02.無能と万能、ねじれの関係
2013年11月11日 22:44
それからというもの、僕と天音さんの奇妙な関係は続いていた。
放課後にはいつも例の空き教室で合っているし、授業中にもたまに連絡が入っていた。『裏庭でお茶しないか?』と。ふざけるな。授業くらい真面目に受けろと。それにいつの間に僕のアドレスを入手した。教えたことはなかったはずだ。
ツッコミどころは満載だったが、どうやら彼女も少しばかり常識離れしたところもあるためおかしな行動に走るのも無理もないかと無理矢理自己解決して納得させる。というより考えるのが面倒臭くなりそうだった。
何にせよ、そんな風に異性と要らぬやり取りをしていれば、男子仲間にすぐに目をつけられるものである。ましてや仲間内で美少女と噂の先輩との逢瀬だ。根掘り葉掘り聞かれるのもある程度覚悟していた。彼女がそんな人だと知ったのはほんの少し前のことだったが。
それはもう昼休みの度に、である。
「で、お前天音先輩とどこまで行ってんだよ」
「いやだからあの人とはただの知り合いだって言ってるよね」
「毎日放課後デートしてるカップルがただの知り合いなわけねーだろ」
「いやいやだからカップルという前提条件から間違えてるんだって」
弁当を持ったクラスメイト数人に囲まれた昼食。僕の周りに集まるのは丁度この辺が空いているというそれだけの理由だ。
僕の机の周りに必要に応じて机や椅子を集めて話しやすいように座って食事をする。今となってはこの環境が居心地悪いものではあるが。
ここ最近、昼休みは似たような状況だ。
「好きなんだろ? はよ告れよ」
「だからそんなんじゃないって」
耳に胼胝(たこ)が出来る程繰り返しループしてきた話題に嫌気がさす。どうしてこうも思春期の若者というのはこういった話題に敏感なのだろうか。いや確かに僕自身も興味がないわけではないけれども。自重というものを分かってほしい。
そして本日放課後、六時限目の授業の終わりを知らせる十二回目のチャイムを耳に流した後、またしても天音さんから連絡が来た。メールである。
携帯電話を開いて内容を確認すると、次のようなことが書いてあった。
『七時限目に出席するのが面倒だから、これからお茶でもしないか?』
いつも通りの、相変わらずのお誘いである。
しかし、いつもと違って僕の授業は終わっているのだから僕が断る理由もないし、彼女と会話をするのも少しだけ楽しいと思っていたのも確かだ。ただし、少しだけだ。少しだけである。
荷物を纏めて、普段あまり人の寄り付かない裏庭へと足を運んだ。
天音さんは先に来て、裏庭に並べられたテーブルのベンに腰かけていた。授業をさぼっているというのにも拘らず、堂々としているのはどういう了見か。
「やぁ、待っていたよ」
天音さんは今日も美人だった。僕みたいなもやしには勿体ない。同学年に素敵な人だってたくさんいるだろうに、どうして僕などに興味を持ったのか甚だ疑問である。
「こんにちは」
彼女の傍まで足を進めると、彼女の手元には二本の缶コーヒーがあった。両方ブラックである。僕はブラックが飲めない。恐らく飲めという勧めなのだろうが、少しばかり笑みが引き攣るような自覚はあった。恐らく彼女は気付いただろう。
「そこに座りたまえ」
円形のテーブル、彼女の座っている反対側の椅子に座るように促す。
他にも何人かの生徒がここを利用しているようだが、彼らの間における僕たちは所詮エキストラでしかなく、見向きもされない。その方が好都合だ。
「いつもどうして授業サボるんですか?」
「何故と聞かれても、出席していても意味のない授業に出る意味などないだろう」
確かに、彼女は成績優秀であった。全国模試も総合ランキングで上位十位に名前が載るくらいの秀才なのである。彼女は一体どこのスーパーヒーローなのだろうか。今度出身を訊いてみたい。
「授業を放り出しても意味などないが――――同じ意味のないことをするのであれば、自由を求める方が建設的だとは思わないか?」
「はぁ……」
彼女の言うことは理に適っていた。間違いない。彼女と同じ立場であれば僕もきっと――――そんなことはしない自信がやはりある。そんな度胸は僕にはないようだ。
缶コーヒーのプルタブを引っ張って飲み口を開ける。少し躊躇いながら口に注いだブラックコーヒーはやはり苦かった。
「だから、折角なのだから、そんな意味のない時間に意味を持たせようと、いつもキミを呼んでいるのだが、キミは応えてくれない」
「それは、まあ、僕は授業に出席しないと置いて行かれますから」
「勉強くらい、私が手とり足とり教えてあげても構わんのだぞ?」
手とり足とり、と言うワードが不純な行為を彷彿させてしまう。慌ててイメージを打ち消すが、またまた彼女は鋭く僕の考えを射抜く。
「灯くん、キミも立派に邪な想像を働かせるのだな。照れて顔を赤くするキミは、見ていて可愛い」
彼女の僕のからかい方は、何とも僕を恥ずかしくさせる。本気でこの扱いはやめてほしいと切実に思っているのだが、やはり言い出せるものではなかった。
「ハッハッハ、やはりキミは一緒にいて楽しい。私はキミを気に入っているのだから、キミは私を無碍に扱わないでくれると助かる。何なら、今ここでキミにキスされようと私は一向に構わないよ」
何を言うのだろうかこの常識外れが。本当に面の皮が厚すぎて困る。どうしてそんなことを照れることもなくさらりと言ってのけることが出来るのだろうか。
僕はもう一刻も早く逃走したかった。でないと恥ずかしさのあまりに死んでしまえる気がした。恐らく書類に死因は『羞恥死』とか書かれるのだろう。全力で勘弁願いたい。
「とっ、とにかく、今度数学の試験があるんで、少しその辺をまた教えてください。頼りにしてます、天音さん」
「ほう、頼ってくれるのか。何とも嬉しいことだろう。分かった。試験というのは、いつある?」
「来週の水曜です。出来れば、月曜辺りが都合がいいのでその日にお願いします」
彼女は、たじたじになりながらもなんとかお願いをする僕を見て、何とも愉快そうに笑い、そして頷いた。どうして彼女は、僕といるとそんなに楽しそうに笑うのだろうか。それとも、いつもあんな感じの人なのだろうか。僕にはよく分からない。
天音さんと僕は、ここのところ下校道を共にしている。帰り道に初めて出会った時の僕の一瞬の思考と、彼女の発言のせいである。
異性と共に下校――――字面だけだとなんだか素晴らしく青春しているような、いい響きを持ったようにも感じるだろうが、生憎この状況で嬉々としていられるほど僕の面の皮は厚くはなかった。
何せ彼女は堂々と歩く。堂々と歩くからよく目立つ。よく目立つからやたらと注目を浴びる、気がする。
「少年、何をそんなに縮こまっている? 何も悪いことなどしていないのだから、もう少し堂々と歩いてみたらどうだ?」
「無茶言わないでください。慣れるわけがないでしょ、こんな状況に」
「もうかれこれ一週間程続いているというのに、か?」
そもそも僕に異性に対する耐性はまだついていない。小学校低学年の頃を除いて、女子と喋った経験なぞ、必要事項の連絡などを除けば両手の指で数えられる程だ。
そんな僕が急に女子と下校を共にして平静を保てるわけもないだろう。彼女が恐らくそのことを察しているのにも溜息が出る。
「前から思っていたのだが、キミも料理が出来るのだな」
「ええ、まぁ。家族の食卓を姉と交代で任されてる身ですから」
僕の数少ない特技の一つ、料理。これだけは自信を持って得意だと胸を張れる。特に和食は得意で、煮物とかはよく作る。これだけは姉にも負けない。洋食は姉に軍配が上がるが。
「それは是非食べてみたいものだな。私も料理はするのだが、最低限なものでな。味に保証はない」
彼女はその堂々とした立ち振る舞いとは逆に、意外と謙虚である。初めて空き教室で出会った時も僕に対して自分を下に見ようとした。自分を卑下する癖でもあるのだろうか。しかしそこまで卑屈にも見えない。何とも不思議な人である。
「そう言えば天音さんってどこに住んでるんですか?」
「羽ケ崎の学生寮だよ」
「思いっ切り逆方向ですよね」
というより、学生寮は学校のすぐ近くにある。何故こんなところまで遠回りしてまで僕に纏わりつく――――という表現は失礼か、傍にいようとするのだろうか。
「構わない。キミと話していられるのなら、それは十分に遠回りするほどの意味を成す」
だからその意味とやらを説明してほしかった。彼女は大事な部分を決して喋ってくれない。だから彼女の考えていることが、僕にはよく分からなかった。
「言ってる意味が、よく分からないです」
「ならば率直に言おう。キミといるだけで楽しい」
なんだか――――なんだか体温が上がった。急に風邪でも引いたのだろうか。熱が出たような気がする。足が、体がふわふわする。心ノ臓がバクバクする。
誤解を招くような発言は慎んでほしい。本当にこの人と一緒にいるだけで調子が狂う。彼女は僕をどうしたいのだろうか。
率直な意見など聞くのではなかったと今更ながらに後悔した。
途中から彼女と別れて、僕は動悸のうるさい心臓を無視しながら家へと辿り着いた。
「た、ただいま」
「あ、灯、お帰り」
姉は僕より先に大学から帰ってきていたようだ。
既に夕飯の支度を始めているらしく、台所の方からいい香りが漂ってくる。香ばしい匂いが鼻孔をくすぐり、食欲を刺激する。それに寄せられるように姉のいる台所まで行くと、姉に怪しい笑みを浮かべられた。
「どうしたの、いやに嬉しそうじゃない」
「は?」
嬉しそうにしている、とは心外である。僕は先程までほんの少し不快な思いをしていたのだ。それを嬉しく思うなどあるはずもない。
「だって、顔真っ赤にして、何かソワソワしてるし」
「なっ……!?」
はっきり言おう、自覚してなかった。
とは言え、先程天音さんから妙なことを言われたからか、自身のテンションがおかしいのには今更ながら気が付いた。それこそ穴があれば率先して飛び込むレベルである。きっと今の僕はふとしたきっかけで奇怪な行動が出来るだろう。
「で、何があったの? ほーら言いなさいよ」
ニヤニヤとしながら姉が僕の顔を両手で捕まえてぐいと引っ張る。
僕にとって嫌いである、姉のその、猫が獲物を狙うような笑みが、鋭い視線と共に僕の一挙一動を無効化する。脳の『動け』という指示が上手く運動神経に伝わってくれない。
「いや、何もないよ……」
「ほらほら、思いっきり視線泳いでるよ~」
どんどんと顔が接近してくる。これが姉の得意とする、僕に対する誘導尋問もとい拷問である。これのせいでたくさんの秘密が暴かれてきた。今回こそは隠し通してみせる。
「だから何もないって」
「ホントに? だったらお姉ちゃんの目をよぉ~く見てみて」
言われたとおりに視線を合わせて固定する、が、姉の顔面接近は止まらない。
ちょっと待て、ストップ、ストップ。これ以上はぶつかってしまう。何と何がとは言わないし言えないが、大変なことになってしまう。
と、本当に直接吐息のかかるような距離で姉の顔は静止した。頼む離れてください。
「じゃ、今日学校から帰るまでに何があったのか話してみて」
「いやだからちょっと知り合いの女子の先輩と一緒に帰っただけで――」
――――しまった。
「ふふ~ん♪」
勝利の笑みを浮かべた姉を目の前に、僕は血の気を失い絶望していた。
姉のドアップを目の前にして動揺してしまっていた結果、危険度の高低を見誤ってしまったということか。ちくしょう。
お願いだからそろそろその手を放してくださいお姉様。
「で、どんな人? その女の子って。美人さん? ねぇ、美人さん?」
姉の瞳の光に輝きが増した。危険の兆候である。こうなれば姉は僕から根掘り葉掘りいらぬことまで聞き出しかねない。
「まぁ、確かに綺麗な人だけど……」
思考とは裏腹に正直に答えてしまう自分を今すぐに爆破してしまいたい。何故か、このような状況で姉に対してまともな嘘を吐けたことがない。
この日、姉のこの尋問のせいで僕の精神は完全に衰弱し、夕飯の時間もいつもと比べて一時間ほど遅れ、そして天音さんとのいろいろなことを重箱の隅まで穿り出されて終わった。隠し通せるという一抹の希望の消失と共に。
◇ ◇ ◇
時は暫く過ぎて、翌々日の放課後のことである。
いつものように教室を離れ、廊下を渡って昇降口へと向かう。
靴を下靴へと履き替えて建物を出、扉の先の階段を降りると――――彼女はそこにいた。
「やぁ、待っていたよ、灯くん」
待っていたとは、僕は限りなく放課後すぐに教室を出たつもりだったのに、もしかして、きっと彼女は本日最後の時限の授業を放り出したのだろう。何故今日はお茶のお誘いがなかったのかは気になるところだが、今はどうでもよいことだった。
「その表現は、天音さんが恐らく授業をサボってたという前提に考えると確実に不適切ですよね」
「英語の授業というのは何とも不毛な時間なのだとは思わないか? 私は既に英語に関してはネイティブでも通用するし、あのような講義の仕方では、海外に行ってもほとんど使い物にならないと思う。そんなものを一時間弱もの間、机と椅子に縛り付けられて延々と聞かされることに、何の意義があると思う?」
天音さんのその科白は、学校というものを、教師というものを馬鹿にするような言い方ではなかったものの、恐らくは教育機関を敵に回してしまうような内容であったことには変わりない。天音さんの行動の意図は、やはり僕程度の凡人には理解できないのだろう。
「天音さんって、多才ですよね」
「私は、何でも出来るからな」
彼女は、少し寂しげな表情で、自身を嘲笑するようにそう呟いた。
案の定、だ。
案の定、今日も天音さんはついてくる。
昨日は例の買い物がなかったので話ありと早めに引き上げて帰っていたが、今日は買い物に付き合ったりするのだろうか、とか考えながら歩いていると、気が付けば彼女はスーパーの中まで一緒に入店し、あまつさえかなり自然な流れで僕と本日の夕飯の食材について共に吟味をしていたという何とも珍妙な状況をつくり出していた。意味分からん。
「今日はキミが食材を調達しているのだから、姉が料理をするのだろう? キミの持ち帰る食材から、キミの姉がどのような料理を作るのか、想像してみるのも一興かと思ってな」
「多分これだと今晩はシチューだと思いますよ」
「ほう、キミの姉が作るシチューなのだから、さぞかし美味いのであろう。一度、食べてみたいものだ」
「まさかとは思いますが、来る気ですか?」
それだけは勘弁してほしい。一昨日姉にあれだけ根掘り葉掘り聞かれた後に当事者を連れてきたとなると今度こそ僕の心は摩耗しきってしまう。
「いや、それは遠慮しておこう。唐突に押しかけるのも無礼だろうからな」
胸を撫で下ろす、というのはこういう時に使うものだ。生半可な状況で使っていいほど軟(やわ)な言葉ではないと思う。
食材をレジに通し、袋に詰めて、店を出て例の裏通りを使ってショートカットする。
暫く歩くとやや広めの、人気の少ない通りに出るのだが、どうやらそれを阻む悪の手先が数人現れたようだ。勇者はどこだ。僕は所詮村人Aだ。村人を守るのは勇者の義務だろう。
前門の虎後門の狼とはよく言ったもので、この一本道で、前方から五人、後方から四人と感じの悪い青少年たちが詰め寄ってきていた。
明らかにこちらに敵意を向けていると思えば、その内二人程は以前にもお目に掛かったことのある、天音さんが蹴り飛ばした人と一目散に逃げていった人だった。かたき討ちのつもりだろうか。
「たった二人という少人数相手にそれだけの人数とは、恥を知らないのか、キミたちは」
勇者ならすぐ隣にいたようだ。彼女は強い。めっぽう強い。それはこの間のやり取りでよく分かった、のだが、いかんせんこの人数差、彼女にも流石に無理があるようにも感じた。
「いやね、恥とかそんなのはどーでもいいの。たださ、あんまり暴れられるとこっちも黙っちゃおけないっていうか、ぶっちゃけ目障りだからちょっと痛い目見てもらうつもりなんですけど」
男の握っている得物――――鉄パイプが鈍く煌めく。
対して、天音さんは動揺一つしていないようだ。一直線に前方の集団を見据えているが、恐らく後方の気配も察知しようとしているのだろう、何となくそんな雰囲気が感じられる。
両方から接近してくる男たちに、天音さんは全く動かない。まさかとは思うが敗北を悟ったとは言わないでほしい。僕はまだ死にたくない。まして僕が巻き込まれただけのはずの事件で天音さんが大変な事になってしまうのだけは、嫌だった。今更何を言うかとは思われるかもしれないが。
「少年、キミは私が合図を出したら全力で前に向いて走り出してほしい。なるべく無傷でここを離脱するために、協力してもらいたい」
彼女の真剣な眼差しに、彼女の荷物を預かることで応える。
その間にも男たちはこちらに向かって足を進めてくる。十メートル、八メートル、五メートル、三メートル――――
風のように、天音さんは動いた。
通路を塞ぐように立っていた一番左の男が、一瞬にして薙ぎ倒される。
バトルアニメでも見ているかのようなその流麗で俊敏な動きに男たちも驚きを隠せないでいる。
「少年、走れ!」
天音さんの合図、僕はその空いたスペースに向かって荷物を持ったまま走り出した。手が重いし、走るのも苦手で、すぐに息が上がりそうになる。
懸命に堪えて、ただ一心に天音さんを信じて駆け抜ける。
男たちの囲いから離脱しようとその横を通り抜ける瞬間、男の一人が手を伸ばしてくるも、天音さんの一撃がそれを阻止、そして僕は天音さんのおかげで、無事に脱出することに成功した。
だが――――
天音さんは、まだ囲いの中に取り残されていた。
突然の攻撃に怒りを露わにする男たちの視線は、一斉に天音さんを射抜いていた。僕ならば恐怖のあまりに腰が抜けてその場にへたり込んでしまう程の殺気だ。
「あ、天音さんっ!」
天音さんの身を案じ、咄嗟に彼女に対して大声で呼びかける。
天音さんはそれに対して、軽い笑みで応えてくれた。何とも安心出来て、信頼出来る笑顔。どうにも四面楚歌な状況なのに、彼女のその笑顔は僕を安心させてくれた。
「まぁいい、男は後でいいとして、先にこの女をボコにしてからマワしてやる。覚悟しろよ」
目を血走らせて、残り七人程の男たちが天音さんに群がる。
天音さんは腰を低く落とし、薙ぎ倒した男が持っていた鉄パイプを拾い上げる。
その時、彼女の眼光が急激に鋭くなったのを僕は感じた。獣が標的を狙うような、強く、広く、真っ直ぐな眼。
手に持つ鉄パイプを、どこぞの槍使いのように華麗に振り回し、男たちを退かせる。恐らく一種の威嚇射撃と似たようなものだろう。長く固い棒を振り回す彼女はそれだけで十分驚異的である。しかも、かなりの熟練者のように、滞りなく自在に自分の体の周囲を金属の棒を舞わせていた。さしずめ、槍術と言ったところか。
「さぁ、どこからでも何人でもかかってくるがいい。瞬く間にその喉元を食い千切ってみせよう」
遠くから見ているだけで、雑種の狗に囲まれた、雄々しき獅子を見ているような錯覚にとらわれた。それだけ彼女の佇まいが堂々としており、強かだった。
五人程一斉に彼女にと飛びかかる。それぞれの得物を振り上げ、彼女の脳天、脚部、腹にその重い一撃を叩き込み、彼女が地面に蹲って悶絶する――――そんな幻想は訪れなかった。
それぞれが持っている鉄パイプ、鉄バットに、彼女の持つ棒で強く叩き、その振動によって彼らの拳から得物を引き離す。得物を失い、リーチが短くなったことで懐まで潜り込む必要が出てきたと同時に、恐怖感を抱いた彼らに対して自分から懐に潜り込み、一撃昏倒の攻撃を繰り出し、一人ずつ確実に倒す。この間、わずか三秒。
生まれてくる時代を間違えたのではないだろうか。戦国時代で本田忠勝と確実に並ぶような気がする。
一瞬にして半分程壊滅させ、以前と同じように優勢を主張するような笑みを浮かべる――――かと思いきや、その表情は怒気を孕んでいた。
彼女は獅子などではない、龍だったのだ。
――――彼らは、龍の逆鱗に触れてしまったのかもしれない。
「どうした、九人がかりでその程度か、随分と大口を叩いた割にたかが知れる」
右手の掌で鉄パイプを器用に回して舞わせ、正面で静止させ、その先端を残りの男に向ける。次はお前だと言わんばかりに。
「っざっけんな、ふざけんなよぉぉ!!!!」
一人の凶行を皮切りに、残りの連中も天音さんに対して肉薄する。
しかし生憎、五対一でも圧倒してみせたのだ。四人ではそれこそハードモードとノーマルモードくらいの難易度の差がある。一人残らず、天音さんの反撃で撃沈、沈黙した。
僕はただ、それを口を開けて、唖然としながら見ていることしかできなかった。
――――なんと無力か。
ひしひしと痛感する。
彼女は僕を確実に守ってくれる。自分を優先するでもなく、何かがあればまず僕を助けようとしてくれる。それは確かに嬉しいことで、ありがたいことでもあった。
だがしかしどうだろう。実際のところ、僕は彼女に守られてばかりで、僕は彼女に何もしてあげることが出来ない。その関係は、彼女から僕に与えてくれる、一方通行のものでしかなかった。僕には、彼女の役に立てることなど、何一つとしてない。塵一つない。そう、彼女は、何でも出来るのだから。
「天音さん……」
屍のように倒れている男たちの山を跨いで、彼女は僕に近づいてくる。その姿は、僕にとって眩し過ぎた。
「キミの今考えていることは手に取るように分かる。確かに、キミは守られてばかりで、私はキミから物理的な恩恵を頂いたことなど一度もない」
彼女は続ける。淡々と、説明的口調で。僕を説き伏せるように。
「しかしそれは私にとって何の意味も持たない。キミは私に、何の引け目も感じる必要はない。私はただ、キミと会話を交わせるだけで、十分その借りを返してもらっているのだから」
理解が、出来なかった。
それだけで、それだけで僕が彼女に守ってもらう対価となりうるのだろうか。あまりにも、賭けている物に違いがあり過ぎた。それは決して、誤差と言えるようなレベルではなく、彼女と僕の、圧倒的な力の差を示す指標でもあったのだ。
それでも僕は、彼女がそう言ってくれていることに、どこか安心していた。力強い彼女に守ってもらえていることに、安堵感を感じていたのだった。それはまさしく――――
「本当に、天音さんは凄いよ」
その呟きに対して。
「私は、何でも出来るからな」
――――そう、自嘲めいたように呟いたのだった。
翌日、天音桜火は暴力事件の処分として、一週間の謹慎を言い渡された。