51.添い遂げる少女

2014年01月23日 14:54
 
風見学園での1日を終え、放課後にになり、龍雅は本日もいつも通り、公式新聞部の部室に顔を出す――はずだった。
しかしその足は、その目的地には向かず、どういう訳か彼は自然と階段を最上階まで上り、貯水タンクの上で横になって外の空気を吸っていた。
茜色の空を見て思い出していたのは、これまでの出来事。
 
――シグナスに育てられ。
 
――魔法学園でみんなと共に過ごし。
 
――恋人の前で命を散らし。
 
――弟と対立し。
 
――走馬灯の中で、自らの悲願を思い出した。
 
そう、彼の生きる意味は、そこにあった。
たった1か月後に迫る、たった1人の研究者の、たった1つの実験。
その実験過程で、全てが狂い、歪んでいった。
その歪みは今では既に正され、平穏な生活を送っていたはずだったのに、またその男が姿を現し、壊そうとしている。
また、踊らされているのだろうか。
今まで、彼のシナリオのように、自分たちは彼の掌で踊らされ続けていた。
シグナス自身が神になるための実験。
そのシナリオにおける、龍雅と光雅の立ち位置は、そして存在は、『神に抗う者』。
運命すら捻じ曲げる力を少年たちに与え、育てる。いずれは双方とも、その力が争いを、悲劇や苦しみを呼び込むことになる。それらに立ち向かい、突き崩す。
そんな彼らが世界における絶対者に相対した時、絶対的な運命を、未来を変えることができるか。
それがシグナスの計画に組み込まれた最後の実験であり、理不尽な要求だった。
全てを悟り、全てを理解した龍雅には、事があまりにも大き過ぎて、どうしたらいいか分からなくなってしまっていた。
 
「どこまでも付きまとってくれるよな、運命って奴は」
 
焼ける空に向かって溜息1つ。
微かに漏れた音は空気と混ざって遠くに消えていく。
その前に、その音を捕まえた者がいた。
 
「確かに運命っていつも付きまとうものよね。龍雅が何のことを言ってるのか知らないけど」
 
森園立夏。
公式新聞部部長。
部員曰く、言動の少し残念な人。
龍雅の想い人。
見下ろせば彼女がそこにいた。
そういえば彼女も、事あるごとに運命と言っていたか。
 
「悩んでるわよね?いえ、訊くまでもなくあなたは悩んでる。そうでしょ?」
 
「そう見えるか?」
 
隠すつもりもなく、隠せるとも思わなかった。
立夏とは、そういう風に他人の感情の変化に機敏なのだ。
龍雅はムクリと起き上がり、貯水タンクから降りて校庭を眺める。
 
「俺の身内の問題だ」
 
シグナス・ルーン。
彼の仇の相手は、神になる男の正体は、彼の育て親、父親代わりの男だった。
だから、自身の手で決着をつけなければならない。いや、違う。
 
――自身の手で決着をつけたいと言う、自己満足なのだ。
 
愚かの極みだと龍雅自身でも分かっていた。それで誰かが救われるわけでもなく、誰かが報われるわけでもない。
それでもやはり、そこにあったのは彼のたった1つの悲願だったのだ。
 
「話す気はないのね?」
 
「ない。巻き込みたくないというより、お前を巻き込む価値もない問題だ」
 
それほどまでに、下らない。
下らなさすぎて、自分を嘲笑しそうになった。
ふと、コンクリートを叩く靴の音。
その足音は龍雅の隣で止まった。
夕日が屋上に、2つの人影を並べる。
 
「なら私は、いつも通りあなたの隣にい続ければいいのね?」
 
浮かべていたのは、疑念でも心配でもなく、自信だった。
寸分の迷いもなく、龍雅のことを信じて待っていられるという、強く固い自信。
こいつには敵わないと、やはり龍雅は思ったのだった。
立夏は小悪魔のような笑みを浮かべる。
 
「それに、私も未来の身内でしょ?」
 
そんな、男性を骨抜きにするようなことを平気で口走るのだった。
 
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立夏に、自宅に来ないかと誘われた。
彼女自身異性を家に呼ぶのは初めてのことで、多少の焦りのようなものはあったが、正直大したことのない話である。
実際、その件を立夏が電話越しで親に相談していた時、彼女は珍しく少し舌足らずになり、恥ずかしげに話していた。
彼氏を連れてくる、という下りになった時、龍雅も若干慌てていたのは、立夏には内緒のことである。
彼女の自宅までの帰り道、日は少しずつ沈んでいた。
 
「立夏のお母さんって、どんな人だ?」
 
「そうね、優しいお母さん。いっつも私のことを気にかけてくれて、大切にしてくれる。いきすぎちゃっておせっかいなこともあるけどね」
 
何気ない会話。
これから彼女の家を訪れる際に必要な情報収集、と言えば聞こえは悪いかもしれないが、初対面の人間の特徴を少しでも知っておきたいと思うのは当然のことではないだろうか。
なんだかんだ言って、龍雅も緊張しているのである。
 
「母親か……。ななかさんみたいな人なんだろうな」
 
「ななかさん、って、誰?」
 
ふとした呟きが、立夏の耳に届いた。
ちなみにななかは音楽活動の方で顔は知れ渡っているが、名前は別の名義を使っているのでこの名前を出されても誰もピンと来ない。
興味津々な彼女に、龍雅は躊躇いなく話した。
 
「俺を泊めてくれている人だよ。子供が1人いて、今は幼馴染の人と一緒にケーキ屋をしてて、俺はその人たちのお世話になってる。俺の経緯を深く知ろうともしないで受け入れてくれて、いつも迷惑かけて、でも本当に助かってる」
 
血は繋がってないにしろ、家族も同然だった。
すぐに思い浮かぶみんなが揃った食卓の光景は、温かいものだった。
 
「龍雅ってそういえば、1度も生みの親を見たことがないのよね?」
 
「ああ、ロンドンの時も、シグナス・ルーンという男に拾われて育てられた。俺は恐らく捨て子だった。生まれ変わってからも、物心がついた時には孤児院だった。別の親に引き取られたが、やっぱり本当の親の顔は知らない」
 
「それでも、今更会ってみたいとも思わないんでしょ」
 
「それはそうさ。どちらももういないだろうし、俺は今の環境に満足している。こうして立夏の隣を何も考えずに歩けるだけで十分幸せさ」
 
年頃の、若い男女とは思えないような重い話だったが、それでもこの時間は、2人にとって楽しいものだった。
それは双方の表情が示している。
どちらもその顔に笑みを浮かべていた。
 
「どちらかと言えば、俺は立夏のお母さんに会ってみたい。なんか緊張するけど、新鮮だ」
 
「私も緊張するわよ。彼氏を家に連れ込むなんて初めてなんだし」
 
「少し性急な気もするが、活動的なのも立夏の魅力か」
 
「あー、なにそれ、なんかバカにしてない?」
 
「してねーよ」
 
そんな風に、仲良さげに桜並木を抜けていった彼女たちは、下校時間の被った他の生徒の衆目の眼に晒されていた。
そしてその光景を目の当たりにした独り身の男子生徒の大半が、こう思った。
 
――リア充、爆発しろ。
 
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インターホンの隣に設置された、『森園』と書かれた表札を見て、龍雅は緊張していた。
そんな龍雅を
見かねた立夏も龍雅を落ち着かせようと何とか宥めるが、当の立夏も少し慌てているようだった。
とりあえず立夏を先頭にして玄関のドアを開ける。
 
「ただいまー」
 
立夏の帰宅の挨拶、しばらくして、廊下の奥から母親らしき人物が姿を現した。
自分を見て、彼女は自分をどう思うだろうかと、龍雅は結婚の挨拶に行く夫のような心境に陥っていた。あながち間違っていないのが滑稽だが。
 
「今晩は。弓月龍雅と言います」
 
「今晩は。立夏の母です。いつも立夏がお世話になってます」
 
立夏の母は優しい笑みを浮かべて、玄関先でお互いに挨拶を交わした。
立夏の母は娘に茶の準備をしておくように言っておくと、立夏は案の定かったるいと文句を呟きながら廊下の奥へと消えていった。
 
「中にどうぞ、少しお話もしたいので」
 
母にリビングに通され、そこに対面するように座った。
立夏が茶の乗った盆を運んできて、母と龍雅に茶を差し出し、彼女自身は母とのアイコンタクトで理解したのか、階段を駆け上がっていった。
 
「立夏のこと、大切にしてくれてありがとう。あの子、強がっちゃうところもあるから、いつか壊れるんじゃないかって、不安だったの」
 
流石は立夏の母親であり、彼女の強みであり、欠点でもあるところを正確に見抜いていた。
龍雅は家族というものの存在に、改めて感心し、同時に自身の家族――光雅たちのことを思い出していた。
一拍おいて、立夏の母は話題を切り替える。
 
「立夏とは、どんな経緯で仲良くなったの?」
 
それは、母親としての子どもに対する好奇心。
反抗期ともいえるかもしれない時期の、難しい年頃である立夏が、どのようにして龍雅と結ばれたのか。
 
「えっと、失礼ですが、立夏はお母さんに対して、運命だとか、魔法だとか、そんな残念なことを口走っていたのを聞いたことがありますか?」
 
言ってしまえばそれは彼女の口癖のようなものであり、彼女が信じている夢その物。それが最終的に龍雅と立夏を引き合わせた最大の要因であるともいえる。
 
「何回か、聞いたことがあるわ。あんな年になってまで言ってるもので、少し……不安だったりもしたのだけれど、それが……?」
 
「詳しいことは言えないし、言っても信じてもらえないでしょうが、それに、関わってくるんです」
 
言わなくてもいいことを口走った。自然と後悔は湧いてこなかった。
彼女はどんな反応をするだろうか。引くだろうか。蔑むだろうか。
 
「そう。何があったのかは知らないけど、きっと、信じてあげるべきなんでしょうね。あの子も、あなたのことも」
 
彼女は龍雅を信じた。
その信用はどこから来るものなのか、今の何の説明にもなっていない一言で、何を理解したのか。
それでもリッカの母は、龍雅を信じ、立夏を安心して託そうとしていた。
 
「あの子のこと、いろいろとよろしくお願いします。何分勝気な子ですから」
 
深々と頭を下げ、立夏の母は、未来を夢見るように笑った。
一方で龍雅は、たかが彼氏として呼ばれただけの事実と、実際の現状の差に動揺し、内心落ち着かないでいた。
 
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立夏の母との挨拶を終え、少し他愛のないことを話して、立夏の自室へと通された。
一面清潔で明るい部屋であり、女性らしい甘い香りを漂わせた部屋だった。
残念ながら、床だけは多少片付いていないようだったが。
 
「ごめんね。お母さんとお話している間に片付けようと思ったんだけど、結構かったるくてさ」
 
気まずそうに舌をペロッと出しながら、片付けを続行する。
全く反省の色を見せない立夏に龍雅は呆れながらも、立夏の片づけを手伝った。
その結果部屋はあっという間に整頓され、十分な広さが確保された。
龍雅は床に座り込んで、改めて部屋を見回す。なぜか心が安らぐ空間だった。
 
「で、どうして今日は家に呼んでくれたんだ?」
 
その行為自体はありがたいことで、初めての経験もあったし立夏の母とも知り合うことができて大変感謝すべきことだったのだが、いかんせん立夏の目的が分からないでいた。
 
「恋人同士って、そういうものでしょ。別におかしなことでもないわよ」
 
「ふぅん」
 
立夏に上手くはぐらかされているようにも思えたが、大した事でもなさそうなので一応話を合わせておいた。
立夏は龍雅を見据え、視線を逸らさない。
 
「で、何をまだ悩んでいるの?」
 
今度ばかりは、悩んでいるつもりなどなかった。それを立夏は指摘した。
驚く龍雅に、立夏は真剣な表情で迫る。
 
「いや……」
 
動揺した心に、体はついていかず、口から出そうとした言葉も上手く纏まらないまま呟きだけが漏れた。
深層心理を、見抜かれたのかもしれない。
 
「やっぱり知りたい。目を合わせてくれないあなたの隣にいるだけなんてつまらないし不安だから」
 
立夏には敵わない、と思ったのは、これで何度目だろうか。
彼女は自分より遥かに強い、と龍雅は彼女をいつも尊敬していた。
 
「驚くな、と言っても、多分驚くだろうけれど」
 
口は軽かった。
言うつもりもないことが勝手に口から離れていく。
龍雅はそれほどまでに立夏を信頼し、そして惚れていた。
 
「ロンドンにいた時、俺を育ててくれていた男がいた。その男は神みたいに何もかもを支配し、自分の実験のために世界を滅ぼそうとしている。俺がやろうとしたことを、別の理由で同じことをしようとしている」
 
「その人に、会ったの?」
 
「ああ、花見の日、立夏と付き合い始めた直後だった。俺とさくらを一蹴して去っていった」
 
その時のことは明確に思い出せる。
あの敗北と、あの屈辱と、あの恐怖だけは、未だに鮮明に体に染みついていた。
立夏は彼の話した事実に驚きながらも、何とか平静を保っていた。
 
「その実験ってのは、いつ始まるの?」
 
「厳密にいえば、もう始まっている。その最終段階として世界どころか次元を巻き込む実験は、来月、6月1日だ」
 
「1か月後……」
 
あまりにも近過ぎる世界の終焉は、立夏にはいまいちイメージできなかった。
突拍子もない話で、突然に言われて信じろという方が無理な話である。
 
「だから、巻き込むほどの価値もない問題なんだ。巻き込もうが巻き込むまいが、結局終わりはやってくる。だから俺は、どうせそうなるなら俺自身の手でケリをつけたい」
 
「なるほどね、それに、身内、か」
 
立夏が龍雅の背中に抱き着く。
突然の温かな感触が龍雅の体を包む。龍雅が背中の柔らかな感触に動揺しながら。
 
「龍雅は、何が欲しいの?」
 
「え?」
 
意味深な質問、龍雅はどう返せばいいか分からなかった。
欲しいものと急に言われても、思い浮かぶものはなかった。
だが、強いて言うなら――
 
「今の、幸せ、かな……」
 
ぼそりと呟いて、龍雅は俯く。
立夏はクスリと笑みを零し、更に言葉を紡ぐ。
 
「だったらさ、もっと気楽に行きなさい。何も考える必要なんてないじゃない。あなたが望むものは簡単に手に入るし、もう既にあなたは持っている。だったら戦う理由もいらないでしょ?」
 
立夏の言葉に、龍雅は全てを悟った気がした。
今更自分は何を考えていたんだろうと、少しばかり嫌気がさして、同時に立夏を更に愛しく思った。
1度立夏の腕を解き、正面に向き直る。
今度は龍雅が立夏の背中に腕を回し、彼女を抱き締めた。
簡単なことに、龍雅は気が付いていなかった。
 
「それも、そうだよな。俺は、俺の感情をぶつけたっていいんだよな」
 
「分かったなら、よろしい」
 
この日は、龍雅は立夏の家に泊まることになった。
渉たちに連絡する際、本当のことを言うのは憚られたので、とりあえず友達の家に泊まるとだけ連絡しておいた。