2.「contradiction」

2012年10月28日 18:24

 

――絶望。
 
今の私には、その言葉がぴったりだった。今の私には、住む場所もない。甘えられる人も居ない。
 
――何もない。
 
少し前の出来事を思い出しては、ただ、涙を流すしか出来なかった。
 
 
 
 
 
 
それは既にただの見世物となっていた。
真紅に染め上げられた、いままでの私たちの家。
「だれか!受け取ってください!」
建物の2階、わずかに見える窓から、私たちのお母さん代わりだった人の声がする。
その手には、1人の子供。
ああ、あの子は最近ここで暮らすようになった5歳の子じゃないか。
周りにいる大人たちが焦りながら、それでいておそるおそる窓の真下近くに寄っていった。
“お母さん”が両手を離す。その子は落下し、無事に大人たちによって保護された。
でも……。
 
 
でも……。
 
 
 
ガッシャーン!
 
その窓は大きな音を立て、爆発音と共に消え去った。
……“お母さん”は、助からない?
いやだ……。
 
いやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだ!!!!
 
泣きじゃくり、喚く声は、燃え盛る炎と、見物人の騒ぐ声に掻き消された。
私の手には、“お母さん”から貰った、大切なネックレスが握られていた……。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
気がつけばもう6月か。
俺が学校に行かなくなってもう半年か。もう何もない、クソッタレな人生を送ってきたし、俺からも送ることになるだろう。
 
つまんねぇ……。
 
俺が今持っているのは、この使い古したエレキギターと、さっき貰ったまとまった金。
通っていた学校の少しはなれたところにある、ゴミみたいな人間が集まる小さな繁華街のようなところにあるクラブで、ギターを弾いて小遣い稼ぎをしてきたところだ。
ギターの腕には自信がある。……、いや、正確には、あった、だが。
とりあえず、ゴミとつるんでる時点で俺もゴミ確定って話だ。
いろんな奴を見てきた。危険な取引を何度も経験し、失敗し、喚きながら救いを求めた奴。気に入らない奴は片っ端からボコにし、お山の大将気取りで部下を引き連れて商売に脅しを掛けて金儲けを狙った奴。繁華街に迷い込んだ女子生徒を拉致って犯しまくった奴。
俺も似たようなことをたくさんした。しないと今まで生きてこれなかった。
未成年で酒も飲んだ、タバコも吸った、ヤクもやった、適当に女を抱いた、野郎を殴った、蹴った、痛めつけた、人殺しだってやった。
今更救いなんて、いらねぇ。
 
繁華街から抜け出し、住んでいるアパートに向かうのに最も近い、商店街に抜ける裏路地を進む。もう何百回と歩いた道だ。
 
そんな時、向かいから、繁華街の住人とは思えない、小学生と思われる背丈の少女がおぼつかない足取りでこっちにくる。
 
少なくとも、こいつはここに来るべきじゃない。
「おい」
「……え?」
「ここから先はお前のようなガキの来るところじゃない。引き返すんだ」
「えっと……」
いや、むしろガキよりも下らない人間が来るべきところ、か。
「死にたいならここを通ればいい、引き留めはしねぇ」
「やだ……」
まさかこいつ、家がないのか?
「お前、家は?」
「私の家、焼けちゃった……」
「親は?」
「……」
ああもう、なんでこんなときにこういうのに出会って、声なんか掛けちまうんだ……!
「……生活する当てがないのか?」
こくりと少女が頷く。
捨てたはずの同情心が、偽善が、道徳が、倫理観がよみがえり始める。
 
――葛藤。
 
――悶絶。
 
――こいつを助けて何になる?
 
「……付いて来い」
久しぶりに感じた罪悪感に、負けた。
金はある。しばらくはやっていけるか。
 
 
 
 
 
 
 
とりあえず、何も食ってなさそうだったから、Mから始まるファストフード店に来た。
「なんか、食いたいもんとかあるか?」
「……あの、本当にいいんですか?」
いかにも遠慮がちに上目遣いで俺の顔をジロジロ見てくる少女。
「駄目ならそもそもあそこで止めてねぇよ」
「すみません……」
面倒だからそこで晩飯代わりにそこで、俺はチキンフィレオセットを注文。
「えっと、チーズバーガーとコーラをお願いします」
こちらの様子を伺いながらの注文。
「俺のことは気にするな。金ならそこそこある」
こくり、と頷く。
できるまで時間が掛かるそうなので、カウンターの左側で待機する。
「そういや、名前、聞いてなかったな。お前、名前は?」
「え?」
どうやら店の中の客共のやかましい声で聞こえなかったようだ。
ったく、面倒ったらありゃしねぇ。
「いや、後で話す」
そこで食うことも考えたが、やっぱり馬鹿みたいに人が混み合う場所は好きじゃない。だから持ち帰って家で食うことにした。
 
 
 
アパートに戻ると、少女がますます遠慮がちな態度をとり始めた。
「ここだ」
「……本当に迷惑だったりしませんか?」
「うるせぇな、俺の少ねぇ良心を掻き乱すんじゃねぇ」
「ごっ、ごめんなさい……」
「おっと、少しキツかったか」
ドアを開ける。少し古ぼけた部屋。俺の部屋だ。
「お、お邪魔します」
俺が靴を脱いで上がるのに、後ろについて上がってきた。なんか懐かしい。
「え、えっと、お腹空きました」
「んー、そうだな、その前に少し部屋片付ける」
「あ、私は大丈夫です」
「俺のプライドが大丈夫じゃない」
「えっと、手伝います」
「頼む、適当にゴミとか捨ててくれ」
とまぁ、こんな感じでいいか。
「あれ?学生さんなんですか?」
床に落ちている学ランを拾い上げて、少女は首をかしげる。
「正確には、だった、だけどな」
そういや、俺には『だった』ことが多いな。
「それはそこらへんにおいといてくれ」
「あ、はい」
適当に片付けを終わらせて、部屋の隅に立てかけてあるちゃぶ台を久しぶりに引っ張り出す。
そこに買ってきたハンバーガーだの何だのを広げる。
「いただきます」
少女が礼儀正しく挨拶をする。
俺はもうしばらく挨拶なんてしていない。
「お前、名前は?」
「藤村、響子です」
「藤村……ねぇ」
「あの、苗字で呼ばれるのはあまり好きじゃないんで、できれば……」
「あぁ、なるほど」
そういえばこいつにはもう両親がいない。苗字で呼ばれるとそのことを嫌でも思い出しちまう、ってことか?
「分かった。俺は大西猛だ。好きに呼べ」
「猛さん、ですか」
名前を確認し、両手で持つチーズバーガーにまた一口齧り付く。
あれ、何で俺こんなにこいつを許容してるんだ……?
別に今更放り出す訳でもないが……。
「猛さんは、どうして一人暮らしをしているんですか?」
唐突な質問。簡単に答えられる。
「家出だ。中学3年のときにな。ギターと小遣いを持って、独立したんだよ」
「ギター弾けるんですよね。弾いてくれませんか?」
「はぁ……?」
迷った。ここ数年、誰か特定の人間のために演奏したことなんかなかった。まして、見物に来る客共のために演奏したことなんか一度もない。いつも、自分が生きるためだった。
俺の兄貴がドラムが好きで、メロディが欲しい、と呟いたあいつの役に立ちたくて始めたギター。あの頃は、本当にギターが好きだった気がする。
俺は兄貴が大好きだった……。
――って、何感傷的になってんだ、俺。
今更過去を振り返ったって、何も戻って来やしない。
でも……。
もう一度だけ、あと一回だけ、地獄からトンズラしてもいいかな、とか思った。
「……少しだけだ。近所迷惑だ」
嘘だ。そんなことは今まで気にしなかった。ただ、自信がなかった。目の前の人間を喜ばせる自信が。
だから、少しだけ。
アンプは使わない。それこそ苦情で面倒なことになる。使わなくても運が悪けりゃ苦情が来るけれども。
構える。ピックを握る。
久々に感じる胸の高鳴り。思い出すギターへの熱意。一度捨て去ったはずのもの。
手元に置いておきたくなかった――手元に置いておきたかった。
矛盾。また、葛藤。
ピックが弦に触れる。この指を動かすのに、ここまで覚悟が必要とは。
そして、一気に弾いた。一思いに弾いた。
少しだけのはずだった。かなり長い時間弾いた。
 
楽しかった。
 
 
 
 
 
 
 
「荷物、何も持ってないんだろ?」
「はい」
「明日、買い物に行く。しばらく泊めてやるから、着替えとか買っておいたほうがいい」
「いいんですか?」
「拾ってしまった責任だ。同じ服ばっかり着させてたら、この部屋が臭くなっちまう」
割と本音だった。臭いものは嫌いだ。
「猛さんって、なんだかお兄ちゃんみたいです」
「兄貴がいたのか?」
「いえ、いないですけど、いたらこんな感じなのかなぁって」
「本当の兄貴はこんな無愛想じゃねぇ。もっとお前のことを大切にするはずだ」
「そんなことないです。猛さん、優しいです」
「言ってろ」
「……あの、お兄ちゃん、って呼んでも、いいですか?」
「好きに呼べ、って言ったろ。好きにしろ」
呼び方なんて、どうでもいい。
でも、これからは兄貴を慕う立場じゃなくて、兄貴として振舞わなければならない。
……面倒になってきた。
「もう寝るぞ。静かにしろ」
「はい。おやすみなさい……、――お兄ちゃん」
誰かと同じ部屋で眠るのは久しぶりで、結局緊張して眠れなかった。