと、知ってるの?」
 
「知ってるも何も……俺の育て親だった者だ」
 
「育て……親」
 
冷酷にして、無慈悲な、不可解な魔法は間違いなく全力で自分たちに向かってきていた。それはすなわち、自分の息子を殺そうとしたも同義なのだ。
家族を大事に思っているさくらにとって、考えられない心境だった。
そして、彼と自分の経緯を、隠すことなく全てさくらに話した。
 
「やっぱりボクは、彼に会ってたんだね」
 
それは100年前、ロンドンの地下の魔法学園で、彼女は記憶喪失の少女として、そしてシグナスはその調査に関する責任者として。
シグナスは彼女に深く関わることはなかったが、それでも何度か面識があったのも確かだ。
しかしさくらはそのことすらも明確に思い出せない。
 
「それにしても――」
 
その呟きを初めとして、龍雅の雰囲気が一辺に変わってしまった。
それはかつてさくらも見たことがあった、光雅に向けられた殺意の雰囲気だった。
 
「そォ言うことか。あいつ、とんでもねェことやらかしちまってるぞ」
 
龍雅の大きな感情に、『世界の総意』が共振し始めている。
彼の心で震えだした感情は、怒り、そして喜び。
 
「とんでもないことって?」
 
「あの野郎、神にでもなったつもりかよ。俺たちは今まで、全部あいつに踊らされてたってことさ」
 
龍雅にとって、彼に拾われたこと、育てられたこと、『研究材料』となったこと、黒龍を寄生させられたこと、転生したこと、光雅と兄弟になったこと、彼と対峙したこと、ここに舞い戻ったこと。
それは光雅にも同じことがいえた。
龍雅と兄弟になったこと、兄の友人の死をきっかけに救えるモノを救う覚悟を決めたこと、死んで転生し、さくらの下に現れたこと、魔法が使えるようになったこと、孤独の力が覚醒したこと、そして、その力で龍雅と戦ったこと。
それら全てが、シグナス・ルーンの描くシナリオの上で行われていたことだと龍雅は言うのだ。
 
「でも、どうやってそんなことが……?」
 
さくらも訝しげに首を傾ける。
 
「奴の魔法を見ただろォが。あいつは自身の行使する魔法に魔力を必要としない。だったら、禁呪だろォがなんだろォが、自分の体1つで生贄なりなンなりすることができる。あいつは、時空すら自分の魔法で支配しちまったンだよ」
 
「そんな……」
 
龍雅の垂れている右腕に力がこもる。
力一杯に握られた拳は怒りと興奮に震え、禍々しい空気をつくり出す。
 
「あァ、やってやるよ。やってやるとも。ようやく見つけたぜ俺の本願って奴をよォ……!この手で必ずブッ飛ばしてやる!」
 
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それはほんの少し前のこと。
シグナスが龍雅たちの目の前に現れ、龍雅たちが動き出した瞬間からだ。
 
「さて、世界を正そう。実験の終末は近い。プラン名、『凍結する世界の終焉(エターニティ・クリア)』、最終フェーズへと移行する」
 
ゆっくりと白衣を纏った左腕がこちらに向かって伸ばされる。
刹那、背後から急激な魔力反応が表れた。
言わずもがな、さくらである。
 
「『月光桜-蓋世不抜之型-』!」
 
薄紅色に輝く桜の花弁を周囲に舞わせながら、さくらは戦闘態勢に入っていた。
彼女が、龍雅の弟を戦闘魔法の師とし、彼に基礎となる土台をつくってもらいながらも、自身の培ってきた植物に関する見識と、長年桜に懸けてきた深く大きな想いが結晶となって完成した、彼女自身の戦闘スタイル――いや、信念の貫き方。
その光は、依然龍雅が対峙した時よりも眩く、美しくなっていた。
しかし超越者は、それを笑った。
電池で走る玩具を見て馬鹿にするかのごとく、笑った。
 
「素晴らしい!流石はかの大魔法使いの子孫だ!美しく、なんて強かな!だが足りない!だが遅い!だが短い!所詮はその程度、そんなちっぽけなものではこの俺を超えることは愚か、並走することすらままならないだろう!」
 
さくらのそれは、言うほどレベルの低いものではない。
むしろ、彼女の想いをありったけつぎ込んだ、渾身の魔法とも言っていい。
それはまさに、光雅の孤独の力に匹敵しかねない程の力を持っている。
対してシグナスからは、一切魔力を感じられない。それはすなわち、魔法使いの間での常識において、何の魔法も行使できないも同義であり、さくらとシグナスの差を決定的に証明する事実でもあった。
 
「俺は、新たなる破壊神となり創造神となる、第一の研究者となろう。世界こそ研究素材であり、俺自身の身体こそが素体となり、研究は完遂される!」
 
眼光が鋭く光る。
さくらと龍雅は咄嗟に警戒態勢に入る。
だが遅い――シグナスは既に、さくらの背後に回っていた。
 
「な――」
 
さくらが驚愕するのと、吹き飛ばされるのはほぼ同時だった。
木々に打ち付けられ、薙ぎ倒してようやく勢いを失い地面を削って停止する。
龍雅はその一部始終を見せつけられ、肝を冷やし、そして戦慄した。
彼が行使した魔法、それは実態こそ掴めなかったが、間違いなく前もって準備しておくかかなり時間をかけないと構成できないような代物であり、一瞬にして発動できるはずもなかった。
事前に察知できなかったということは、それまでは彼は本当に丸腰で、今の一瞬で高度の魔法を構成し、さくらに放ったとしか考えられない。
 
――これが、無の力ということか。
 
ならば、と、龍雅も戦闘態勢に入る。
『世界の総意』とのリンクを強め、強迫観念を強めていく。
奴を殺せ、奴をいたぶれ、奴を潰せ、奴を消せ、奴を葬れ――
呪詛の如く頭の中を駆け巡る怨嗟の声を上手く制御し、支配する。
そして術式を組み上げていく。
かつて完成させた最高にして最強の魔法陣、平面から立体へとそのレベルを底上げさせた究極の形態。
力の権化、立体型魔法陣。
 
「≪第三の龍――カハッ……!?」
 
構成が、失敗した。
いや違う、阻止されたのだ。
誰に――もちろん敵に。シグナス・ルーンに。
 
「遅い。そういうものは予め準備してくるものだろう、弓月龍雅、いや――上代龍輝」
 
龍雅の左、シグナスは左手だけを動かしたように立っていた。
その左手は手刀となって龍雅の鳩尾にめり込み、その激痛が龍雅を遅い、悶絶させる。
振り下ろされる脚、頭部へと勢いをもって襲い掛かる。
人間の足とは思えないような重さと破壊力を以って、龍雅は地面へと叩きつけられ、バウンドする。
 
「さて……」
 
白衣の男は踵を返し、背を向ける。
まるで興味が失せたかのようなその表情には、天空しか映っていなかった。
 
「1ヶ月後だ。それくらいが丁度いい。来月、6月1日がこの世界の命日だ。俺のシナリオのモノローグに刻まれる最後の日。それだけあれば十分実験の準備は出来上がる。楽しみにしているがいい」
 
足音。シグナスの足音が遠ざかっていく。
手を伸ばそうにも全く感覚が感じられない。
虚脱感が体中を満たす。
世界から弾かれ、浮いてしまうような感覚に陥って、やがて意識を手放してしまった。
 
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シグナスは、『夢』という仮想空間を創り上げていた。
そこで龍雅たちと対峙し、弄ぶように蹂躙した。
勿論現実の体に何の支障もないが、彼らに恐怖と絶望を与えるのには十分過ぎた。
ただ、龍雅はそれでもなお、立ち向かう決意を固めていた。
 
 
「とにかく、今はまだ宴の最中だ。何もこのタイミングで立夏たちを不安にさせる必要もないだろう。1度戻って仕切りなおすか」
 
「えっと、切り替えが速いね……。まぁ、それもそうだよね。とりあえず今日のことはまた置いておいて、今度また話し合おうよ」
 
「ちょっと待った」
 
龍雅の静止が入る。
その顔には、迷いと動揺。しかしそれを振り払うように左右に首を振り、もう1度さくらに向き直る。
 
「このことは、絶対にあいつには言わないでくれ。これは俺の問題だ。できれば、さくらもなるべく関わらないでくれ。もし俺が使い物にならなくなった時――その時はあいつと一緒に、世界を守ってくれ」
 
その時の龍雅の顔を、さくらは忘れられなかった。
何かは分からなかったが、何かをただ一心に見据えるような表情。
覚悟でも、決意でもない、もっと高尚な、別の何か。
その顔に、さくらはただ首を縦に振ることしかできなかった。