54.追い縋る過去

2014年01月23日 14:56
 
約束のあの場所――かつて清隆たちがさくらとの再会を果たした、初音島最大の桜の大木に、少年少女は集った。
一面に広がる薄紅色の風景は、遠い過去の魔法の世界を彷彿とさせる。
蘇る、取り戻した記憶とその想い。
それぞれが胸の内に抱いたそれは、誰もが自分の中に閉じ込めたままで、外に表そうとはしなかった。
そよ風が少女たちの髪と共に、桜の花びらをさらっていく。
見上げる桜の大木に、全員が決意を新たにした。
 
「それじゃあ、始めるぞ」
 
龍雅のその言葉に、残りの7人が桜の木の幹に手を当てる。
6人ではなく、7人。そう、清隆たち公式新聞部のメンバーだけでなく、そこにはさくらも居合わせていたのだ。
 
「龍雅くん。最初に言っておくけど、無理そうだったら絶対に言ってね。ボクが強制終了を発動するから」
 
さくらですら知らない魔法の術。
さっぱり理論も構造も分からない魔法が自分と枯れない桜を媒介に少年少女に行使されるのは、少しばかり不安が伴った。
さくらの心配をよそに、龍雅は自信ありげに笑みを浮かべる。
そしてその視線をさくらに向け、彼女を安心させるように言った。
 
「俺は光雅にはなれない。あいつみたいな正義のヒーローには決してなれない。でも、俺は自分ができると信じた。立夏が俺にはできると言ってくれた。みんなが俺を信じてくれた。だから、俺は正義のヒーローじゃなくても、みんなの期待を背負える程に、強くなれる」
 
さくらはそんな龍雅をどこか懐かしそうに見つめ、そして微笑む。
 
「やっぱり、キミは光雅くんのお兄さんだよ。ちゃんと、真っ直ぐに生きてる」
 
「俺はそれをあいつに教わった。さくらに再認識させてもらった。だから俺はもう道を踏み外さない」
 
長い長い、悲しみの物語を、龍雅は振り返っていた。
色々なことがあった。
悲しいことも、嬉しいことも。
それら全てが、今の自分に繋がっている。
人の想いは、どんな魔法よりも、どんな運命よりも強く、たくさんの想いが1つに集い、小さな奇跡を呼び起こす。
そして、その奇跡を、今一度、この手に――
 
「さて……」
 
魔法陣の展開は終了した。
さくらと共に魔法陣から出て、外側から術を進行させる。
さくらの隣で、龍雅が言霊をぶつぶつと呟く。
少しずつ、少しずつ魔力が桜の木の周辺に集まっていくのを、龍雅とさくらは感じ取っていた。
そしてその魔力は魔法陣の術式の通りに演算され、その形をつくり始める。
 
「みんな、思い出して。ボクたちがどんな生活を送っていたのか。どんな日々を何を思って過ごしていたのか。かつてのボクたちを思い起こすんだ!」
 
さくらの指示に従って、桜の周りに集まった6人の少年少女は瞳を閉じ、枯れない桜から、そしてさくらから授かった100年前の記憶を思い返す。
何度も、何度も、あの楽しかった日々を、辛かった日々を。
大切な人の隣で語り合い、触れ合った日々。
大切な人を守るために、支えるために全力で駆け抜けてきた毎日。
上代龍輝の存在しない世界を、みんなは心から想った。
 
「過去とのリンク……完了――続いてその記憶に内蔵された個々人の能力を記憶の中から抽出、移植する」
 
龍雅は再び集中する。
さくらは龍雅に、それぞれのイメージを龍雅に流し込む魔法を使い、彼に明確なヴィジョンを投影している。
そのヴィジョンを元に、それぞれの風見鶏の時代の力を拾い上げ、複製する。
その時の力、それと瓜二つ、いや、全く同じものを。
 
――葛木姫乃。
 
カテゴリー1。テレパシーの魔法が使える。
対象は清隆の身と限られてくるが、1度リンクが繋がれば深層心理までたどり着くことができる。
そして『お役目』の力。
これに限っては本物に近いものを構成することは不可能だが、その魔力エネルギーを別の物で代用することで構築。
 
――シャルル・マロース。
 
カテゴリー1。サンタクロースの血筋と共に受け継がれたプレゼントの魔法を得意とする。
1年に1度しか同じ人間に発動することができないが、完成度は完璧である。
魔法に関する知識は豊富であり、生徒会長の座に君臨するほどの判断力と統制力を持つ。
 
――サラ・クリサリス。
 
カテゴリー1。クリサリス家の出で、術式魔法を中心に魔法を行使する。
風見鶏きっての勤勉家で努力を惜しまない。その結果風見鶏入学当初から魔法に関する見識も深く、座学では最優秀である。
研究家として代々培われてきたクリサリス独自の術式魔法で、才能はなくともそれを埋め合わせる程の応用力と技の多さを誇り、他者のサポートに回ることでその真価を発揮する。
 
――陽ノ本葵。
 
魔法使いではない。しかし原因は一切不明だがランダムなタイミングで漠然的に未来を予知する能力を持ち、そのせいで過去に禁呪に囚われ苦しめられたものの、見た未来は決して変わらないという絶対性を持つ。
 
――芳乃清隆。
 
カテゴリー4。夢見の魔法を得意とする。
東洋独自の魔法を専門とし、西洋とはまた違った魔法を行使する。その上で風見鶏において西洋魔法を学び、才能がある上に見識をしっかりと深め、堅実な実力と対応力を持つ。
夢見の魔法では相手の夢に潜り込んでカウンセリングなどを行うことができる。また、対象を眠らせることも可能であり、その発動効率もよく、この専門では彼に勝る者はいないとされる。
 
そして。
 
龍雅の最もよく知る人物。
かつて彼が愛した女性。今愛している女性の前世の彼女。
いつも隣で見ていたから、彼女がどのような人間だったのか、今でも鮮明に思い出せる。
 
――リッカ・グリーンウッド。
 
カテゴリー5。孤高のカトレアとも呼ばれ、風見鶏でも突出した実力と名声を持つ。
あらゆる分野での魔法に長け、魔法使いの間で彼女を知らない者はいない。
孤高のカトレアと呼ばれる程の魔法使いの魔法は、どれもこれも高質なものであり、魔法的理論が崩れることは決してない。だからこそ魔法に関しては現実的で論理的であり、様々な現場でパニックを起こすことなく冷静に対応することができた。
禁呪をいくつか有しており、その気になれば街の1つや2つは軽く吹き飛ばすことができ、彼女に相対する者がいなくなる程に、彼女は“孤高”であった。
行動力もあり、のちに大魔法使いと呼ばれる程の能力を得る。
 
精密に、確実に再現していく。
過去に存在していたものを、複数の平行世界から1つに集結させ、そして桜の木を媒介にして時間を跳躍してこの時代に現出させる。
そしてそれを、正確に彼女たちに移植させる。
かつての能力を取り戻す少年少女たち。
彼らはその力に、何を思うのだろうか。
術が終わり、成功したのをさくらたちは確認して安堵しきっているところに、それは起こった。
 
「なん……だよ……これ、は……!?」
 
一斉に龍雅に視線が集う。
苦しそうに頭を抱えて悶え苦しむ彼の姿がそこにはあった。
おぼつかない脚で、ふらふらと不安定になりながら、苦悶の喘ぎを上げる。
次第に、彼の身体から、仄暗い黒い霧が滲み始めてきた。
そう、戻ってきたのだ。彼らの記憶と能力が戻ってくると同時に、彼の力の歯車の中心となる、『感情』が。
 
『また、ここまで来たんだね』
 
聞こえてくるのは、かつてのリッカ・グリーンウッドの親友の声。
今は既にいないはずの、負の感情。時を超えて、再び彼の『世界の総意』に侵入したのだ。
 
「やめ……ろ……!」
 
頭をブンブンと振り回しながらも、頭の中で響き、体中を駆け巡る呪詛を振り払おうとするも、それらは消えることはない。
延々と、彼の内部に、心に、感情に囁きかける。
 
――また始まる。
 
――彼女たちが帰ってきた。
 
――これでまた、全てが蘇る。
 
――始めよう。
 
――何を?
 
――終わらせるのだよ。
 
――世界を。物語を。全てを。
 
――繰り返す。
 
――何度も何度も同じことを。
 
――世界の感情に身を委ねてしまえ。
 
――正しいとは何だ?
 
――正義とは何だ?
 
――希望は?夢は?価値観は?情熱は?絆は?愛は?勇気は?――――幸福は?
 
――全ては、終わりにある。
 
――さぁ、終わらせるのだ。
 
――始まりと共に、終わらせよう。
 
――それが、世界。
 
――霧の物語は、幕開けと共にその幕を下ろす。
 
『悪いのはキミじゃない。キミをこうさせてしまったみんな、そして世界なんだよ』
 
「その声は、……エト!?」
 
シャルルは気が付いた。
記憶のものとは言え、その声は、かつての彼女の弟と全く変わりはなかった。
龍雅の中から語りかけてくる声は、淡々としていて恐ろしかった。
 
『全ては揃った。さぁ、上代龍輝くん――いや、今は弓月龍雅くんか。キミは再び、役者となるんだ。破滅する者という、役目を背負った――』
 
龍雅は応答しない。
彼の叫び声は途切れ、完全に動作は停止してしまっていた。
その時までは。
 
「全くよォ、どォしてまァ、こンなところまでついてくるかねェ……」
 
狂気に溺れた笑み。
全てに絶望し、負の決意を身に纏った声。
邪悪なオーラが、辺りを覆った。
 
「龍雅くん……!」
 
さくらが防衛態勢に入る。
いくら立夏たちが能力を取り戻したとはいえ、使い慣れるには時間がかかる。ならば、今ここで彼を食い止められるのは彼女しかいなかった。
 
「『月光桜-蓋世不抜之型-』!」
 
彼女の周囲を輝く桜の花びらが吹雪の用に舞う。
その1枚1枚に、強力な魔力がこもっているのを、特に立夏と清隆は感じ取ることができた。
だがしかし、相対する男には、まるで及んでいなかった。
 
「あァあ、ホント、だから言ったってのに。同じことを繰り返すってよォ」
 
彼の足元に魔法陣が展開される。
それは彼の身体を這い始め、頭まで上ってきたところで彼の身体を離れ、次第に美しい形を構築していく。
かつてはさくらも見たことがあった、凶悪な魔法陣。
 
「≪第三の龍の解放(リリース・ラスト)≫」
 
立体型魔法陣。
球体の魔法陣を周囲に展開した彼は、かつての隠された物語の中で、リッカを含めた実力者たちを相手に弄ぶ程の力を持つ、魔王だった。
今回もまた、同じ悲劇が繰り返されるのか。
 
「龍雅くん、目を覚まして!みんなで一緒に、運命を変えるんでしょ!?」
 
さくらの心の叫び。
その感情は、光雅が孤独の力に魅入られた時のものと同じだった。
力に飲まれるということが、どれだけ悲しいことか、かつて願いを叶える桜で周りを傷つけ、自身を傷つけられた彼女にはよく分かっていた。
そして、光雅の時も。今回、龍雅の時も。
 
「今ここで終わらせても、何の意味もない!キミの欲しかったものは、何も手に入らないんだよ!?」
 
その叫びは、彼の心に響かない。
龍雅は狂気に身を任せ、落ち着いた雰囲気で片手をさくらにかざす。
たった一瞬――ほんの一刻で、彼の手元には膨大な魔力が集結していた。
そこにいた誰もが畏怖し、膝を折らざるを得ない程の、圧倒的な力。
 
「どうして……」
 
術は成功した。
しかし、その副作用を考慮していなかった。
彼が何故、暗黒に落ちたのか、彼女たちに知る由もなかったが、結果的に、この術で、あの時の悪夢が再び始まったのだ。
その一撃は、どこまで世界を壊すのだろうか。
魔力が弾け、辺り一面が閃光で視界が消えた。
その一撃で、何もかもが消えてしまった、のかもしれない。
誰も痛みを感じず、誰も自身が死ぬことなど、意識できないままに。
 
「――」
 
目を開けた。
目を、開けることができたのだ。
生きている。まだ生きている。世界は消えていない。視界も元に戻ってきていた。
辺りを見渡す。
清隆、さら、姫乃、葵、シャルル、立夏、全員無事である。傷1つない。
ならば、一体何が起こったというのか。
事の次第を確かめるべく、再び彼のいた場所に視線を向けた。
砂煙にまみれた風景の奥を見据える。
次第に、人型の影がうっすらと現れ、砂煙が晴れると同時に、その正体も明らかになった。
紛れもなく、弓月龍雅。
先程力が集結していた手は、彼の胸へと当てられていた。
 
「ったく、テメェらいい加減にしろよ。終わりだとか物語だとかそンなのはもう知ったこっちゃねェ。どうだっていいんだよ。ジルもエトも、自分のけりくらい自分でつけろよ。幻影の分際で自我を持って人の精神に土足で入りやがって。目を覚ますのは俺じゃなくてお前らだろ。これは俺の身体だ。お前らが好き勝手にしていいものじゃねェンだよ。大人しく――引っ込みやがれ」
 
彼の身体に、放たれた魔力が収束して薄くなっていく。
鎮圧――彼の中の悪意が、彼自身によって鎮圧されていた。
全てが落ち着いた時、遂に彼は力なく膝をついた。
 
「まさか、ここまで追いかけてくるとはな……」
 
嘲笑。
それは誰に向けたものか。
しかし同時に、俯いた彼のその表情には、彼の満たされた感情が表れていた。
そのまま、前のめりに倒れ、うつ伏せになって動かなくなる。
 
「龍雅、大丈夫!?」
 
真っ先に慌てて駆け寄ったのは立夏だった。
彼を仰向けに起こし、呼吸と心拍数を確認する。
どちらも問題なく働いており、どうやら意識を失って眠っているだけのようだった。
立夏は安心して龍雅の髪を撫でると、清隆を呼んだ。
 
「清隆、それじゃ、早速やってみる?龍雅の眠りを安定させてあげて」
 
清隆は一瞬考えて、そして快く了解の返事を返した。
龍雅の寝顔は清隆の魔法ですぐに安らかなものになり、落ち着いた眠りに入ったのがよく分かった。
 
「ホント、よく頑張ったわ。龍雅」
 
立夏の膝元で、龍雅はそれから3時間程眠り続けた。
清隆たちは、自身の能力を、魔法を確かめながら、彼の寝顔を何となく眺めていた。