59.キミにささげるあいのマホウ

2014年01月23日 15:00
 
立夏にとって、隣に立って自分の手を握ってくれている龍雅の姿は、今まで見てきたどの龍雅よりも逞しく、そして強く見えた。
龍雅は、自分がいつも彼を引っ張ってくれたと言っていた。
しかし、今はどうだろう。自分の隣に立って、共に同じ場所に立って、同じ目的を共有している。
もしかしたら、それだけでなく、本当のところは立夏の方が龍雅に引っ張られているのかもしれない。
こんな世界もあるのだと。自分はこんな世界を見せてあげることができるのだと。
全てのきっかけは彼だった。
幼いころから、誰か、運命の人がいたような気がしていた。
ずっと探し求めてきた。誰かは分からないし、誰にも理解されなくても、ずっと心に思い続けてきた。
そして風見学園に入学し、本校へと上がった今、遂にその人と巡り合った。
立夏は本当に嬉しく思った。その時の龍雅も、同じように思ってくれていただろう。
しかし、龍雅は納得していなかった。
弓月龍雅は、『上代龍輝』ではないと。森園立夏は、『リッカ・グリーンウッド』ではないと。
突きつけられた事実。曲げようもない真実。
龍雅はどこまでも正しくて、理不尽な世界を肯定していた。
いや、諦めていたと言った方が正しいかもしれない。
龍雅は過去に、何か重いものを背負って、引き摺りながら生きているように、立夏には見えた。
立夏と龍雅が離別している間に、何が起こっていたのか。
芳乃さくらから預かった記憶にはない、もう1つの物語の中で、自分たちは何を成したのか。
そして、その世界の後、どのような辛い思い出を背負ったのか。
しかし、立夏はそれでも、彼のことを支えて上げたかった。心の底から彼のことを愛おしく思っていた。
それは前世の記憶とか、龍雅の過去に同情したとか、そんな尊大なものではない。ただ、そう言ったこともひっくるめて、一目惚れをしたのだ。
それもまた、きっかけ。彼女が、新しい世界へと飛び込んだ、新しいきっかけ。
今はこうして、龍雅にとっての大切な場面で、後ろで見守っているのではなく、隣に立って共に戦うことができるのを、誇らしく、そしてありがたく思う。
 
「大丈夫か?」
 
龍雅の心配に、立夏は首を縦に振って、彼の顔を隣で見上げる。
満面の笑み。自信は満ち溢れていると、彼にアピールするように。
龍雅の握る手が更に強くなる。その想いと共に、彼の成そうとすることがその手から流れてくる。
その記憶が、その思い出が、彼女の目尻に、涙を浮かべさせた。
 
「全く……本当に……あなたって人は……!」
 
涙を頬からぽろぽろと零しながらも、それでも笑顔だけは絶やさない。
その思い出は、楽しかったものだったから。その結果が悲劇を招いたとしても、それでも、その一時は本当に大切なものだったから。
 
「行こうか」
 
「ええ」
 
龍雅は腕を前に、立夏は杖を前にかざす。
正面に出現するのは、青白く輝く魔法陣。
腕を上へと挙げると、同じように魔法陣も向きを変えて上へと移動した。
そしてゆっくりと立夏たちを囲うように下へと降りてくる。やがてそれは地に降り、立夏たちを中心としてゆっくりと回り始める。
お互いの魔法、前世の、隠された物語の中で作られたオリジナルの魔法、そのアカウントに設定されたパスコードを2人で流し込む。
 
「これはッ――!?」
 
シグナスがその正体に勘付く。
龍雅たちに向かって、正面から肉薄する。
その手から打ち出された魔弾は、何者かの手によって弾かれた。
目の前には1人の青年。弓月龍雅の弟。正義のヒーローを体現したような存在。
弓月光雅が、笑顔でそこに立っていた。
 
「虫けらの分際で俺の前に立ちふさがるか……!」
 
怒気を表すシグナスに対し、光雅は一切動じない。
 
「虫けらで結構。生憎それでも俺らは楽しい人生を満喫できてるんでね。それを今更変えられても困るんだっつーの」
 
龍雅はその背中を見た。
かつては自分の前で、殺意の視線を向けてきた弟。
その存在が、今は自分の盾となって背中を向けてくれている。
変わるものだと、龍雅は心のそこで感動していた。
 
「立夏、一気に広げるぞ」
 
「準備はできているわ。いつでもいける!」
 
2人で作った魔法は、対象の魔力をゼロにまで減衰させる魔法。
しかし、それでは元々魔力を必要としないシグナスに対しては全くと言っていいほど影響を与えない。
一方で、龍雅も、光雅も知っていた。そして、たった今立夏も分かった。
かつて龍雅が光雅との戦いで発動した、恐るべき魔法を。
辺り一帯を支配し、その範囲における『奇跡』を完全に消し去る魔法、≪真空の境界線(フィールド・ゼロ)≫。
その禁呪に匹敵する力を、もしオリジナル魔法に組み込むことができれば――
 
「「≪|永遠《とわ》に続く記憶と未来の物語(エンドレス・メモリー)≫」」
 
一体が、青白い輝きに包まれ、視界が閉ざされた。
それは、始まりと終わりからスタートする、誓いの魔法。
自分たちに、その過去はあった。それは決して楽しいことばかりではなかったかもしれないが、それでも大切な記憶となって心に秘めてある。
そして未来。何が起こるか分からない。何が起ころうとも、決して挫けない。何があっても立ち向かっていく。仲間がいる。パートナーがいる。いつだって、1人ではない。
全ての始まりから全ての終わりまで、あらゆるものを包括し、そして決して終わらない光ある世界を創り出す。
そしてそれは、ダ・カーポのように繰り返される、希望の旋律。
悲劇のような過去から、苦しみを知った。そして、これから始まるであろう未来には、きっと喜びも待っている。
喜びと苦しみ。そう言ったものを繰り返し抱えながら、生きていく。
自分たちが見ているのは、過去ばかりではなく、未来ばかりでもないということを。
 
「ちく……しょお……!!」
 
シグナスがその場へと膝をつく。
広範囲の中で、対象だけを拘束し、瞬時に魔法的影響力を皆無にする。
いくらシグナスの発動する魔法に魔力を必要としなくても、それは最終的に『魔法』という形でアウトプットされる。
『魔法』そのものを封じるこの魔法は、完全にシグナスを無力化するものとなった。
 
「アンタは間違ってなかったよ」
 
龍雅はシグナスにそう言う。
誰もその言葉に反論しない。シグナスの行動は、シグナスの意志で定め、それが正しいとして行動したのだから。
 
「アンタがしたことは間違いじゃない。でも、俺たちはそれを拒む。なぜなら、その行動は間違ってはいないが、俺たちにとっては許せないことだったからだ」
 
「……どう言う……意味だ……?」
 
シグナスは必死に立とうとしているのか、膝ががくがくと震えている。
震える唇で必死に言葉を漏らしながらも、視線は龍雅へと一直線に伸びていた。
 
「意味も何も、単純に迷惑ってだけの話さ」
 
「それだけのために、俺の実験を阻止しようというのか――」
 
「そんな実験のためにこれ以上この手にあるものを失ってたまるか!」
 
龍雅の眼光が急激に鋭くなり、シグナスに対して突然怒鳴った。
これまでに何もかもを失う人生を歩み、一時は失うものすら失いきっていた。
それでも必死に生きて生きて、どこにあるかもわからない何かを手繰り寄せてようやく手に入れたこの、幸せ。
今度こそは、この腕の中に抱えて、決して離さないと、自分自身に、憧れの弟に、そして握るこの手の主に誓ったのだ。
 
「これからアンタはどこに向かうか俺にも分からない。でも、どこだろうと、安心して眠りな。ゆっくり休む時間くらいは、与えてくれるだろう」
 
龍雅は後ろを振り向いた。
突然肩を叩かれ、背後を振り返ると、そこには光雅が立っていた。
 
「準備はいいか?」
 
「……何のだよ?」
 
訝しげに首を傾げると、光雅は懐から、先程立夏たちにも渡した、術式の書かれた紙を龍雅にも手渡す。
龍雅はそれを見て、ハッとして顔を上げた。
 
「そういうことか……」
 
その呟きと同時に、ほんの少し寂しげな表情を見せる。
光雅はそれをみて、首を左右に振った。こればかりは諦めるしかないと。
そしてさくらを近くに呼び、何かしらの指示を与える。さくらは表情を引き締めて真剣に頷いた。
 
「……始めるか」
 
龍雅は、吹っ切れた。
 
「さくら、行くぞ」
 
「うん」
 
「≪第三の龍の解放(リリース・ラスト)≫」
 
もう1度、霧の龍の魔法を発動させる。
今度はその魔法陣を、球体にするのではなく、形を練り上げ、体の根底から全てを捻り出すようにして、1頭のドラゴンを召喚したのだ。
その龍こそ、光雅の狙い。
無を完全に討ち払う、最後の切り札。
絶対的存在を終わらせるための、最後の希望。
枯れない桜の想いがそれに共振する。
龍雅にかつて乗っ取った龍は、黒くて禍々しいものだった。
しかし、その色は――
 
初音島中の桜が、ほんのりと光を灯した。
桜の花びらが舞い、それに従うかのように霧が少しずつ晴れていく。
その花びらは次第に龍雅の下へと集まり、桜吹雪を龍雅の周囲に作り出す。
龍雅はその花弁の1枚を手に取り、愛おしそうに見つめる。
彼の恋人の象徴であり、彼女との出会いの象徴であり、別れの象徴でもあったそれは、最後には、全てを終わらせる、終焉にして、開闢の象徴となる。
 
「お別れだな、俺の中にいた、『世界の総意』さんよ」
 
黒い塊が龍雅から抜け去り、それは次第に桜の花びらと共鳴して少しずつ薄紅色の輝きを増していく。
そして少しずつその形を形成し、そしてそれは、桜色の輝きを放つ、美しき龍となったのだ。
 
「『月光桜-天衣無縫之型-』」
 
さくらが桜の翼をその体中に展開し、そして、桜の龍と同化した。
それにより、龍自身に意志を持たせ、さくらの制御によって動くようになる。
 
「ボクが、ボクが終わらせる!そしてまた、始めるんだ!決していちからではない、積み上げてきたものを分かち合って、何度でも繰り返す!どんな未来が待っていても、決して挫けない!」
 
さくらの声の龍が反応するように、薄紅色の光を放ちながら、シグナスに向かって龍が突進していく。
シグナスはそれを、表情を変えることなく黙って受け入れるだけだった。
そして時間もそう経たない内に――
 
――シグナス・ルーンは、この世界から失われた。
 
最後の表情は、どのようなものだったろうか。
憎しみに溢れていたか。満足げなものだったろうか。悲しみに包まれていただろうか。それは、誰にも分からないことだった。
 
――強さ、か。
 
――俺は、奴らのように、過去を見ようとしていなかったのか。
 
――なるほど、彼らは過去を変える。
 
――俺などには、到底できることではないようだ。
 
――いくらでも過去の運命を変えてみせろ。いつだってその先にあるのは、『絶望』だ。
 
「実験――全過程終了――シグナス・ルーンの敗北、消滅及び、上代龍輝陣営の勝利により――実験は――」
 
その拳から、力が抜けて、安心しきったように――
 
 
「――――成功とする」
 
 
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芳乃さくらは、龍の中で、シグナス・ルーンの過去の記憶に触れていた。
隠された物語に隠された裏側の真実。
『希望』と持て囃され、全ての魔法使いから期待を背負わされ、それに応えようとしたものの末路。
全てを変える力と信念、想いがあった。
それは見事に裏切られ、彼は自分を見失った。
全てを持っているのに、何も持っていない。
 
――矛盾。
 
大いなる矛盾が、シグナスを1つの方向へと動かしたのだ。
矛盾を作ったのは誰だ――神だ。
ならばそうだ、自らが神となり、新たなる世界を創造する実験をすればいいのだ。
この世界で、自分のすることは悪となる。ならば、世界そのものをリセットするしか道はない。
何度も何度もこの目で破滅を見てきて、精神は摩耗していた。
破滅しか道のない世界に、希望などない。そこにあるのは、いつも絶望のみ。
だから、アンチノミーを背負った、新しい実験へと手を染めることにした。
結果は次の内2つ。
 
――自身が神となり、世界を終わらせ、新たに創造し、プログラムする力を得るか。
 
それとも。
 
――運命に抗う駒が、神となりうる自身を破り、新たな未来を切り開くか。
 
彼にとって、この実験の結末は、どちらにしろ成功となるものだったのだ。
そこでさくらは改めて気が付いた。
彼は、どうしようもなく自分自身であり、それでいて自身とは対称の存在だったのだと。
彼女も彼も、同じように幸せな世界を構築するために奮闘した。
どちらも報われず、そして苦しんだ。
しかし、そこからが2人の分岐点となる。
芳乃さくらはその後世界を中途半端に構築し、そして終わらせることで幸せを手に入れた。
シグナス・ルーンは逆に、世界を完全に終わらせ、完全な世界を構築することで幸せを手に入れ、そして与えるつもりだったのかもしれない。
さくらはいつも迷い、シグナスはいつも迷わなかった。
迷わなかったからこそ、迷っていたのかもしれない。
ただひたすらに前へと進む、その意味を探して。
希望と絶望の狭間で、何を求めて進んでいたのか、分からなくなって。
 
「その答えは、ボクたちが見つけてみせる。だから、安らかに、眠って……」
 
さくらは瞳を閉じ、光の世界で超越者に黙祷を捧げる。
お疲れさまと、最後に労いの言葉をかけて。
これで、全てが終わった。
そして、始まる。自分たちの、新しい未来と、そして――
 
――さくらが、1人のかったるがりな少年と出会う前に分岐した、もう1つの物語が。