52.その笑顔に誓う
2014年01月23日 14:55
楽しかったか、と問われて、楽しかったと答えられる自分がいる。
楽しかったか、と問われて、楽しくなかったと答えられる自分がいる。
そんな矛盾を孕み、現実世界に興味を持ち、そして同時に失っていた。
どこまで行っても自分は全てを持ち、全てを凌駕し、超越する存在であると同時に、何も持たず、何も変えることができず、何よりも劣っていた。
矛盾を孕み過ぎた自分と常に対角線上にいた少女――芳乃さくら。
彼女はきっと、その両極端に立つことができず、常に彷徨い続けていたであろう。
しかしそれを是とし、それを幸せと捉えていた。
彼女は創り、そして終わらせることで自分の世界を得た。
ならば、彼はその反対に立つものとして、終わらせ、新たに創ることで自分の世界を得ることに決めたのだった。
桜の木から始まった少女とは限りなく正反対の可能性を持った青年は、そんな崇高で空虚な人生を送ることしか許されなかった。
――それが、『希望』と呼ばれた研究者のなれの果てだと、自分でも気が付いていて。
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早朝の朝日が昇る少し前、龍雅は桜並木を歩いていた。
昨晩は立夏の家に泊まり、立夏の部屋で寝たのだったが、龍雅も学生であるため、翌日の学園に登校しなければならないのもまた事実で、いつも通りの時間単位で生活していては間違いなく失敗すると考えていた。
そのためとりあえずは立夏よりも先に起床し、彼女の寝顔を堪能した後に置手紙を残し、渉たちの下へと帰ったのだった。
彼女の言葉を何度も頭の中で反芻させながら、その時の喜びを何度も何度も思い出して。
見上げた空の向こうは、少しずつ明るくなってきていた。
朝日の光は桜並木の薄紅色に少しづつ鮮やかな色を取り戻させ、夜桜から朝の桜へと、その美しさを変化させていく。
「ホント、毎日楽しいな……」
ふと、そんな感想が、口から漏れた。
家に帰ると、既に渉たちはケーキ屋を開店させるために既に起床していたらしく、家の明かりは灯っていた。
何も考えずに裏口から帰り、帰宅の挨拶をすると向こうからも迎えの挨拶が返ってきた。
作業を中断して廊下からこちらに向かってきたのはななかの方だった。
「お帰りなさい。楽しかった?」
「ええ、まぁ」
龍雅の返事を聞いて、ななかは安心したとばかりに微笑む。
そして顔をぐっと近づけ、龍雅がそれに慌てて少し仰け反ったが、ななかは続けた。
「それにしても、夜通しどこかに行く時に『友達の家に泊まる』って言う連絡をする時は、異性の家に泊まるっていう真実が隠されちゃったりする時があるんだけどねー、知ってた?」
「なっ」
「あ、図星」
龍雅は真央を真っ赤にさせながら視線を逸らして俯く。
『世界の総意』とリンクしていようが、1人の少年としての羞恥は持ち合わせているようだった。
「ふぅ~ん、ねぇねぇ、どんな人?龍雅くんが学園に通い始めてからまだそんなに経ってないのに、そんな短時間でゲットしちゃった女の子って、どんな人?」
爛々と目を輝かせてななかが迫ってくる。
龍雅自身も紹介したいとはたまに思っていたのだが、いかんせんここまで執拗に迫られるとなんとなく言いたくなくなるのが人の|性《さが》というものである。
龍雅はななかに気圧されて尻込みしていた。
「え、えっと……」
変な笑みしか浮かばない。
ななかの興味津々な表情が、龍雅には酷く恐ろしいものに見えた。
何故か威嚇されているように感じた。
「ちょ、ちょっといろいろ支度してきますっ!」
脱兎のごとく一目散にななかを避けて廊下を駆け抜け、階段を上っていった。
ななかは龍雅の彼女の情報を訊きだせなかったことに少し悔しがり、再び作業へと戻っていった。
「全く、若者は青春しちゃってるね~」
「俺たちもあれくらいの頃はあんなんだったと思うけどな。義之なんか見てて面白かったくらいだし」
ななかの茶化しに、渉も過去を振り返りながらなんとなく笑っていた。
青春時代というのは、いつになっても思い出として輝き続けるものなのである。
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「あ、おはようございます」
「おはようございます、龍雅さん」
その日の朝の登校時に、姫乃と清隆に偶然にも鉢合わせる。
いつもはもう少し時間がずれているため登校中で出会うことはないから、何とも新鮮な感じだった。
「あれ、シャルルは?」
近所づきあいで、更にシャルルとは同居しているはずの清隆と姫乃、そしてシャルル。そこにはシャルルだけがいなかった。
「ああ、るる姉は生徒会の仕事です。いつも朝が早くて大変そうです。確か立夏さんもそうだったと」
「そうですよね」
改めて、感心した。
風見鶏の時と同じで、立夏は風見学園でも生徒会に属していたことに、ほんの少しの驚きを感じ、そして納得する。
「それと、龍雅さん、おめでとうございます」
「へっ!?」
「何が?」
清隆の突然の祝福は、龍雅にとって全く意味が分からなかった。
そして隣の姫乃も清隆の言葉を理解できていない。突然の発言にきょとんとしていた。
「いや、立夏さんと上手く行ってるようで」
「そ、そうなんですか?」
清隆の祝福の笑顔と、姫乃のソワソワした何とも言えない表情。
風見鶏の頃から、この兄妹は本当に仲がいいことを実感する。並んで見てみるとそれがよく分かった。
それにしても、確かに立夏と正式に付き合い始めたことは誰にも言ってはいなかったけれども、それに気が付いてこうして祝ってくれていることに、少し恥ずかしく思った。やはりこういう空気には慣れていないようだ。
「いやまぁ、おかげさまでな」
照れくさい、こんなこそばゆい感情を抱いている自分が、少し嬉しい。
なんとなく清隆たちと視線を合わせ辛くなって少し遠くに目線を逸らす。
視界に入るのは一面薄紅色の風景。5月に入ったというのに、相変わらずの枯れない桜だった。
「り、立夏さんとは、どこまで行ったんですか……?」
かなり動揺しながら、顔を赤くさせて姫乃が質問してくる。
隣に意中の異性がいるというのにも拘らず、女性というのは恋愛話が気になるものだ。
「どこって、昨日親に会ったよ」
「お、親公認ですかっ!?」
くわっ、というような効果音でも付きそうな勢いで身を乗り出し、顔を近づけて興奮気味なった姫乃。
何故かそんな反応をされると龍雅は流石に何とも言えない気分になる。
「た、確かに昨日泊まっていったけどさ……」
「とっ、泊まっ――」
何か拙いことでも言っただろうか、とでも言わんばかりに首を捻る龍雅。
一方で姫乃はそこからあれこれと想像を働かせてしまったらしく、自分の妄想で自分がオーバーヒートしてしまったようだ。
清隆もそんな彼女を見て苦笑する。
「ふぅむ、かの大予言も、遂に現実となる、か……」
ふと、呟きが龍雅の耳に入った。
視線を向けると、そこには、かつて風見鶏にもいた、いかにも胡散臭そうな美青年が経っていた。その手元には手帳が握られている。
「あ、杉並先輩、今度は何の用ですか?」
「す、杉並……」
清隆はどうも彼の知り合いなようで、彼の胡散臭さも理解しているらしく、対面早々彼に対して警戒を強めていた。
「同志芳乃よ、せっかく出迎えてやったというのに、何だそのつれない反応は。それに、そちらの弓月龍雅は、俺とは初対面なはずだが……?」
「いや、お前、結構悪名高いだろ……?」
「何を言う、俺はこの風見学園における異端児であり、同時にヒーローでもあるのだ。悪という表現は、解せぬ、な」
胡散臭い笑みと、堂々とした立ち振る舞いで龍雅の言葉に応答する。
何とも面倒臭そうだと思った彼の第一印象は、確実に的を得ていた。
「まぁいいや、それより、さっきのかの大予言ってのは、何のことだ?」
龍雅の興味は初めからそちらに向いていた。
確かに杉並という風見鶏での繋がりのことも気にはなったのだが、それは別に後にしても差し支えはないと判断した。
「ほう、気になるか。ならば教えてやろう。およそ半世紀ほど前、ノストラダムスの大予言というものがあり、それによれば世界は滅びるという話もあったのだが、それは一度回避してしまい――」
「すまん、長すぎるからかなり要約してくれ」
「仕方ない、要するにだ、世界がもうすぐ、滅びる」
「な――!?」
この男は――杉並は、ただ胡散臭いだけの男ではなかった。
現状を、何故か理解していた。それは何故か。
彼がシグナス・ルーンと何かしらのコネクションを持っているか、あるいはただの偶然、オカルトの類に対する興味の産物か。
どちらにせよ、1か月後に起こるであろう出来事を確実に予言していることに、違いはなかった。
「何言ってるんですか、世界が滅びるって、それも1か月後なんて、ありえるはずがないじゃないですか」
「そうですよ。立夏さんでももう少しまともな設定練りますよ」
姫乃がさらっと立夏のことを馬鹿にするような発言を無意識にしているが、やはり2人ともその事実を信じることはないようだった。
その場で明らかに雰囲気が違う、龍雅だけがその恐怖を知っていた。
「龍雅さん?」
「あ、いや、そうだけど、姫乃、そんなこと言って立夏にばれたら大変なことになるぞ」
突然話を振られて動揺するも、出来るだけ平静を装って会話に戻る。
だがしかし、内心ではかなり焦っていた。
知っているのは龍雅とさくらだけ、それが彼の認識だった。
しかし、その2人を除いた、真実を知る者がもう1人、目の前で不敵に笑っていた。
「誰にばれたら大変ですって、姫乃?」
後ろから背中に投げかけられる声。
聞き慣れたその声に振り返ると、そこにはいつもの制服を身に纏った森園立夏がいた。
「今日も朝からご機嫌麗しゅう、公式新聞部部長、森園立夏」
「そっちもね、杉並」
朝から学園の校門付近で視線の火花を散らしながら睨み合っている本校生を見て、周囲の人間が何とも言えない表情をしながら校門へ向かっているのを龍雅は見た。
どうやらそのリアクションからしてよくあることのようだ。
「おはよ、清隆に姫乃、それと龍雅」
「おはようございます」
姫乃と清隆、兄妹のような関係の2人は、立夏の睨むような笑みに対して苦笑しながら挨拶を返した。
仕返しなどはないだろうが、先輩の睨みとなれば、それが本気だろうがそうでなかろうが、迫力は十分にあるというものだ。
と、次の瞬間立夏の行動に、ここにいた全員が感心してしまった。
「ん、どうしたの?」
立夏がきょとんとした顔でみんなを見渡す。
その両腕に龍雅の腕を抱きながら。
「なるほど、話には聞いていたが、まさか本当だったとはな」
杉並がやれやれといった感じで2人を見る。相変わらず彼の考えていることは誰にも読めない。
祝福しているのか、馬鹿にしているのか、それとももっと別の何かか。
姫乃と清隆も目の前の状況に目を丸くしていた。
「確かにさっき聞いたばかりだけど……」
「改めて見ると凄いですね……」
いつも天真爛漫な立夏だが、かつての彼女以上に、今の彼女は幸せそうだった。
想い人と結ばれることの幸せをその身で味わっている同性の者を目の前にして、姫乃は頬を染めながら、ふと隣の少年にちらっと視線を向ける。
「ところで、立夏、お前生徒会の仕事じゃないのか?」
「あー、龍雅、もうそのこと知ってたんだ。今日は大丈夫よ。私は今日朝は特に仕事ないから」
何というか、周りから見ていて、非常に口を挟み辛い空気だった。
既に2人だけの空間ができてしまっている。
それと同時に、周囲の男子生徒からの視線が鋭くなってきていることにも、清隆は感じていた。
「えっと、お楽しみのところ悪いんですが、そういうのは後でお願いします……!」
小声で、かつ強く清隆が龍雅たちの間に割り込み、2人を許容範囲までなんとか離して周囲の視線がこちらに思い切り飛んできていることを指を指して伝える。
立夏が赤面しながら、龍雅が何とも言えないような表情をしながら少しだけお互いの距離を取る。
早朝から堂々と花畑をつくっていてはそれはもう注意を引くことになるし、片方は学園のアイドルとも称されるほどの美少女なのだ。
そんな様子を見ながら、杉並は誰にも気づかれないようにどこかへと去っていった。
「とりあえず龍雅、今日の昼休みは勿論、放課後は部室に顔を出しなさいよ」
ウインクを龍雅にかましながら、立夏は校舎内へと消えていった。
相変わらず自由な人だと、その場にいた誰もが感じていたのだった。